初トラブル

 そこはヒカリゴケの仄かな光だけが辺りを照らす、薄暗い洞窟の中。その奥をずっと進んだ先にあるのは、ある程度の広さがある洞穴だ。天井には何かの絵が、地面には複雑な魔法陣が彫られていて、その中央に、いかにも何かありそうな祭壇が置かれていた。


 その祭壇の前に静かに立っているのは、初老の男。右目はつぶれており、銀の長髪を後ろで束ねている。しかしよく見るとその背には黒い翼が一対。その額にはねじれ角が二本生えていた。その片方が途中で折れているため余計に異様さが際立っている。


 そんな男の傍に突如気配が生じた。全身黒装束でフードを被り、素顔の全く見えない男。しかし見る者が見れば、彼も同じように悪魔の一柱だという事がわかる。


「老師。ご報告が」

「許す」


 黒装束の男は初老の男〝老師〟の許しを得ると、とあることについて報告する。それを聞いていた老師は聞き終えると、再び任務を遂行することを命じた。


 黒装束の男が頷き姿を消したことを確認すると、老師は頭上の絵を見上げる。そこには炎を纏った大男や風と戯れる女性といった人物6人と、その中央に鎮座するように描かれた剣に二体の龍が巻き付く絵が彫られていた。


「時は動き始めた...」


 老師は目を細めて呟く。これから起こる出来事に思いを馳せ、今は亡き主人の最後の命令を反芻しながら。


「其方の実力、試させてもらうぞ」


 悪魔はそう言って口をきつく結ぶ。その眼には、強靭な覚悟が炎となって燃えていた――



       〇   〇   〇



 〈カリャ〉を出発してから五日が経過した。その道中はとてものどかなもので、盗賊と遭遇することもなければ魔物との交戦もなかった。〈カリャ〉が王国の中で田舎扱いされていることと関係があるのか少し気になりながらも、ただひたすら〈アルバン〉へと足を進めていた。


 しかし、目的地まで残り一日を切った今日、俺達は初めてトラブルに遭遇したのだった。




 最初に気付いたのは、感覚の鋭いグレンだった。


「...おい、なんか聞こえねぇか?」


 その言葉を聞いて足を止めた俺は、呼吸を整えて感覚を研ぎ澄ました。すると、右側の方から微かに戦闘の音が聞こえてくることに気が付いた。


「誰かが戦り合ってるみたいだな」

「少し嫌な予感がする。行ってみねぇか?」


 グレンのその言葉に少し悩む。


 なにせ今まで何もなかったところに降って湧いたトラブルだ。しかも、俺達に直接かかわることではない。このままスルーすれば大事には至らない。


 しかし、グレンの第六感ともいうべき感覚が鋭い事もまた俺は知っている。実際、俺は小さい頃にそれで魔物の前から命を救われたことがあるからだ。


 心の中でせめぎ合う二つの考えをよく考え、俺は結論を出した。


「行ってみよう」

「よし来た!」


 こうして、俺とグレンは街道を逸れ、〈マレタクル森林〉と言う名の森の奥へと進んでいくことになった。




 冒険者とは、なんて過酷な職業なのだろうか。私は必死に森の中を走りながらふとそう思った。


 私は冒険者を目指して遠くの故郷から〈アルバン〉と言う街を目指して旅をしていた。とある理由で魔術師でありながら戦闘力が皆無なため、回復魔法をうまく使って路銀を集めては行商人の馬車を乗り継いであと少しのところまでやってきた。


 流石にもう一人でも大丈夫だろう。そう思わなければこんなことにはならなかっただろうに。まったく、自分の慢心が口惜しい。


『グラアアアァァァ!!』


 後方から木々をへし折る音と共に魔物の方向が聞こえてくる。推定ランクはC。獰猛な顎に強靭な足を持った二足歩行のその魔物は、バンカーレックスと言う名だったか。


 どのみち追い付かれればひとたまりもない。体力も限界に近い事もあり、私は最後の望みをかけて、魔物と対峙することを決意した。


「世界の源たる水よ 世界を浄化する水よ その姿を鋭き刃に変え 我が敵を斬り裂け」


 足を止め、長ったらしい詠唱を口ずさむ。迫りくる魔物に足が震えそうになるのを必死に堪えながら詠唱を続けていると、掲げた杖の先に元素の一つである水素が集まり、蒼い球体を形成し始めた。やがてそれは薄く引き伸ばされ、まるで刀身のように鋭くなっていく。


「〝水刃閃アクアカッター〟!!」


 水属性初級魔法〝水刃閃アクアカッター〟。水の刃は詠唱が終わるとともに放たれ、バンカーレックスの首元...ではなくその横にある樹木へと迫り、それを根元から切り落とした。


 その木はバキバキッと音を立てながら倒れ、バンカーレックスの背中へと倒れ込んだ。


『ガアアアァァァ!!』


 叫び声をあげるバンカーレックスだが、


「軽かったっ...!」


 木の重量よりバンカーレックスの足腰の方に分があったようだ。倒れずに堪えたバンカーレックスは、尻尾で木を払いのけるとゆっくりと私の方へと歩いてくる。その目は濁り、私を喰らう事だけしか考えていないようだった。


「っ――!」


 とうとう恐怖が体を支配する。逃げることもままならずにその場に立ち尽くす私に向かって、バンカーレックスはその顎を大きく開く。


 喰われる。


 その言葉が脳内に浮かぶ。大きな口が私を覆い、鋭い牙がこの体に刺さる――


「させる訳ねぇだろうが!」


 その時だった。右側の茂みから突如飛び出してきた真紅の髪を持った男の子が、背丈ほどある大剣をバンカーレックスの背中に叩きつけたのは。


『ゴオォォァァァアア!!』


 バンカーレックスが再び叫ぶ。身をよじった結果喰われなかったことに安堵するのもつかの間。今度は力の抜けきった体を誰かに抱きかかえられ、その場から連れていかれた。


 急な出来事で呆然とする私の体が近くの木に預けられる。見上げると、そこには白髪の男の子が一人。


「怪我はないか?」

「だ、大丈夫です」

「よかった...じゃ、少し待っててくれ」

「いったい何を...」


 その男の子は私に背を向けると、背負っていた木箱を下ろし、腰から剣を引き抜いた。


「力試しだ」


 そう言って、彼もまたバンカーレックスへと向かって失踪していった。

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