陽光に笑え千人舞踊 1

「な、んで──お前が、ここに」


 荒れ狂う雷に掲げた槍の穂先を睨み付けたまま、ネージュがにっこり微笑んだ。輝く槍の先端からは七色に変転する大障壁が展開されていて、迫り来る白い死をことごとく弾き返している。


「アムクゥエル嬢に叩き起こされまして」

「そいつは、あー、難儀な話だな。だが、鍵はどうしたよ?」

「さあ。それに関しては、アムクゥエル嬢の用意ですから、私には何とも。帰ってから彼女にお訊ねください。もっとも、かなり怒っているようでしたが」

「だろうな。それで……その槍は、魔剣だったのか?」

「ええ。父の最高傑作です。クラウソラスセカンドを除けばですが。──デュランダル。多重障壁を展開する魔剣です」


 白の世界は終息し、なお燃え盛る背後の森と、輝く槍。それに立ち込める煙と肉と油の焼ける臭いが残され、輝く槍もほどなく消えた。

 後にはぱちぱち燃える光と、それに照らされる二人だけ。


「つまり……なんだ。これがあの日訪れるべきだった構図になるのか」


 彼女はあの場でも何か魔法を唱えようとしていたように見えた。それこそが、つい今しがたまで目の前に発現していた、あの大障壁だったのだろう。

 しかし、ネージュは小さく首を振る。


「私としてはそうありたかったですが、相手が固有魔法でしたから。障壁を貫通するような特性がある場合もあります。その後のことも含めて、あの日はあなたに助けられてよかった。そして今日こそは、私の番です」

「……そうかい」


 そこで突然、会話を割って歪な雄叫びが大地を揺るがす。

 竜は──竜は、その口唇付近を焼けただれさせながら、尋常ならざる痛みよりもなお激しくその身を焦がす怒りに叫んでいた。ひゅうひゅうと喉の穴から漏れ出た声の欠片が周囲の魔素を二重に励起させ、従来の雷の『息吹』に加え別の魔法が発現しているように見える。

 まだ、生きている。喉元に大穴を開け、顔や翼を焼けただれさせ、あまつさえ片翼を失った傷跡から焼け焦げた肉の臭いを発しながら、それでもまだ生きている。

 竜とは最強の代名詞だ。

 それを嫌というほど実感させられる。


「……なんだよ。結局俺には倒せねえってか」


 ネージュがいなければ、リオ・ベックマンは、まさしく犬死にであった。

 つまりはそういうこと。最後の番狂わせすら空を掴み、疎まれながら四つ辻にでも埋もれる定めと決まっていたのだ。

 しかし、いったい何が楽しいのか、ネージュは微笑みを崩さずに口を開いた。


「何か、策は?」

「もう用意していたものはない」


 ネージュがいなければ、そう決まっていた。

 ならば運命とはいったいどちらにあったのか。

 あるいは最初から、この局面まで天座す御神の掌なのか。

 だとすれば神はやはり性格が悪い。天はまさしく乗り越えられる試練しか与えない。生かさず殺さず、まるで賭博に人を依存させるように、より深くまで落としていく。気づいたときには元には戻れず、戻ろうとすら思わせない。

 我らが父よ、何故にあなたは人に魔法キセキを与えたのか。


「さっきの魔剣はまだ使えるか?」

「残念ながら、冷却中です。しばらくは使えません。そちらの魔剣は?」

「空気中の魔素が足りない。……ただ、幸いにしてこの大雨だ。回復は平時に比べて早いだろう」


 そう──魔素とは水に溶けるもの。

 水のかたちで生命と世界を巡る奇跡の代価。

 生命の母たる海より出でて、我らが父たる天を廻り

、恵みの雨をして大地へと降り注ぎ、その身に流るる血潮を以て、生物に、そして人間に奇跡を与える。


「では、私が時間を稼ぎましょう」

「……いや。他には、何もないのか?」

「臨死のことでしたら、お気になさらず。怖くないとは言えませんが。あなたの一助となれるならば、苦しいよりも喜ばしい」

「なんでだよ」

「私はあなたこそ英雄の息子だと思っていますから」

「……献身なんて、重いだけだ。嬉しくない」

「でしょうね。しかしそういうものです」

「……ああ──違いない」


 期待も、落胆も、献身も崇拝も、何もかも人の感情とは押し付けられるだけのもので、『英雄の息子』ならばそれも仕方ない。

 あとはリオ・ベックマンがそれを受け止められるかだ。


「頼む」

「心得ました」


 短く一言。それだけで事足りる、他人の命を背負う瞬間。ひどい重荷だ。

 こんな瞬間を何度も何度も重ね重ねるのが英雄ならば、やはりリオ・ベックマンにそれは向いていなかった。

 だからもう一度唇を濡らした。


「……ああ、ひとついいか?」

「なんでしょう?」

「お前は立派な冒険者だよ」

「……はい。ありがとうございます」


 聖なる剣を鞘へと納め、片手に黒いナイフを引き出した。一刀一杖の、新米の頃からの慣れた構え。隣でネージュも槍をくるりと回し腰を落とす。

 冒険者が冒険をしないなら、なぜ彼らは冒険者と呼ばれるのか。

 答えは簡単だ。冒険者は冒険をしないが、冒険とは向こうからやって来るものだ。そして訪れるその絶望のうちに、剣を掴み立ち上がらなければならない。

 冒険者とは、冒険をする覚悟を持つ者のことだ。


原初魔導プロトドライブ解放アクティベート──天月奪う千人舞踊ヘパリオン・フィラシオン


 豪雨の中でも耳を貫く凛とした声が、濡れる大地を踏み切った。

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