陽光に笑え千人舞踊 2
「──天月奪う千人舞踊」
分身の発生と共に即座に散開。『息吹』の出力位置を魔素の流れから予測しながら接近、回避、なお接近。
とにかく急いでいたので武器は
分身すべての意識はそれぞれに存在しながら、オリジナルを統合役として繋がっている。つまるところひとつの方針に向けて各々が思考し行動する。見た目からも『一人軍隊』『個人楽団』などと称されるものだが、それはあながち間違ってはいない気がする。
それで何ができるのかといえば、分身それぞれは各自で魔法を操れるのだ。……もっとも、統合意識には相応の負荷がかかり、自我の混線が深刻になるという問題はあるのだが、今目の前に広がる冒険の一幕に比べれば些事でしかない。
満身創痍。しかして健在。
全身は焦げ付き黒く染まり、片翼は中程から消し飛び、他の翼膜も焼け落ちた。喉元はがばりと溶け落ちて大穴が空き、そこからは見るも無惨に焼けただれた肉が揺れている。
まったく末恐ろしい。
単騎で竜をここまで追い詰めて、「結局俺には倒せない」と自虐の笑みを浮かべるなど、本当に彼くらいのものだろう。
大英雄には当然遠く届かない。しかし冒険者としてこれほどの戦力が無能と蔑まれるなら、有能を名乗れる人間など数えるほどだ。
彼は必ず次の世界を照らす太陽になる。
だって彼は『英雄の息子』なのだ。
口から笑みが消えてくれない。本当に楽しいから。
死への恐怖も何もかも希望の光で消してしまえる。
竜は垂れ下がる肉をびらびら揺らしながら、再び『息吹』を放った。穴の空いた喉から漏れ出た『息吹』のノイズは、しかしその魔素干渉力を損なわず、情報の損壊から生み出されたまったく別の魔法──言うなれば二重の『息吹』となって大地を舐める。
分かりやすかった雷の『息吹』と異なって、もうひとつの『息吹』は視覚的には黒いもやとしか分からない。当たらなければいいといえばそれまでだが、轟きの後には霧散する潔い雷とは対照的に、黒もやは未練がましくその場に停滞しているように見える。刻一刻とその影響範囲は広がっており、接近しきるよりももやが竜を包むほうが早いだろう。
少なくとも、頭をやられることは避けなければ。
不滅魔剣を旗代わりに突き進む楽団のうち六名を先行させ、喉元の傷を狙って魔法を放つ。概念限界の原理により、竜に直接作用する魔法は不発となるが、例えば竜を燃やすことは出来なくても、燃えているものを竜にぶつけることなら出来る。それを阻むのが竜鱗だが、目の前の竜は既に肉が露出していた。
距離もあって直撃弾はないが、放たれた魔法のひとつが溶けかけた眼球をかすめ、竜は痛みに喘ぎ首を振る。その拍子に『息吹』の標準が左右に大きくぶれ──。
十八の意識のうち二つの意識が脱落。同時に謎の闇の『息吹』の正体も判明した。
「……! 呼吸に注意を! あの靄は劇毒です! 祝福も間に合わない!」
背後にいるだろうリオに向けて叫ぶ──しかし、振り返った先に彼の姿はなかった。どこかに隠れたのだろうか、それならばいいのだが──と、そこで分身体の視覚情報が脳を貫く。
臨界寸前の『息吹』が竜のあぎとの中で雷と毒を渦巻かせている。
完全な回避は間に合わない。前列の分身を犠牲にする覚悟で後衛の離脱を図ろうとした直後、竜の足がどぶんと大地に沈み、瞬く間に底なしの沼へと囚われていく。豪雨で多分にぬかるんでいるとはいえ、それだけで起きることではない。
魔素の流れを追うと、森の影の中に立つリオの足元に、血で描かれた魔法円が輝いている。体外に流出した血液の魔素を利用することで魔法の影響力を増す運用法だが、多くの場合血を流すコストには見合わない。彼らしいと言えば彼らしい。
その鼻先が埋もれるかというところで天に向けて『息吹』が放たれると、泥の水分は消し飛び、軽くなった戒めは簡単に脱されてしまったが、『息吹』一回分は不発に終わった。
「あと一度『息吹』を凌いでくれ。それでおそらく足りる」
「……! はい!」
そうだ──効果が終了すれば、魔法は魔素に還る。豪雨による急速な回復に加えて竜の『息吹』数回分の魔素があれば、あの銀の輝きの再演も遠くない。
ここが決死の分水嶺。それを知ってか知らずか、竜が次の『息吹』に乗せた魔素は過去最大。ここを越えればそこには勝利の栄光があり、越えられなければ冷たい死が待っている。
錬金の魔法で土から生み出した棒を手に、分身たちは、鞭のようにしなる尻尾の乱撃をかいくぐり、今まさに『息吹』を放たんとするその喉元に張り付いた。爪が動きかけたが、リオの錬金で再び竜の足元が歪む。血印がないこともあって規模は小さいが、たたらを踏む形になった竜は爪を放てない。
そして『息吹』は放たれた。びりびりとその頭を抑える分身たちの腕が震える。
天に轟く雷鳴の根元に生まれる熱と、喉の穴から漏れる第二の『息吹』が一人、また一人と分身を魔素へと還していく。その度竜の頭は大地を薙ごうとする竜とそれを抑える楽団の均衡を変化させ、ぐらりぐらりと傾いた。
そして、あえなく分身すべてが立ち消え、竜と視線が交錯したその直後、『息吹』も限界を迎えた。
楽団の魔法が強制終了し、がくりと視界が何重にも折り重なって潰れていく。
しかし、すぐさま再装填にかかった竜の喉元に煌く小さな光と、それを飲み込んで天へと葬送する、あまりに輝かしい送り火は、瞳の奥に届いていた。
そしてその灯が空へと消えてから少しと経たず、寒々しい死に脅える身体が抱き起された。二人とも雨でびっしょりのはずなのに、陽光にも似た確かな温もりを感じて、口元が緩むのが分かった。
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