英雄の子 4

「おや、お帰り。いい仕事がなかったのかい?」

「まあな。ちょっと喧嘩してきた」

「は!? 誰と、どこで!?」

「……あー、なんだっけ。忘れた。Bクラス冒険者で、固有魔法ででっかい腕だす筋肉ダルマだ」

「ああ、まあ、Bクラスならさしたる問題には──待て。……固有魔法を使われたのか? え、そういうレベル?」

「ああ。あと、揉め始めたのは組合の中で、目の前の広場で殴り合ったよ」

「ちょおい! ちょっと行ってくる! ……一応聞くけど、君が吹っ掛けたわけではないよね?」

「するかよそんなめんどいこと」

「まったく。貸しだからな、今夜中に返してくれよ」

「何だよ。欲求不満か?」

「うるせー!」


 アムクゥエルはいつも以上に貴族のお嬢様らしからぬ乱暴さでどたどたと駆けていく。まあ正直そうなってもおかしくないことをした覚えはあるのだが。


 最強の冒険者になる──あるいはそれを見守るには、冒険者でなくてはならない。

 今回の騒ぎでライセンス取り消し処分にでもされたら、ゼロを通り越してマイナスからのスタートになる。


 ただ、アムクゥエルにすがるようでいただけないが、クウィンヒー家は組合の有力な資金源のひとつだ。

 組合とて、その息のかかる者に直接的な罰は与えにくい。まあ、態度など直接的でない部分は昨日までに増して厳しくなるだろうが。

 アムクゥエルもその釘を刺しに行ったはずだ。


「しかし……」


 道中何度か試してみたが、やはり抜けない。

 聖剣は、先ほど抜けたのが嘘のように固く閉ざされてしまっていた。戦闘中か否かという条件ではないのは、昨日の醜態からも自明である。


「なんでさっきは抜けたんだろうな」

「普段は抜けないので?」

「あぁ。今までに二回しか抜けてない。一回はさっきのやつ。もう一回は、ガキの頃だ」

「何か条件があるのやも。その二回の共通点を洗ってみてはいかがでしょう?」

「……ははーん、これ、可愛い女の子を守るための剣だったのか」

「あは。光栄です」

「冗談だ。……いや、あんたは可愛いけど。だが、英雄殿は最初から最後まで一人旅だったが、常に聖剣を使ってたらしいからな。たぶんそういう理由じゃない」

「では、婦女子を守れるような人間であるということでしょうか。心の強さというか」

「有りそうな線ではある。それじゃ、やっぱ俺には無理だな。あれは勢いだった。能動的にできることじゃない」

「勢いだとしても、素晴らしいことですよ」

「うるせぇよ。……今日は悪かったな、色々と。あんたの名前に傷がついてないといいんだが、それはさすがに無理があるだろうな」


 あの憎むべき冒険者の恥と親しい、というだけで、玉に傷を付けるには十分だろう。


「いえ。何度も申し上げますが、千の富も万の名声も、私には不要なものですので」

「大層な二つ名を付けられてたようだが?」

「あぁ……。極北の姫君、ですか。魔王領域に突入する冒険者たちの助っ人をしていたのですが、彼らからいつしかそう呼ばれるようになってしまいました。本当に困ったものです。私はただの金物屋の娘ですから。姫君だなんて、身に余る渾名です」

「……まあ、派遣には現地のやつがいたほうが都合がいいわな。しかし……するとあんた、Aクラスでも相当AAに近いほうだろう?」


 魔王領域からの生還率は四割。

 単純に計算すれば、十回行って帰ってくる人間は一万人に一人である。もちろん、実際には十回以上の経験がある冒険者はそれなりにいるが、そのほとんどがクラスAA、冒険者の最高位階級である。


「あは。生まれの問題でしかありませんよ。カンシアはすべての住人が上級冒険者に等しいとも言われますから」

「あー……なんか、悪ぃな」


 魔王領域に近いのだから、魔物の強さも桁違いになる。要するに、力なき者は死ぬということだろう。


「いえ。お気になさらず」


 といったところで、長い廊下を渡り終え客間の並ぶ区画に着いた。


「あー……じゃあ、な。今日は悪かった」

「いえいえ。……ああ、そうだ。折角です。お渡ししたいものがありますので、私の部屋にいらっしゃいませんか」

「渡したいもの?」

「ええ。嫁入りの挨拶にと持たされたものですが、その日は来そうにありませんから。……それに、あれは元々、あなたの元にあるべきものです。得意顔で受け渡すのも、少々おこがましい」

「よくわかんねぇけど、じゃあお邪魔しようかね」

「どうぞ。……と言っても、私よりもあなたのほうが見慣れている部屋でしょうけれど。あは」


 確かにそこは見慣れた部屋だ。客間はすべて同じつくりなのだから当然だが。


 しかし、見慣れないものもあった。

 壁一面に様々な武器が立て掛けられている。どれも一見して装飾用ではないと分かる、飾り気のない実直な武器だ。槍や杖が気持ち多くはあるが、剣に槌に楽器にと種類はてんでばらばら。

 はて、ここは武器屋か何かだっただろうか。


「……こんな大荷物だったのか?」

「あは。私の冒険者稼業に必要なものですので」

「こんな量どうやって使うんだよ」

「百聞は一見に如かずと言います」

「早く組合に顔出せるようになるといいな」


 するとネージュは渋い顔をする。何回も口を開いたり閉じたりした後に、結局おずおずと訊ねてきた。


「……こういったことは、よくあるのですか?」

「まあ、な。なにせあの英雄の息子だ。期待されるし、期待外れなら嫌われるさ。評判抜群の飯屋に行って、その日に限って新米のまっずい飯出てきたらキレるだろ」

「しかし……」

「逆にあんたは期待しねぇのかよ。あんたの婚約者、英雄の息子サマが、少しでも素晴らしい人間でありますようにって」

「アムクゥエル様がおられるでしょう? 欲求不満の。今宵は耳栓などしておきましょうか」


 綺麗な顔して下ネタされると対応に困るな。


「仮にだよ。仮の話。相手は俺じゃなくていい。伝説の英雄の息子である、誰かさんがあんたの婚約者だったら。期待、するだろ?」

「どうでしょう。するかもしれませんし、しないかもしれません。ただ……あなたには、英雄らしい強さだとか精神だとか、特に期待していませんでしたよ」

「それはそれでどうなんだ」

「あは」


 ネージュの瞳には、何か暖かい火が灯っていた。だがそれが何かを思う前に、灯りは長い睫毛の内に隠れてしまう。

 再び開かれたまぶたの向こうではもう、夢見る少女は眠っていた。

 いまいち会話を見失って、軽く踵を鳴らす。


「……で? 何かくれるっつうから恥を忍んで婦女子の部屋に上がり込んでんだけど」

「あぁ。忘れるところでした。……どうぞ。こちらです」


 ネージュがバックパックから取り出されたのは、布の塊だ。何かがくるまれているらしい。

 視線で訊ねると、「床に置いて広げることをおすすめします」と言われたので素直に従う。


 果たしてそのベールの内にあったのは、金属片の山だった。一瞬何だこのゴミはと口に出しかけるが、そのかつての姿にすぐに思い当たった。


「剣か。折れた……というか、粉々というか、だが」

「はい。聖剣クラウ・ソラスの残骸です」

「そいつは、これになったんじゃないのか」


 腰のホルダーから聖剣を手に取る。

 刀身を見せられれば良かったが、あいにく抜けなかった。


「ええ。まともな部分はそちらに。この屑山は、打ち直すには向かなかった部分です」

「それを何であんたが──あーいや待て、分かってきた。金物屋だったな。……俺とあんたの婚約、言い出したのどっちだ?」

「あは。お察しの通り、私の父ですよ。ある遺言を叶える代わりに。──クラウソラスⅡ。どうも扱いづらいようですが、少なくともナマクラではないようで、何よりです」

「素敵な剣をどーも。一応聞くが」

「抜剣の条件など、知っていてとぼけていることはありませんよ」

「だよな」


 嘆息と共に聖剣をホルダーに差し戻しかけて、ふと気づく。


「しかし……そうすると、なんだ。返したほうがいいか? 対価をやれないわけだから」

「いえいえ。押し売りのようなものですから、どうかお気になさらず」

「あっそ。……で、この残骸をどうすればいいんだ俺は?」

「単にお父上の遺品ということで持ってきましたが、実用性を求めるならば、もともと魔剣でしたから、魔素との親和性は高いはずです。魔道具などにすると効果的かと」

「ふうん。消費アイテムは普段使わねぇんだよな」

「あは。では机の奥へでも」

「そうする。……なあ、あんたさ……」

「はい」

「……いや悪ぃ。やっぱ何でもねぇわ。他に何かいま話し合うべき議題は?」

「今後については、やはりアムクゥエル様を交えてのほうがよいでしょう。いまのところは」

「だな。じゃあまた後で」


 自室へと引っ込み、屑山はひとまず机の上に。窓が近いが、一応破片はどれもそれなりに大きいので、風で飛ぶ心配はしなくていいだろう。

 今日は、疲れた。

 装備をその隣に外し、ベッドに寝転ぶ。


「久々だったな。ああまで純粋な悪意は」


 冒険者になったのが五年前、直後よりひとしきり蔑まれ、落ち着いたのがおよそ一年半前。

 このところは触らぬ神──というよりは、嫌悪を通り越して無関心にされていた気がする。好きの反対はなんとやらだ。

 今日のことで、再燃しないといいのだが。


 英雄に憧れるだけ、英雄の光のぶんだけ──不出来な英雄の息子は疎まれ、影を生む。


 横目に眺めた打ち直しの聖剣と、元々の残骸。


「あんたは世界を救ったかもしれないけど」


 父親は、まず妻子を助けるもんじゃねぇのかよ。

 あんたは父親失格だ。

 母さんは、一人で子供を育てていた心労がたたって病に倒れ、そのまま死んだ。俺の人生もあんたのせいでめちゃくちゃだ。


 英雄なんていらなかった。ただ、ただ普通の父親が欲しかったのに。


「俺も、息子失格だがな」


 期待には、応えるものだ。求めるならば返さなければ。……何事も。


「……駄目だ。寝よう」


 思考が悪い方向にばかり走る。事の間は高揚感で麻痺していたが、少なからずトラウマを抉られていたようだ。

 こういうときは寝てしまうに限る。

 きっと悪夢を見るだろうが、起きたときには忘れている。

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