『鷹狩り』

「――ッ!!」


 俺は剣を握り直すと、姿勢を低くし地面を思いっきり蹴りだした。


「ぁぁぁあああ!!」


 恐怖を克服したわけではない。今も本能は逃げろと叫び、体は竦み止まろうとする。それでも俺はそれらをねじ伏せると、今まさに二人を斬り裂こうとしたゲイルドラゴンの左腕に剣を振り下ろした。


 不協和音が鳴り響く。元素を纏う事もなく当てただけの剣が硬質な鱗を纏った腕を斬り落とせるなんてことはもちろんないが、それでも弾き飛ばすくらいのことはできた。


「あ、んちゃん...」

「逃げるっす...冒険者に、なりたての、子供が...戦っていいっ、相手ではっ、ないっすよ…!」


 俺の後ろでジャンとクルスが切れ切れの声で警告をしてくる。しかし俺は敢えて無視し、ゲイルドラゴンの眼を見据えたままゆっくりと近づいて行く。


 恐怖を見せないように。お前など大した障害じゃないと思わせる。そうすればもしかしたら飛び去ってくれるかもしれない。


 しかし、現実はやはり甘くはない。


『ルルルゥゥァァアア!!』


 望みとは裏腹に舐められたと感じたようで、ゲイルドラゴンは風を纏ったかぎ爪を天高く振り上げ、そして、高速で振り下ろした。


「...っ!」


 間一髪身を逸らすことで回避したが、そこから怒涛の攻撃が襲い掛かってきた。かぎ爪、尻尾、そして風槍。息つく暇もなく繰り出される攻撃の数々に次第に押されていく。


 所詮は戦闘センスが少しいいだけの初級ビギナー冒険者だ。瓦解するのもあっという間だった。


「ぐっ...!」


 視界から飛来した風槍が右肩に刺さり痛みが走る。一瞬意識を奪われたその瞬間に放たれたブレスをもろに受け、俺の体は上空に打ち上げられた。


 地面に衝突し砂埃を挙げる。その衝撃の大きさに肺の空気が全て押し出される。


 全身が痛い。何本か骨にひびが入っているかもしれない。いままで経験したことのなかった言葉通りの命のやり取りに現実を突き付けられた。


『グルァァァ...』


 ゲイルドラゴンがゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。俺は何とか体を起こすが、立ち上がることができない。その場から逃げるなんてもってのほかだ。


 ゲイルドラゴンの眼は俺をしっかりと見据えている。その眼が完全に捕食者のそれだという事を認識した瞬間、奥へと押しやっていた恐怖が今度こそ体を縛り付ける。


 呼吸が乱れる。激しい心臓の音とゲイルドラゴンの息遣いが死への曲を奏で始める。


 ゲイルドラゴンがゆっくりと右腕を振り上げる。


 俺は、ここで死ぬのか...


 絶望に心を支配される、その瞬間。


翔鷹しょうよう羅閃らせん


 英雄の声が、響いた。



       〇   〇   〇



 その少年は、身の丈ほどある剣を担ぎながら、必死に街中を掛けていた。


「急がねぇと...ウォロの奴が、死んじまう…っ!」


 燃えるような紅い髪をしたその少年は、グレンと言った。


 数刻前。ウォロがゲイルドラゴンへと向かうのを背に彼は残党の処理に回っていた。ウォロならば大丈夫。そんな彼への絶大な自身が彼にはあった。


 しかし実際のところ、所詮は内輪のことであった。彼等より戦力が高く、場数も踏んでいるはずの先輩冒険者がまとめて吹き飛ばされたのだ。向かっていった分隊長も為す術無し。


 しかし、勝ち目のないそれに、ウォロは向かっていったのだ。


 そこからは一瞬が命の有無を左右する戦い。戦闘センスの優れているウォロでもBランクは厳しすぎた。押され気味だという事に気付いたグレンは、先頭から離脱し彼を助けるに足りる者を探すために街中を駆けまわり始めたのだった。


「誰か...誰かいねぇのかよっ!」


 勢いのまま叫ぶが、返してくれるものは一人もいない。それもそのはず。戦えるものは皆既に向かった後だ。残っているのは家に閉じこもる非戦闘民のみ。


「くそっ...誰か、頼むよ...」


 脳裏にウォロの残酷な最期が浮かんではい消えていく。虚無感に蝕まれていき、ついに彼の瞳から一滴の涙が流れ、落ちた。


「誰でもいい...あいつを、ウォロを...助けてくれぇ...っ」

「――分かった」

「――っ!」


 心から溢れたグレンの叫びは、一人の男に届いた。それに気づいたグレンがバッと顔を上げるが、そこには既に姿はなく。


 ただ、力強い言葉だけが、そこに残されていた。



       〇   〇   〇



「翔鷹・羅閃」


 その言葉と共に振り下ろされた剣はゲイルドラゴンの腕を呆気なく切り下ろす。


『ルァァァアアア!』


 ゲイルドラゴンが咆哮をあげる。俺を庇うように立つその男の右手には、漆黒の直剣が握られている。


 オールバックにしたくすんだ金色の髪。右頬には2本の裂傷が、左目には眼帯を付けている。そんな彼の背には、黒鷲と交差した槍斧ハルバード、そして盾が刺繍されている。それは、《ファーリエンス王国》の国章。


 現代に生きる英雄が一人。かつて災害級ディザスターに指定されたAランクの魔物、ガルーラを単身討伐し、『鷹狩り』と呼ばれるようになった剣豪。その名を、クリード・ベイセルス。アルバン警備兵団、総隊長その人である。


「......」


 クリードさんは固まるウォロを一瞥すると、すぐに視線を元に戻し、剣を構える。対するゲイルドラゴンも、両のかぎ爪に風を纏う。


 勝負は、一瞬で終わった。


『ゴアアアア!!』

翔鷹しょうよう天漸てんざん


 咆哮をあげたゲイルドラゴンが腕を振るが、それを難なく交わして懐に入り、クリードさんがつぶやく。同時に剣が紫黒を纏い、そのまま天へと駆け上がった。


『グァ、ガアアアァァァ――!』


 叫ぶゲイルドラゴンの腹から鮮血が飛び散る。そのままゲイルドラゴンは横に倒れ、絶命した。


 辺りを静寂が包む。クリードが剣を振り、鞘に入れた。カシャン、という金属音が鳴った瞬間、冒険者、そして兵団の者達が一斉に歓声を上げた。


 倒して当然だというかのように堂々と立つその姿を見て、俺は思い知らされた。


 上は、はるか高い場所にあるという事を。


「大丈夫か、少年」


 固まる俺に対して、クリードさんがそう聞いてくる。現実に回帰した俺はどもりながらも異常が無いことを伝える。すると、クリードさんは俺のほうに歩いてきて、しゃがみこんだ。


「...若いな。初級ビギナーか?」

「は、はい」

「そうか...」


 クリードは頭を掻くと、再び口を開く。


「本来なら、お前さんの頬を引っ叩いて怒らにゃいかんのだが...どうやら場を繋いでくれたようだな」

「いえ、俺は何もできませんでした...っ!」


 俯いて自責の念を吐き出していた俺は頭に軽い衝撃を感じて視線をあげる。すると、クリードさんが右手を俺の頭の上に置いていた。


「ようく頑張ったな、少年」

「っっっ――!」


 微笑みと共に放たれたその言葉は俺の緊張を和らげる。ついでに涙腺まで緩めてしまったらしく、俺の眼から涙があふれ始めた。


「ウォロっ!」

「ウォロ!大丈夫か!」


 と、そんな俺の下に聞きなれた声が聞こえてくる。グレンとソフィアだ。どちらも血や汗で汚れているが、大きなけが等は見当たらない。


「って、怪我してるじゃないの! まったく、無茶しちゃだめでしょうが」


 そう言ったソフィアが魔法で傷の治療を始める。一方のグレンは、クリードさんに向かって頭を下げていた。


「ウォロを助けてくれてありがとう...あんたのお陰だ」

「自分では敵わないと見るや助けを呼びに行く。いい判断だ」

「...ありがとうございます」


 そう言ってもう一度頭を下げたグレンは、次に俺に目を向けると、俺の両肩をがっしりと掴んで叫んだ。


「どうして、どうしてお前はっ、そんな無茶をするんだ...!」

「心配かけたな」

「ほんとだよ。まったく、ふざけるんじゃねぇよ...っ」


 グレンの声が滲んでいく。それでも涙をこらえたグレンは、俺の頭を掻きまわすと、背を向けて走り去っていった。魔物の死体を片付けを手伝いに行くんだろう。


「よし、終わった」


 ソフィアがそう言って魔法を解除する。俺が貫かれた肩を回しても、特に異常は見つからない。

「分かってるとは思うけど、血管や魔力管はまだ繋がりきっていないからしばらくは安静にした方が良いわよ。分かったわね?」

「ああ。ありがとう」

「うん...」


 ソフィアは立ち上がってグレンと同じように背を向ける。しかし一度だけこちらを振り返ると、一言だけ呟いて行った。彼女の後ろ姿を見ながら、クリードさんが呟く。


「愛されているな。ウォロ君」

「...俺にはもったいないですよ」


 ソフィアが置いて言った言葉。


――私も心配したんだからね


 そこに含まれたものに、俺は心が温かくなるのを感じていた。

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