願い願えど 3

「彼女は強いね」


 食事を終え、ネージュが部屋に戻った後。アムクゥエルが唐突に口を開いた。

 マオは雰囲気を察したのかこちらを一瞥して階上に消えていく。


「そりゃ、Aランカーだからな」

「そうじゃなくて。彼女はもう前を見てる」


 とぼけてみせたが、あえなく訂正されてしまう。早めに席を立っておけばよかったと後悔にふけりながらティーカップを傾ける。今更腰は上げられない。


「まあ……、な」

「わたしとは、違うな……。やっぱり、戦士か否かかな。上級冒険者はみんな、彼女のように、なんというか……自分を貫ける人が、多い気がする」


 冒険者組合の有力者たるアムクゥエルの言葉だ。きっと数多くの強者を目の当たりにしてきた上での、率直な感想なのだろう。こちらにも覚えはあった。

 英雄はあらゆる感情の坩堝るつぼの中に生きるものだ。その一端を大英雄の息子は知っている。


「上級冒険者であるほど、周りの人間を亡くすものだ。精神的な強さは身体的な強さを必ずしも導かないが、その逆は言えるだろうよ」

「そうかもしれないね。……わたしも、鍛えられればよかったな」


 それはこのところ耳にしなかった、かつてのアムクゥエルの口癖だった。

 筋肉の付き方には当然男女で差があるものだが、彼女はそれに輪をかけて痩身矮躯の体質である。どれだけ食べてどれだけ動いても、彼女の身体は小さなままだ。


 そのうえ彼女は魔法の才にも恵まれなかった。

 魔法の素養は三つある。ひとつはどれだけ繊細な操作を可能とするか。ひとつは最大出力がいかほどか。

 そして、最も重要なのが、どれだけの魔素をその身に留めておけるかだ。


 そもそも魔素の語意が『魔法の素材』であるように、魔法には必ず魔素が必要だ。それは魔法の三原則のひとつ、魔素等価の原理──すなわち魔法の出力結果は消費した魔素の量に比例するというルールにも表れている。


 ゆえ逆説的に、残り二つの才能がどれだけ優れていようと、魔素保有量が少なければすべてが無用の長物なのだ。

 そしてそれがアムクゥエルが魔法を扱えない理由である。


 幼いころはそれでも無理して魔法の練習に励んで、その度に魔素切れを起こして昏倒するのが常だった。

 これじゃ誓いを果たせない──。

 そして目を覚ました彼女はそう言って泣きじゃくるのだ。


 誓いは固く、ゆえに無情だ。

 それは二人にとって呪いにも似ていた。


「ごめん。少し弱気になってるみたいだ」

「おとといの件なら、面目ない」

「それもあるけど。組合の先行きの不安とか、あと何よりヴィスカロン卿がね」


 アムクゥエルが開封済みの便箋をこちらに滑らせる。今日の夕方届いていたものだ。

 以前からのしつこさは健在らしい、と嘆息しつつ手紙に目を落とし、健在どころか悪化しているのかと天を仰いでしまいたくなった。


「まあ……貴族の娘としちゃあ身を固めるのが遅すぎる、ってのはその通りだよな」

「だからって、私と婚姻を結べない理由があるのなら明確にそれを示していただこうとか言うかい? もちろんわたしにはリオがいるわけだけど。それがなくても貴公とは連れ添いたくねーよってんだ」

「あれじゃあな……」

「まあ、適当にそれっぽく誤魔化しておくよ」

「キッパリ断るためにも、もうそろそろ本気で伴侶を見繕ったらどうだ」

「あとはキミが頷くだけだぞ?」

「バカ。お前と俺とじゃ、不相応だ」


 貴族と平民が結婚するだけならまだ多少白い目で見られるくらいで済むだろうが、英雄の息子という大悪評を背負ってはお家が立ち行くまい。

 貴族とは生まれつき不自由のない者であると同時に、生まれつき自由のないものである。名声や特権には相応の社会的貢献が求められ、その将来は家をより強くするために使われるものと定められている。結婚相手などその最たるものだ。

 古今東西、自由恋愛を為した貴族の子が真に幸せになった試しはない。


 クウィンヒー卿もはっきり諫めればいいものを。

 彼は貴族としては優しすぎる。


「そうだね。リオとわたしとじゃ……不釣り合いだ」


 アムクゥエルもそう言って笑った。彼女とてそれは分かっているのだ。

 笑顔の下の切なさは、隠し切れていなくとも。


「そろそろ戻ろうか。書庫はまだ使うかい?」

「いや、十分だ」


 書庫の鍵を手渡す。

 指先が小さく触れ合ったが、そこに熱を感じることはなかった。

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