一人踊るソリスト
「あれは一体、どういうことだ!?」
屋敷に戻ってきたアムクゥエルは荒れに荒れていた。理由は言うまでもない。
個人依頼は取り消されなかったので、この依頼内容に基づいて、このままでは
「まあ、予想はしてたよ。最初から依頼に書いてあったからな。『民に無用な心配を与えぬため個人宛に発行する』って」
おそらく、そんな判断をすることまで計算の上でこの哀れな『発注者』は選ばれたのだろう。きっと──黒幕は彼に直接の面識があるか、余程の博打打ちかのどちらかだ。それにしたって素晴らしい人身把握術だが。
そして、ここでリオ・ベックマンという駒は詰んだ。与えられた道はふたつで、そのどちらも破滅の道だ。だからこそ、アムクゥエルも感情をむき出しに激怒している。そうする他に出来ることがない、真実チェック・メイトの盤面だから。
ひとつは分かりやすい。このまま依頼の遂行を試み、死ぬ。
そしてもうひとつ。組合の勧告を受け、依頼を破棄する。
そうした場合──ネージュ・ミーガは、指名依頼を中途解約した冒険者として生きていくことになる。少しでも事情を探ればいくらか同情もされようが、力とは弱い部分に強くかかるものだ。少なからず彼女の栄光の道は閉ざされてしまうだろう。
そして何より、リオ・ベックマンに与えられる名札は、『Aランク冒険者宛の指名依頼に身の程知らずにも同行し、これを失敗させた愚図』。
依頼を破棄したネージュを擁護する者がいるならば、その言い分は必ずこれだ。
だって誰もが納得する。彼女だけなら何とかなっただろうに。あの英雄の息子ならばそれも当然だ、と。
力とは最も弱い部分に最も強くかかるもので、水は低きに流れるものだ。
ネージュの栄華が枯れるなら、元より枯れ尾花のこちらはどうなるかなど、想像するのも億劫になる。
死神の鎌はもう首元にある。回避は不可能。あとは刈り方を選ぶだけ。
それでも、どうしても、受け入れられないのなら。
それは、絶対必死の遊戯盤、それそのものを壊す他にない。
一人だけなら、死んでもよかった。
だが死神はもう片方の鎌の慰みにネージュ・ミーガを捉えている。
聖剣を抜いたあの日と同じだ。己のような男のために、輝かしい未来のあるべき彼女を貶めてはならない。
だってそれでは、『英雄の息子』を、輝かしい救世の英雄譚の最後のページを、闇に貶めた奴らと同じじゃないか。
無能の出来損ないなのは、英雄の息子ではなくリオ・ベックマンだ。英雄という言葉を蔑称へと失墜せしめたのは、己の無力と人々の悪意だった。
光があるだけ影は生まれる。
そんなものは間違っている。
輝く光は輝く光。蠢く影は、蠢く影だ。
光には、なれなかった。
それでも影にだけはならない。
他者の光輝を貪り食らいせせら笑う、意地汚い獣にだけは、絶対にだ。
「ミカエラ」
「え?」
アムクゥエルが弾かれたように振り向く。先の怒りもどこへやら、その瞳には無限に広がる青空があった。あの日二人で見上げたような。
久しく呼ぶことのなかった彼女の
きっと最初で最後の再会。
「扉を開けてくれ。大平原に一番近い鍵だ」
「な──正気か!? 君が一人で行くって言うのか!? 冷静になれ! それならまだ全部放って逃げ出してしまうほうが遥かに良い!」
「聞いて驚け。びっくりするくらい冷静だ。だから、扉を開けてくれ」
アムクゥエルはいまにも泣き出しそうな
「嫌だ。そうしたら君は死ぬ。なあ、頼むよ。わたしは、他の何を投げうってもいいから、わたしは、わたしは君が生きていてほしいんだ。お願いだ」
「悪いな。確か、あの街の商館の鍵があったよな」
「やめろ。やめてくれ。やめてよぉ」
アムクゥエルはひ弱な一般人だ。
どんな落ちこぼれの冒険者だって、彼女に苦戦する道理はない。強化魔法すら必要ない。
「じゃあな。お前がいてくれて、よかった」
そう。
たったひとり、大層な信義はどこへやら、その清らかなる御身をずっと汚してきた。にもかかわらず、汚されることを、心から笑って許してくれたひと。
「……俺はお前が苦手だったよ。優しすぎて、甘えすぎてしまって、どうしても負い目を感じずにはいられないのに、また頼ってしまう」
負い目は増えていくばかりで、最近ではまともに顔も見れなかった。それが彼女を少なからず傷つけていると知りながら、それでもなお傷つけた。
嫌ってくれれば、ずっと楽だったのに。
アムクゥエルは誓いを違えず、彼女は何も変わらなかった。幼い頃からずっと今まで、暖かい手はすぐそこにあって。
「俺たちは、最悪の大親友だった」
「いかないで。リオ……ずっと──」
アムクゥエル・クウィンヒー。
唯一生涯信じられる
彼女のみぞおちに、手加減に手加減を重ねてひとつ拳を入れる。
必要なのはそれだけだった。すぐにアムクゥエルの四肢から力が抜けた。
つい先ほどまでアムクゥエルの腰に揺れていた鍵束を手に。
鍵を回し、扉を開いた。
最後に、追ってこれないように商館の鍵を抜き取ってから、鍵束を屋敷の側に放り、ドアを引く。そうして、二人の間に長い距離が穿たれた。とてもとても長いその距離を、今まで
「やっぱり、最強の冒険者には、なれないよな」
激しい雨が、商館の窓を打ち付けていた。
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