千人舞踊 2
予感通りアムクゥエルには頭を抱えられてしまったが、そんな彼女はさておいて、ネージュと大平原に偵察に向かう。物理距離ではだいぶ離れていることもあって、転移扉をくぐるまで快晴だった空もどんよりと暗んでいた。
明日は街も雨かもしれない。
「見たところ目立った異常はないようですが……」
「まあ、見て分かる罠ならいいんだけどな」
適当な軽口を返しながら、自分の目でも大平原を一望する。魔物の量、質、共に正常。地形にも異常な点はない。
そしてふと空を見上げると、ついに雨粒が落ちてきた。ぽつりぽつりと降り始めたと思えば、突如として雷を伴ってバケツをひっくり返したような大雨へと変貌する。すぐにネージュが障壁魔法でその場しのぎの傘を形成したが、その僅かな間で二人はすっかり濡れねずみになっていた。
「こんな雨降るとこだったか?」
「そんな話は」
もはや滝壺のごとき雨音にかき消されて会話もままならないほどだ。
「こりゃ、出直したほうが──」
そのとき、ぞくり、と寒気が身体を貫く。身体が濡れたから、ではない。何か触れてはならないものに触れてしまったような、不可逆の悪寒。
考えるよりも先にネージュを抱きかかえてその場を飛びのくと、直後、先ほどまで二人の立っていた場所を雷撃が襲った。
「な──」
真横から飛んできたように見えた奇妙な雷の出どころを追ったネージュの瞳が驚愕の色で固まった。集中が途絶えて傘の魔法が途切れるのも、そして降りかかった豪雨に濡れる自らにも気づかずに、ただただ瞳を一点に捉えて動かない。
無理もなかった。
だってそこには竜がいたのだ。
竜。それは物理存在として最強の魔物である。
強靭な肉体は生中な剣では傷ひとつつけられず、反対に尻尾の薙ぎ払いでも受ければどんな防具も紙一枚同然にぺしゃんこになるだろう。
また同時に、それは魔法存在として最強の魔物である。
この星の何よりも頑強な幻想性を誇る『竜』という概念は、あらゆる魔法に抵抗を持つと同時、強大な魔法を湯水のごとく出力する。
もはや魔物というより天災に数える方が適当な災厄。単一個体として最強の魔物。それが竜だ。
ただし、大軍団を伴う魔王とは違い、竜は悪くても番の二体が最大の群れだ。
魔王に打ち勝つ大英雄を必須とするような相手では、ない。現代においても、つい半年前に一頭の竜が
ただしそれも、上級冒険者五十人強のうち半数近くが五体満足に帰らなかった。
たった二人の人間、まして片方が中級冒険者という戦力で太刀打ちできるわけがない。
「撤退しましょう。私が殿を務めます。リオ様は転移扉まで撤退を」
「……いや、たぶん、無駄だ」
「それはそうでしょうが──」
「そうじゃない。この状況がどこぞの誰かの狙いだったんだよ。竜のいると分かった場所に送り込んだのか、あるいは竜自体を送り込んだのかは定かじゃないが、どちらにせよ転移扉という分かりやすい逃げ道が残っているとは考えられない」
「──……そう、ですか」
「だから、少しだけでいい、時間を作ってくれ。あの固有魔法で頭数は増やせるだろう」
「あなたは?」
「扉を作る。幸い鍵は持ってるしな。鍵穴と扉さえあれば退避できる」
「は? ……そこらのものから、ですか?」
「魔法でだよ」
「しかし魔法産物では、転移鍵は──」
転移鍵は物理的な扉にしか使えない。魔法を対象に含めるということは概念を対象に含めるということであり、ふとした『扉』に対して予期せぬ転移を発生させかねない。それゆえの安全装置的な仕様だ。
「魔法の水を、ただの水にする程度の奇跡だよ」
「……水だけでは、ないのですか?」
「まあ、誤解させようとしてたのは事実だな。だがまあ、ほら、お前はわざわざ見せてくれたし。俺もつまびらかにしておこうと思ってね」
「しかし、それでは……いえ。帰ってからにしましょうか。
増殖したネージュ達が散り散りになって竜を取り囲む。それぞれそれなりに回避行動を取っているが、竜の一撃に触れた端から魔素の光に還っていく。時間はあるが多くはない。
だが決して焦ることのないように、呼吸を落ち着けて大地に手を付けた。
錬金の魔法で液体として取り扱えるようにした土を、障壁の魔法で取り囲むようにして成型し、一面ずつ火炎の魔法で焼成してパーツをそれぞれ製造する。手順だけ聞いてしまえばさほどのことではないが、特に焼成の段階では三つの魔法を同時に使うことになるので、精神の磨り減り様が並大抵でない。
だがそれも、やっとの思いで作り出した扉に枠と取っ手を取り付ければ、残すは最後の仕上げのみだ。
「
本人と見えるネージュがやって来たが、極度の疲労故かその顔は青い。
「本物だよな?」
「はい。今、解除します……あの、手を、握っていてくれませんか」
「はぁ?」
だがいちいち問い質す時間も惜しいのでネージュの手を取って握ってやる。
「すぐに扉は開けられますか?」
「ああ」
ネージュと繋がれていないほうの手は既に鍵穴に屋敷への鍵をつがえている。
「では……解除します」
遠くに見えていた残り数人のネージュの姿が立ち消える。ぐっと痛いほどに握られた手で、ネージュの身を引いて扉を閉める。扉の隙間に荒れ狂う稲妻を見たが、間一髪、扉が閉まるほうが早かった。
「あ、ああ、ぐ……」
「……おい? 大丈夫か」
「ええ、はい、あは、は。身体は、ええ」
血の気の引いた顔でがたがたと震えるネージュはとても大丈夫そうには見えなかった。だが言う通り外傷は見当たらず、魔素の反応はしっかりとあるので魔素切れというわけでもない。
ひとつひとつ可能性を潰していく過程で、ふと妙な引っ掛かりを覚えた。確か、固有魔法の後には意識が混線するとか──。
「……まさか、分身も死んだらマズイのか?」
「いえ。長く、影響が残、残るわけでは、ありません。……しばらくは、こう、なりますが。あは」
返答は、つまるところ肯定だった。
死を前にした
「……すまん。気づける要素はあったのに」
「最善手です。お気に、なさらず」
「何か、罪滅ぼしってわけじゃないが、俺にできることは?」
「手を、そのまま……。あなたを感じていられれば」
私が生きていることを思い出せるから。
「……ああ」
震えるネージュの肩を抱き寄せた。
思えば、母が生きていたころには、孤独はこうして溶け合う二人の心の音で癒していた。
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