千人舞踊 3

 玄関先で二人座り込んでしばらく、アムクゥエルの声を背中に聞いた。

 どんな顔をしているのかは背中越しにも分かる気がした。


「……今度はいったいどうしたのかな?」

「竜が出たから、逃げてきた」


 極めてシンプルな回答になったのは、それだけ余裕がなかったからだ。

 言葉の裏の息づかいで状況を理解したアムクゥエルが、いくつもの言葉が喉元でぶつかったみたいにぱくぱくと口を開閉し、やがてようやく「まずは、無事でよかった」と乾いた声で呟いた。


「で、おい。お前は、その、少しは楽に──って寝てんのかよ」


 いつの間にか嗚咽のような苦悶の声は健やかな寝息に変わっていた。

 吐き出した溜め息は安堵の色を強く帯びた。


「彼女の容態は?」

「……疲れ切ってるだけだ。怪我があるわけじゃない」

「何よりだ。おい、誰か!」


 下女にネージュを任せるつもりのようだ。

 こうなったのは半ば自分の責任でもあったので、そこで易々と受け渡してしまってよいものかという思いはあったが、それ以上に事態は急を要している。

 いますぐにも対応を検討し、実行せねばならない。

 苦い思いを嚥下してネージュの身体を引き起こし、下女の背中へと導く。


「それで、詳しく」


 階上に消える背中を見送る間も惜しんで、アムクゥエルに向き直る。


「指名依頼の下見に、大平原に行った。そしたら竜がいた」

「……待ってくれ。あんな街の近くに竜? そんなの、報告されていないはずがない」

「だろうな。つまりそういうことだ」

「そういうことって……依頼から、仕組まれていたって? そんな馬鹿な。曲がりなりにも公的機関からの依頼だろう?」

「発注者はな。おおかた金でつられたんだろう。あいつに花を持たせたい誰かが指名依頼っつー箔をつけさせたいのだと理解するだろうし」

「しかしそれでは、大本は誰だ?」

「さあな。ただ、推測でしかないが……狙いは俺だった気がする」

「というと?」

「少人数でのパーティ編成が認められてた。わざわざBランクに指定してな。俺とあいつがデュオを組んでることを知ってただけかもしれないが、普通に考えて、デュオを組んでるからって指名依頼を断るなんてあり得ないだろう? 二人で来てほしかったんだよ、きっとな。何より──俺は最近けられてた。組合でのいざこざの後からだ」

「それをもっと早く言え!」

「別に尾行自体は珍しくねぇんだよ、俺の場合。っつうか、そういうのは後だ。何より竜をどうにかしねぇと、人死にどころじゃ済まねぇぞ」

「それもそうだが──、いや、わかった。組合に行こう」


 アムクゥエルが鍵束を手に扉を開く。

 現れた組合内部は、どこか慌ただしい雰囲気が漂っていたが、それを割って受付に顔を出すと、嬢が書類の山から顔を上げた。


「ヴラル大平原に竜が出た。『息吹ブレス』は雷。体色は黄、座高は、推測だが、四単位ほどだろう。まだ幼竜だ。登録されているものはあるか?」

「……真実ですか?」

「確かに、こっちとしても嘘であってほしかったな」

「詳しくお聞かせください。実のところ──それはいままさに張り出されようとしていた緊急指令の対象に一致します」


 アムクゥエルと顔を見合わせて、職員の後に続いた。

 これだけ短いスパンでこの個室に来る機会は以後訪れないかもしれない。だから何というわけではないが、与えられるべき緊張は少しだけ和らいだのは幸いだ。


「つい先ほど、シュテルメルク領ハオドスの象牙塔から使者がありました。研究目的で拘束していた竜が、忽然と消え失せたそうです。早朝の点検では、竜はもちろん各種拘束具にも問題はなかったとのことですので、最低でもそれ以降の脱走のはずですが──本当に大平原に?」

「間違いないな。転移している。脱走は人為的なものらしい」


 転移は本来魔王の権能だ。竜は扱えない。


「まさか、そんな……」


 顔を青くする受付嬢の気持ちも分からないではない。当然だが、竜を収める施設には竜を収められるだけの用意がある。何者かに首輪を解かれるなど本来あり得ないことで、ならばまず疑われるのは内通者という線だ。そうでなくとも、組合直下の研究機関での大失態という点には変わりない。

 しかし、そこは腐っても組合の顔。すぐに気を持ち直して話を続ける。


「すぐに緊急招集ユニオンをかけます」

「ああ、一応ネージュ・ミーガ宛の大平原殲滅依頼の進退について依頼人に尋ねてくれ。あと、恐らくだが、大平原の扉は破壊されてる。これは確かに確認したわけじゃないから何とも言えないけどな」

「……了解しました。少々お待ちください、確認して参ります。それでは」


 受付嬢は足早に退室し、扉が閉まる音が防音の部屋に消えていく。

 その沈黙を破って、アムクゥエルは肩をすくめた。


「今回ばかりは、彼女たちも素直だね」

「まあ、竜だからな。このまま素直にいくと楽なんだがな」

「それはいったい、どういう?」

「もう詰みな気がするんだよな、わりと。まあ、すぐ分かる」


 そう──すぐに分かる。

 組合の職員が複雑な表情を抱えて部屋にやってきた。


「リオ・ベックマンさん。件の依頼に関してですが──」

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