英雄の子 3

 その日はネージュの部屋を仕度したり何だりで日が暮れてしまった。


 元より急ぐ理由もないので、翌日改めて組合に向かう。パーティー登録を行うためだ。登録は任意だが、やらないと面倒なことになりがちなので強制に準じるものである。

 言うなれば山岳への登山申請のようなものだ。


 しかし、いざ組合にたどり着き、パーティー登録窓口に向かったところでトラブルが発生した。


「おお。どうしたんだ息子殿。お前と組むやつなんてここにはいないぜ。一体誰と──」


 ありがちな男の、ありがちな絡みだ。

 リオ・ベックマンという名は、稀代の落ちこぼれ、冒険者の恥さらしのものとして通っている。

 中庸ならばよいほうで、組合側の職員含め、味方と言えるような人間は、重犯罪者にも分け隔てない、狂気にも似た人情を持つとある酒場の店主グンゾと、『リオ・ベックマン』ではなく『リオ』という人間をよく知る、クウィンヒー家の人々だけだろう。

 嫌がらせを受けることも、それこそ日常茶飯事だ。


 だが今日は少々具合が違った。

 いつもの下卑た笑みが瞬間凍りつき、明確な怒気となって再燃する。


「なぜ彼女がここにいる?」

「彼女? ……あぁ。俺の婚約者だよ。別嬪だろう?」

「ふざけるな!」


 ぶちまけられた憤怒は、まるで子供のもののようだが、故にこそ多くの人目を引き──熱が伝搬するように、一部の傍観者たちの目つきが変わる。

 どうも、これはまずい展開だ。


「んだよ。軽いジョークだよジョーク」

「あは。ただのパーティーメンバーですよ」


 ──馬鹿。

 ネージュの口を塞ごうと弾かれた腕を、どうにか押し戻す。それはそれで逆効果になりそうだ。

 茶化そうとしたのだろうが、それは、案の定、火に油を注いだだけだった。


「お前が……大英雄唯一の恥のお前が! 極北の姫君と、パーティーだと!?」


 ……極北の姫君って何だよ、という視線をネージュに送るが、唾を撒き散らして怒り心頭の男を目の前に、彼女もいくらか慌てているようだ。


「……あぁ。なにせ俺は雑魚だから、ミーガ殿の指南を仰ごうとな」

「身の程を知れ穀潰しが!」


 それに関してはほぼヒモの身なので言い返しにくいな、などと現実逃避していると、そうだそうだ、というヤジが周囲から投げつけられた。


 これはもう無理だ。

 一人ならまだなんとかなったろうが、この場の空気そのものが良くない方向に動きつつある。


「……悪い。一度帰ろう」

「あ、あは……そのほうがよいやもしれませんね」

「帰るのは、お前だけだ。姫君は置いていけ。何の弱みを握ったのか知らんが、俺たちが彼女を守る」


 普段なら──。


「そうか」


 普段なら、一人でさっさとこの場を離れたはずだ。

 ネージュ・ミーガは、少々の縁があるとはいえ、結局他人だ。自分の命を賭けるなんて割に合わない。


「いいぜ。じゃあ、あんたも表に出ろ」


 だが、ここで彼女を失ってはいけない気がする。

 何か……胸の内のどこかが、彼女に何かを望んでいるのだ。それが何なのかははっきりと分からないが、当然それは、彼女を失えば果たされない。

 そのとききっと後悔する。


「なんだと?」

「彼女を賭けて、一騎討ちといこう」

「……上等だ。生きて帰れると思うな。英雄の恥、今こそ切り捨ててやる!」


 ついに激情が限界を超え、まなじりを決し怒髪天を衝いた荒くれは、背中の大斧を抜き、どすどすと組合から出ていった。


「あー、すまんな。勝手に賭けちまって」

「いえ……あは」

「迷惑ついでに、邪魔が入らないよう見ててくれねぇか? 一対一でも厳しいんだ。ガヤから魔法を撃たれると対処できない」

「……心得ました」


 荒くれが乱暴に閉めたせいでまだぎいぎい揺れている扉を越えると、広場の真ん中に大斧が仁王立ちしている。

 尋常ならざる様子の彼を見た人々は既に触らぬ神に徹しているようで、人払いの必要はなさそうだった。


 しばらく待ってみるが、背後の扉は開かない。ネージュはうまく足止めしてくれているらしい。

 これで懸念がひとつ消えた。

 男に近づき、ある程度の距離で、短剣を両手に抜いて立ち止まる。


「……決闘の礼儀だ。一応、名乗るぜ。──リオ・ベックマン。Cクラス冒険者」

「……ハール・ゾーフェン。クラスB」


 念のため聞いてみたが、ただでさえ他の冒険者には関心が薄い。Bクラスの男一人など覚えているはずがなかった。


 得物は大斧。筋肉や古傷の付き方からして、おそらく魔法よりは肉弾戦をメインに据えている。分かるのはそこまでだ。


「死んでも」

「あぁ?」

「文句は言うなよ」

「死んだら言えねぇよ」

「……往くぞッ」


 雄叫びと同時に筋肉ダルマが突っ込んでくる様は中々迫力がある。やはり魔法は補助に使う程度、斧の刃だけが僅かに魔素の光を帯びていた。


 決して焦らず、正確に、鼻と金的を狙って両の短剣を投擲するが、上は回避され、下は斧で弾かれた。


 すぐさま最後の一本の短剣と、白の聖剣を握り、閃光の魔法、次いで轟音の魔法を起動。視覚と聴覚を揺さぶりにかかる。


 男は変わらず疾走を続けるが、引き戻しの最中、中途半端な位置にあった斧が、足元のぐらつきを代弁するように大きく傾いた。


 その刃の反対側から攻勢をかけ──、


「ハァッッ!」


 あえなく、咆哮の魔法をまともに受け、木っ端よろしく吹き飛ばされた。

 身を捻ってどうにか着地に成功するが、直後視界が影に覆われる。


 咄嗟に飛び退いたあとに斧の一撃が振られ、石畳に大きなクレーターが形成された。


 まともに食らったら、魔法防御も貫通して即死だろう。


 魔弓で牽制しつつバックステップを繰り返す。

 いくつかは叩きつけた斧を持ち直しているゾーフェンの身体に当たったが、やはり魔弓の火力はほどほど、魔法防御で弾かれた。

 両者に当初の距離が開く。


「いやはや力強い」

「苦しまずに死ねるぞ。俺は処刑人エグゼキューターと呼んでいる」

「ダッセェ名前だな」

「フン。技のひとつもない凡骨に言われたくないわ」

「まぁ、ないわけじゃないさ」


 クン、と手を引くと、投擲したままの短剣二振りが魔法の糸で引かれ宙を舞い、対角線上にいたゾーフェンの脛を狙う。

 だが背後に落とされた斧で、防御と同時に糸を切られた。


「今のちんけなのがそれか?」

「まあ、そうだよ」


 斧に短剣が当たった瞬間、どろりとまるで液体のように……否、刀身の一部が実際に液体となって、斧を超え素肌へと振りかかった。


「ん?」

「気にすんな。ちょっとした嫌がらせだ」

「……ッ!? 毒か!」


 水銀を錬金の魔法で固体として扱っていたのが、効力から脱しただけだ。気づかれさえしなければ神経がやられて終わりなのだが。


 気づかれると、当然、体内の毒を癒す祝福の魔法で対処される。


「貴様らしい汚い手だ」

「苦しんで死ねそうだろ? 俺は処刑人エグゼキューターって呼んでる。さっき決めたけど」


 さて、どうしたものか。正直なところ、この辺りが限界である。やはり勝てない。ならばどう引き分けるか。

 ……元々、落ちこぼれなのは事実なのだ。

 リオ・ベックマンは、弱い。


「父君は空で嘆いているぞ。英雄の息子なのに、どうして貴様はこうなんだと」

「だろうな」


 あの、ゼン・ベックマンの。大英雄の息子なのに。

 どうして。

 お前は英雄の息子なんかじゃない。


「お前は大英雄様唯一の汚点。冒険者の恥さらしだ」

「知ってるよ」

「──ならばせめて、ここで死ね! 固有術式プロトコード解放アクティベートッッ!!」

「……マジかよ」


 人間ひとりにひとつだけ、神の許したもうた奇跡──固有魔法。強力かつ、決して他者と重複しないゆえ対処が難しい。人間の切り札ともいえる魔法だ。

 当然ながら、格下相手に簡単に撃つようなものではない。

 知られれば知られるだけ、固有魔法の二つの強みのうち、片方を失うことになるのだから。


月影食らう巨なる豪腕ハマルタ・クーバーッッ!!」


 だが、目の前に奇跡は顕現した。


 それはさながら巨人の腕だ。肩甲骨の間を突き破って屹立する第三肢。あまりに巨大なその腕は空を食らい、辺りから陽の光が押し出されていく。


 同時に極大の魔素反応がその表面で変転している。なんらかの魔法を帯びているのは確かだ。食らってみればそれがどういった魔法か分かるかもしれないが、そのときは同時に死の冷たさを味わうことになるだろう。


 いや──、それも、ただの勝手な希望に過ぎない。ついに動き出した豪腕が、主の敵を潰そうと迫ってくる。


 ……逃げようと思えば、あと数分は逃げられるか。ただ、数分の命の代償に、この街は灰塵に帰すだろう。


 それならばいっそ、ここで死ぬのもひとつの手になるだろうか。元より、何もかも失くした命。

 ただひとつ、アムクゥエルの夢を砕いてしまうことだけが心残りだが、それも、そもそも叶いようがない夢ではないか──?


 そこで、冒険者組合から、ひとつの影が飛び出してきた。


 薄い色の髪は揺れるたび世界に溶けていくよう。

 ネージュだ。異郷の少女、ネージュ・ミーガ。


 リオを庇うように立ち、何か魔法を展開しようとしているが、とても間に合わないし、間に合ったとして防げまい。


「やめとけよ。昨日会ったばっかのやつのために無理することないぜ」

「あは。あなただって、そうでしょう? 昨日会ったばかりの私、それと共に在るために、今そこに倒れているのでは?」


 退く気は、どうやらないらしい。

 どうも見た目に似合わず頑固な少女である。


 ……こちらも固有魔法を使うか? いや、あれでは現状の解決にはならない。どうする。どうする。

 いや、手段よりも、何よりも、まずは──。


「どいてろ」


 ネージュの前に更に割り込んで、恐怖へと一歩近づく。目の前に迫る驚異。もはや回避できる距離ではない。


 ひとつ、深呼吸。

 この状況を打開し得る唯一の手段など分かりきっている。

 右手の黒い短剣を投げ捨て、代わりに白い聖剣の柄を握った。


 ここで抜くのだリオ・ベックマン。でなければ真実お前に価値などない。


 ネージュ・ミーガを、己のような名ばかりの英雄の息子がために、無能な恥さらしがために、彼女のような人間を死なせてはならない。


 ならば、彼女を、俺が守らなければ。


 眼前に、光の奔流が巻き起こる。


 まるで木でも振ったような軽い手応え。


 しかし、迸った剣閃は、雷のように鋭く強く。


「光の魔剣……クラウ・ソラス……」


 ネージュの呟くような声音が、いやに大きく耳に響く。


 銀色に輝く剣から放たれた一撃は、巨大な光の帯となって、豪腕を包み込み、青空へと続いていった。


 その光が消えた後には、中程あたりから先を失った豪腕が残ったが、程なくしてそれも消滅し、ただの魔素へと還っていく。


 役目を終えた聖剣は、やはり独りでに鞘の内へと納まった。


 しばらくその様子を呆けたように眺めていたが、ふと我に返ってゾーフェンに視線を向ける。

 しかし固有魔法の巨腕を力業で消滅させられたとあってはゾーフェン自身にも影響があったのか、彼は石畳の上で大の字に失神していた。


「あは。あなたの勝ちのようですね」

「……だいぶグレーだけどな。あんたが出てきちまったから」

「まあ、しかし、このまま帰るには支障ないのでは?」

「違いない」


 ゾーフェンを置いて、二人で屋敷に逃げ帰る。

 背後から、少し遅れて、大きな喧騒が聞こえ始めた。だが、ネージュも振り返ることはしなかった。

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