願い願えど 5
「ちょっと、悪い」
「はい? ああ」
転移扉から離れた木陰で靴の紐を結びなおす。というのは建前で、自分たちが通ってきた転移扉が続いて開いたりはしないかと目を光らせる。
だが両の靴紐を結い直すまでそのときは来なかった。
さすがに転移先での待ち伏せくらい警戒するか。
「行きますか?」
「ああ。悪いな」
確証のないことで煩わせても仕方ないので、改めて闇蝙蝠の巣に向かうことにする。
それに、距離の取り方からして、あれはあくまで監視だろう。直接手を入れてくることはない、はずだ。きっと。
闇蝙蝠の巣となっている洞窟はいくつか点在しているが、帰りの苦労を減らすため転移扉に最も近い場所を選んだ。
暗い巣窟を前に、ネージュは持参した武器品々を地面にばらまく。
一体何を始めるのか──その疑問に答えるように、ネージュはこちらに柔らかい笑みを送る。
「では、ご覧に入れましょう。我が固有魔法。天に眠る望月の如く静かに、吹きすさぶ白雪の如く激しく、舞い落ちる花が如く鮮やかに。──
魔素が励起し、地面に散らばっていた武具が各々空中に浮かび上がったかと思うと、次の瞬間、それらは等しく白い手の内に収まった。
ネージュの手だ──ただしそれぞれ別々の。
己が手の武具に応じて三者三様に構えを取った二十人にも及ぼうかという人影は、そのすべてがネージュとまったく同じ姿をしている。
一言で言うならば、それは分身の術。
だが分身といえど明確に形を持っているのは明らかなだけでなく、ネージュ達は一斉に闇蝙蝠の群れと戦闘を開始、それぞれがそれぞれの戦い方で闇蝙蝠たちを討ち滅ぼしていく。
ある者は剣で切り込み、またある者は槍で間合いを保ちつつ迎撃に努め、またある者とある者は追い込みと範囲攻撃を分担して闇蝙蝠の集団を一網打尽としている。
極めて優れた兵士を表すものとして『一人軍隊』という異名があるが、まさか本当に一人で複数の隊を編成する兵など誰がいようか。
本来真っ向から立ち向かうなど愚も愚のはずの闇蝙蝠の大群は、それこそ瞬く間にどんどんと数を減らしていき、ついには洞窟から出てくる影はなくなってしまった。
「……すげーな。巣穴一個潰れたぞ」
戦闘を終えたネージュ達がこちらに駆け寄ってくる。大まかな行動は同じなのだが、細かい仕草やタイミングはそれぞれで異なっているようだ。
なんというか、こう一斉に美女たちに見つめられると、春売りの店先のような感覚を覚えずにいられない。
しかし、ネージュ達の一人、昼間も振っていた無骨な槍を手にしたネージュが束の間瞑目すると、まるで霧のように周りのネージュ達の姿が霞んで、ついには見えなくなった。からんからん、とそこかしこで武具が地に転がって音を鳴らす。
ネージュ達の消滅とほぼ同時、主格と思われたネージュがかろうじて槍を支えにしているという風にふらふら危なっかしく腰を落とす。
「あは。いかがでしたか?」
「これなら反動も仕方ねぇなっつー勢いだったな。固有魔法でもここまでぶっ飛んでんのは初めて見たよ。だが、ひとつ疑問なのは、魔素切れじゃないならなんでそうなる? そこまで魔法の効力か?」
「いえ。効果を終了した後に前後不覚に陥るんです。なんというか、いくつかの意識が同時に別方向に身体を動かそうとするというか」
「なんつーか、えらい固有魔法だな……魔石は回収するか?」
「いえ、もう遅いですし。もちろんリオ様次第ですが」
「俺もいい。じゃあ、帰るか。ほらよ」
ネージュの前にしゃがみ込んで、背中に誘う。ややあって柔らかい重みが預けられた。
……軽かった。まるで普通の女の子みたいに。
よくもこの身で鬼神もかくやという戦いを魅せるものだ。この魔法の世では珍しいことでもないが。
見下ろす月はどこか切なく輝いている。
「月は」
耳元でネージュが囁いた。ふとしたときにかかる小さな吐息がこそばゆい。
「月は時に人を狂わせるのでしたね」
「ああ、そう聞くな」
「あるいは、私もまた狂わされたのかもしれません。あの誓いの日もこんな、月の綺麗な夜だった。人が太陽に惹かれるならば、月に惹かれるも自明でしょう」
「その心は?」
「太陽をなくして月は輝きませぬ故に」
「そうかい。そりゃ、そうだ」
月はそれ自体でなく、太陽の光を受けて初めて輝くものだ。そしてそれが知られるより以前から、月狂いの伝承は多数存在する。もしかしたら、感覚としては知っていたのかもしれない。それは日々人が満身に浴びようとするあの光であるのだと。
太陽と月は、同じだ。
周りの色が違うだけ。
空の月もまた、白い肌のように美しかった。
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