この世界に必要なもの 4
「というわけで、こいつは精霊の一種らしい」
明朝、アムクゥエルたちにはそう説明した。
アムクゥエルについてはさほど心配ないだろうが、ネージュに魔王への恨みつらみがないとも限らない。それに、わざわざ魔王ですとおおっぴらに説明する理由もなかった。
「精霊……精霊って、あの、
「……だな」
「あは。だとしたら、とっても珍しいですね。どのような精霊なのです?」
「伏されてあるほうがよかろうて。観測されれば否応なしに栄光と破滅を生むのが我々よ」
「それもそうだね。うーん、まあ、承知したよ。しかし、それでは何と呼べばいいだろう」
「む? うーむ」
顎を撫でながら目線を飛ばしてくる。何かすぐに思い付けるものがあればよかったが、何かに名前を付けることなど長らくなかった。
「適当でいいんじゃないか」
「……では、マオとでも」
適当にしたって安直すぎるネーミングだが、幸いにして二人の表情が曇ることはなかった。
「でもどうしてリオと精霊が?」
「
「……リオ? リオ・ベックマン?」
「なんだよ」
否定しようにもできないので、諦めて両手を上げて肩をすくめた。アムクゥエルの険のある目付きがマオを一通り眺めて、何に気づいたか急に柔らかな雰囲気を醸しだした。
「……いや、やっぱり許そう」
「なんでにやけてんだよ」
「いやあ。ネージュ嬢が好みと言われたらわたしは歯ぎしりするしかなかったけど、うん、よかったなあと思って。しかし、この体型のわたしが言うのもなんだが、年齢も分からないロリっ娘を口説くのは結構ヤバいと思うぞ。ヴィスカロン卿が思い出されて、若干寒気がする」
「……あれと同じ扱いは、心に刺さるな」
「ヴィスカロン卿とは、どなたでしょう」
ネージュが首を傾げていたので、単刀直入に事実を告げる。
「こいつに惚れてるキチガイ」
「……間違ってはいないが、いくつかの問題さえなければ有能な人物でもあるだろう? ガラホトール・アッへ・ヴィスカロン、南風のヴィスカロン。ここから南に二十里ばかり行ったところ、ハープナイ近郊に領地を構える有力貴族さ」
そう──女性関係と、あの己の解釈が世界の解釈と素面で豪語しそうな性格さえなければ。実際ヴィスカロン領は善政の結果周りと比べて相当豊かであり、また同時にお抱えのガラホトール商会は主に冒険者に向けた安くて保ちの良い商品を多数取り扱い、世界的に評価されている。
何を隠そう今腰にある三振りの短剣もガラホトール商会製だ。
ネージュもガラホトールという名前を聞いて思い当たったようで、得心がいったと頷いている。
そして、冒険者組合関係者であるアムクゥエルと、冒険者に商品を提供するヴィスカロンは、その縁で何度か顔を合わせていて、どうもそこで厄介なことになったらしい。求婚も一度や二度ではないとか。
なまじ表向き地位と名誉と将来性のある好青年であるから断るのも一苦労とアムクゥエルはよく漏らしている。主に、わりと乗り気の父親を諫めねばならないという点で。
と、黙って聞いていたマオがゆっくりと顔を上げ、不機嫌そうに唸ってみせる。
「……我の知る世界とはやはり変わっておるのだな。ヴィスカロンも、ハープナイも、まったく覚えがないわ。ろりっこだとか、言葉もいくつか分からぬ。いくらかの寂寥があるのう」
「ヴィスカロン家はともかく、ハープナイは二、三百年じゃ利かない古都なんだけど……マオ、君何歳なんだい?」
「乙女の秘密というやつぞ」
「あは。古都よりも昔から、乙女は乙女なのですね」
「うむうむ。ところで、当世を学ぶに書物を読む、というのは変わっておらんか?」
「ああ。だが……大丈夫なのか」
「文字を読めるや否やと?」
「いや──」
『書物から受けとる感情とは、文章を理解した己の内に想起するものだ。そこには想起を刺激する工夫こそあれ、筆者の感情などはない。心配は無用ぞ。あるいはお主が予め改めたもののみとしてもよいが、どうする』
頭の中に直接響くようにして、聞きたかった本当の答えが返ってきた。相変わらず耳の奥で砂糖を融かされたような感覚で、無意識に背筋が凍る。
だが大丈夫と言われても、出来ることはしたい。
万一にも悪感情を受け取ってしまい魔王が顕現してはことである。
「……通訳、するか?」
「では頼もう」
「書庫を開けていいよ。はいこれ、カギ」
渡されたのは銀色の小さな鍵。魔鍵ではなく通常の鍵で、館の地下に設けられた書庫を開けるものだ。書庫にはアムクゥエルが実家から持ち出した本に加え、定期的に冒険者関連を主とした書物が入っている。
「どうも。あんたも、今日は冒険者稼業は休みでいいか?」
「はい。私もちょうど、昨日の火炎袋を加工する作業がありますから」
そちらもそちらで多少気にはなったが、魔王復活ひいては世界の存亡よりは重要度の低いイベントである。
「んじゃそういうことで」
「後でわたしも行くよ。変な劣情をもよおしてもわたしが行くまで我慢するんだぞ、いいな!」
「しねーよ。変態貴族」
「……卿と一緒にされたくないという気持ちは痛いほど分かったよ。少し控える、うん……」
やっぱアレと一緒はなぁ。
かくしてネージュやアムクゥエルと別れ、マオと二人で地下書庫へと向かった。
地下にこうして人が入ることは多くないが、掃除は行き届いており、こうした場所にありがちな、灯りを反射して埃が一面に輝くようなことはない。ただ、本には年季の入ったものも多く、心地好い程度のカビ臭さはやはり存在していた。
マオの指定に合わせて探した本を斜め読みして、問題なかろうと判断したものを隣のマオへと流す。通訳という建前は建前でしかなく、マオはぱらぱらとテンポよくページを捲っていった。
ただ、いくらテンポが良くとも、流し読みと熟読とでは数倍の差がある。マオの目の前にはいつしか未読の本で山ができていた。
しばらくはこれで良いだろうと自分の本を探すことにする。
読みたいのは、魔王についてのことだ。
しばらく書庫を右へ左へとやっていると、何冊かそれらしい本が見つかった。どれも、カビ臭さの演出に一役買っていそうな古い本だ。
魔王は、倒してもおよそ四、五十年周期でなぜか復活する。出現時から時を経るほど倍々に強くなり、百年以上倒されないことも少なくない。そしてそうした時には必ず英雄と呼ばれる傑物が現れて、百余年続く大魔王の暗黒時代を終わらせる。
こうして見ると、しっかりと理由のある魔王のサイクルよりも、定期的に現れる英雄のほうが謎である。
ともあれ、マオの説明以上のことを記載している書物は見つからなかった。ただひとつ、他にも増して古くぼろくさい一冊の本の一文に興味を引かれた。
『魔王が倒された後、英雄が何処からか娶った少女には一対の角があった。その角から竜の巫女と呼ばれた少女には、争いを治める力があり、この後長らく世界は平和になった』
これはもしやと、顔を上げてマオへと問いを投げかける。
「なあ」
「うん?」
「あんた久しぶりつってたよな、人と触れ合うの」
「うむ。千年越しにはなろう」
「要するに一度はあったんだな? 有史以来魔王としてやってきたにも関わらず」
「……うむ。あった」
「ところで竜の巫女って知ってるか」
「……書物に書きてしか?」
「ああ。五百年前の歴史家様の本だが……当時はまだ千年前の文献が残ってたんだろう、違うか」
「……うむ。竜の巫女、そう呼ばれたこともあった。まこと幸せな時間だった」
マオは本を捲る手を止めて、想いを馳せるように目を細める。
「あのときの英雄は自己概念を専門とする魔法使いでな、己の内に潜む我に気づき、救ってくれた。歴代で一番長く、浄罪機構としての役目を全うできた時間。我を我でいさせてくれた時間。……七十年ほど、だったかの。今まで過ごした久遠の時に比べれば短い時ではあったが、今まで過ごしたどの時よりも大切な時であった」
「……それでも、駄目だったのか?」
「うむ。我は魔王。人の世を膿む癌。竜の巫女と敬れようと、小康状態にしかならなんだ」
「……そうか」
「過ごした日が美しく、大切であるほど、その落日は切なかった。いつまでも老いない竜の巫女は、かつて英雄と呼ばれた男を看取ったとき、死神へと名前を変えた」
「話さなくていい」
「──あのときばかりは、ぼろぼろと、見た目通りの生娘のように涙を流したのう。槍に貫かれながら必死に許しを乞うたが、叶わなんだ。身体の痛みはよい、何度も死を経てきたのだから慣れておる。だが、かつて笑顔を向けてくれたはずの人間たちから向けられる悪意の、痛く、辛く、苦しいこと。人の悪心を食らうとてついぞ知らなんだあの切なさを、我は『人生』の最後に知った」
「止めろ。……止めよう」
「……済まぬ」
「つまり、一度悪意を以て復活してしまった以上、その後どう良く扱われようと、悪意を受ければ変わらないんだな。その事実だけ知れればいい」
「知ってどうする?」
「……さあな。まだ分からん。だがその方法は取れないとは分かった」
「どうもこうも出来ぬわ!」
鋭い怒声は初めて露になった感情の音色だった。
思わず言葉を選んでしまい押し黙る。
「済まぬ。済まぬ……。しかしお主は、優しい男よの。ここにあって一切の悪意を持たぬか。まるでかつてのあやつのよう。……故にこそ、止めてくれ。お主に言われれば信じてしまう。希望を持ってしまおうよ。そしてまたあの耐え難い苦しみの内に沈むのだ」
本を閉じて棚へ戻して、マオの隣へと、腰を落ち着ける。
「……希望は、持てるなら持てるうちに持っておけ」
「何故。旅路の行き着く先は変わらぬ。荷の増えた分苦しむだけだ」
「荷を運んでるうちは楽しいだろう。あんたも何より美しい時間だったと言っただろう。裏切られることはあるだろうが、自分自身を裏切れば、二度と望みは叶わない」
「……お主は」
「言うなよ。言わずもがなだろ」
「……まだ、希望は持ちたくない。あの絶望を知ってなお希望を抱くほどの豪胆さをまだ持てない」
マオが腕を抱くように身体を預けてくる。
「だがどうかお主、どうかお主がそんな顔をするな」
まるで身寄りのない子供が、寒空の下で身を寄せ合うみたいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます