第二話 この世界に必要なもの

この世界に必要なもの 1

 ──であれば、お主はこの世界に必要だ。少なくとも我にとっては都合の良い受け皿となろう。

 さて、お主の頭蓋で飲む酒の味はいかほどか。月見に杯を交わす日を、首を長くして待っておる。

 待っておるぞ。目映き光の継子よ。


「……?」


 小鳥のさえずりと共に目を覚ます。

 やはりというか、妙な夢を見た気がするが、もう朦朧としていて思い出せなかった。

 誰かに、お前は必要だ何だと言われたような……。だとすると実に夢らしい夢だ。現実に叶わない欲望の捌け口としての夢。


 少々おもばゆくなり、ベッドから降りて思考をリセットする。


 しかし、どうもいやに頭が重い。寝過ごしたかと思い窓の外を見るが、日は傾いているもののまだ明るかった。だが──と、そこで気づく。逆だ。


 窓の外にあるのは、黄昏ゆく寂寥ではなく、黎明を越えて走り始めた一日の姿だった。


「……夕飯、食いっぱぐれたな」


 憎たらしい朝の光を一度睨み付け、各種装備をホルスターに装着していく。最後に聖剣を取ったとき、ふと横目に拾った隣の屑山の違和感を追う。


 どうも昨日見たときと雰囲気が違うような。


「まあいっか」


 たぶん気のせいだろう。

 今はそんなことよりも、何か腹に物を入れたい。


 部屋を出たところで下女の一人に遭遇し、これは好都合と朝食をねだると、すぐに用意してくれた。


 トーストとエッグ、ベーコン、その他適当な付け合わせ。

 少し時間が早かったこともあり、いつもよりは簡単な朝食だが、空きっ腹にはこれくらいで丁度良い。


 胃を労ってゆっくりと手を進めていき、最後の一口を放り込んだあたりで、食卓に欠伸混じりのアムクゥエルが現れた。


「んあ? おはよ」

「おはよう」

「珍しく早いね。まあ当然か」

「あんだけ早く寝りゃな。つか起こせよ」

「起こそうとはしたよ。起きなかったけどね。おかげで独り寂しい夜だったぞ」

「マジで欲求不満なのかよ。一人でやっとけ」

「貴族の娘になんてことを」

「嫁ぐ前のお嬢様が処女じゃねぇのはどうなんだと」

「まあ、私財を全部君の資金に計上している時点でお察しだろう? クウィンヒーは私の代で終わりさ。お、ありがとう」


 朝食のプレートを置いた下女に礼を言い、アムクゥエルは焼き立てほかほかのスコーンを熱そうにちまちま齧り始める。

 こちらには別の下女が紅茶を淹れてくれたので、少しずつ飲みながらアムクゥエルの朝食に付き合う。


「で? 昨日俺が寝たあと何かあったか?」

「特には。話はつけてきたから、露骨に拒絶されることはないと思うよ。けど、一応今日はわたしも一緒に行こう」

「手間をかける」

「いいさ、このくらい。というかもっと頼っていい。そうだ、久々の負けだったし、装備を新調しようか?」

「いや。白状するが、酔ってたんだ。あり得ないミスだった」

「ばか。何で飲んでから剣握ってんだ、っていうか何で外で飲んだ! 飲むならわたしと飲めよ!」

「だってお前と酒囲むとめちゃくちゃ飲ませんじゃん……」

「だって君べろんべろんまでいかないと押し倒してくれないじゃん」

「だから。婚姻前の貴族が身体を許すな」

「で? 何かあったのかい? 君そもそも普段飲まないだろ」

「また仕度金が減るんだと。冒険者全体の」

「君とわたしには関係なくないか?」

「まあ俺はいいけど。冒険者の未来を憂いてたんだよ」

「なるほどねぇ。出資を増やしてもいいけど……」

「金があってもな。組合っつー組織の問題だ。もう少し下級冒険者について色々締め付けねぇとどうにもならん」

「だろうね。一応、定例会では毎回提言を出してるんだけど」

「……まぁ、察するに。待ってるんだろうな。新たなスターの誕生を。誰よりも英雄に夢を見てるのは、きっと組合のお偉方だ」

「かもなー」


 だから入口だけは無理してでも広げ続けている。


 ただ、組合の心境も分かるのだ。十六年前、魔王という明確な脅威があったからこそ、冒険者たちは一丸となって戦えていた。

 しかし今は英雄の夢に各々手を伸ばすばかりで、内の繋がりはガタガタだ。


 だが、魔王なくとも、英雄のような、皆が一列になって後に続かざるを得ないカリスマさえ居れば、それを主軸に組織を立て直せる。


 もっとも、それを求めるあまり余計にガタつかせているわけだが。


 嘆息は紅茶で無理やり飲み干した。アムクゥエルもちょうど皿を空にしたところだ。


「ところで、ネージュのやつは?」

「ん? あー、アナさん! ネージュ君を見たかい?」

「ミーガ様でしたら、既にお目覚めです。何でも鍛練をなさるとかで、裏庭へご案内しました」

「ありがとう。行ってみるよ」


 ポットの注ぎ先を訊ねると、アムクゥエルは首を横に振って席を立った。肩をすくめてポットを机上に戻し、後を追うように椅子を離れる。


「しっかし、真面目だねぇ、どうも」

「鍛練は良いことだ。君は……三日坊主だったね」

「……そうだな」

 

 変に転がってしまった会話を、せめてその場に留め置いて、裏庭へと歩き出す。少し早足になっているのに気づいたが、改めはしなかった。


 果たして裏庭ではネージュが槍を振っていた。昨日彼女の部屋で見た中にあった気がする、無骨な槍だ。


「おや、おはようございます」

「おはよ。飯食ったのか?」

「あぁ……あは。普段摂らないもので、忘れていました。明日からはご一緒します」

「別に無理に合わせずともいいさ。俺たちだって、たまたまタイミングが良かったときにしか顔合わせて食ってねぇし」

「……では、お言葉に甘えて、そのように」


 二人の歩く速度の差のぶんだけ遅れて、アムクゥエルがやって来る。ネージュは束の間怪訝な顔を見せたが、すぐに笑顔で取り繕った。


「おはよう」

「おはようございます、アムクゥエル様」

「こいつ、朝飯食わねぇタイプなんだとさ」

「ん? そうだったのか」

「お手数おかけします」

「手数というほどのこともないよ、承知した。ところで、鍛練って、毎日やってるのかい?」

「はい。起床から一時間ほど。ちょうど終えるところです」

「五時起きかぁ」

「よく起きれるよな」

「あは。何事も慣れですよ。……ところで、リオ様。昨日は大丈夫でしたか? 夜に入ってからというもの、随分うなされていたようですが。苦しげな声が外まで聞こえていましたよ」


 一応記憶の棚を探ってみるが、なにせ起きるまでまだ日の入り前だと思っていたくらいである。夜のことなど微塵も残っていなかった。


「いや。少なくとも、覚えてねぇから、きっとどうでもいいことだったんだろ」

「何もないならよいのですが」

「やかましかったかね?」

「いえ。ほら、幸い耳栓を用意していましたから。あは」

「……さいですか」


 なぜこの見目麗しきお嬢様方は好んで下ネタを拾いたがるのだろう。


「ところで、朝の用意が済んでいるなら組合に行こうか。昨日の今日だ、人が少ない内に行ったほうがいいだろう?」

「はい、私は大丈夫です」

「ああ」

「じゃあ行こう。あ、魔鍵カギあるよ」


 魔鍵は、魔王討伐後その魔素遺留物から開発されたもので、あらかじめ登録されている『行き先の扉』と鍵を回し『解錠した扉』を繋ぐ、一種の魔導具。

 ようするに、任意の扉を介して瞬間的な長距離移動を可能とするものだ。魔王の残した爪痕の復興はこれ無くしては未だ成らなかったという。

 魔王が遺した唯一の正の遺産とも言える。


 そして、アムクゥエルの持つ『組合本部への鍵』は冒険者組合への出資者のうち、一定額以上を納める者に配布される、いわば関係者用の裏口のようなものだ。


 アムクゥエルが鍵束から探し当てたその一本を鍵穴にあてがうと、がこんと重い解錠音と共に扉が開き、組合本部の廊下へと通じた。


「……ああ。おはようございます、クウィンヒー様」

「うん、お疲れ」


 扉の左右に立つ守衛と挨拶を交わすアムクゥエルに続いて、エントランスへと逆行する。


 まだ七時前ということもあり、早寝遅起きがちの冒険者たちの姿はまばらだ。それでも、エントランスに足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線がこちらに向いた。


「……ん?」

「どうかしたのかい?」

「いや、なんでもない」


 敵意を感じない。冒険者たちの歪んだ表情に敵意がないようには思えないが、それを敵意として感じられないのだ。

 寝過ぎて頭が動いていないのだろうか。まるで感情というリソースの底が抜けてしまったようだ。


 ……しかし、気にならないなら気にならないでいいか。誰だってわざわざ嫌な思いはしたくない。

 透明な視線を無視しつつ、改めてネージュとパーティー登録をして、掲示板に向かった。


 冒険者や魔物のランクと同じように、組合で受けられる依頼にもランクが定められている。


 魔王領域への採取キャラバンやひとつの地域での魔物の一掃など、連戦が見込まれる依頼は自ずとランクも高くなるが、依頼の過半数は、理由こそ様々だが、大方『どこそこのあれを倒してくれ』というものだ。


 そういった依頼は単純に対象となる魔物のランクと同じになる傾向が強い。自分の冒険者ランクと同じ依頼を受けるのが多くの場合最適ということだ。


 加えて、身の丈に合わない依頼でいちいち死なれてはたまったものではないので、組合では通常自分の冒険者ランクからひとつ上のランクまでの依頼しか受注できないようになっている。

 それでも、Bランクの闇蝙蝠に殺されかけたCランク冒険者なども後を絶たないわけだが。


 そういうわけで、Aランクの冒険者とCランクの冒険者がデュオを組む場合、受注可能なのはBランクの依頼までとなる。


 依頼掲示板に貼り出された依頼の数々を二人と共に眺めていく。


「これはどうだ?」

「夜光鳥ですか。……リオ様は、夜間戦闘を得意となさるので?」

「得意っつーよりかは、夜に出る魔物は強さの割にランクが高くなりがちだろう?」


 言わずもがな、夜は人間にとって戦いづらい故である。

 だが、向こうが強いかこちらが弱くなるかで、リオのように後者を選択する夜型の冒険者は、少ないながらも、ある程度は存在する。


「なるほど」

「まあ、どっちにせよあんたのほうがいい戦力だ。昼のほうがいいってならそっちにしようぜ。そのほうが楽に済むだろ」

「わたしとしては日中で行ってほしいな。リオはまだ本調子じゃないだろ? 夜は休んだ方がいい」

「……じゃ、夜光鳥は却下だな。あんたは何かあるか?」

「では、火吹き竜などいかがでしょう?」


 ネージュの指差したのは火吹き竜の革と魔石の納品依頼だった。報酬は良くも悪くもなく。


「ちょうど、素材として火炎袋が欲しいのですが」

「あぁ。んじゃそれでいいんじゃないか」

「はい、受注報告してきます」


 ネージュを待つ間、辺りをぐるっと見渡してみる。

 やはり、集まる目玉たちには何の悪意も感じられなかった。強く意識しないと、見られていることすら気づけなさそうだ。


 見えないものを見ようと眉をひそめていると、アムクゥエルが心配そうに声をかけてきた。


「気分が悪いのかい? こんなにあからさまにガン飛ばされたら無理もないけれど」

「あー……お前は、感じるのか?」

「は? ……大丈夫かい?」

「なんつーか、俺も『気にしない』っつーことを覚えたのかもな。特に何も感じない」

「……寝過ぎて頭回ってないんじゃないか?」

「だよな。今日は後ろのほうで大人しくしとくわ」


 ほどなくネージュも帰ってくる。変わらず心配顔のアムクゥエルに手を振って、依頼の地へと扉を開いた。

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