4 分からない感情

 セツナに捕まったら何を言われるか分からない。次の授業が始まるまでの間、適当な場所で時間をつぶそうとラルスは歩き出す。

 様々な種族が暮らす学院内はにぎやかだ。廊下を入学したての一年生が走り抜け、中庭では先輩たちが談笑している。ベンチに座り、穏やかに話しているのは同じ紋章を持つ男女。ラルスからするとずいぶん大人びて見える先輩たちは、隣にいるのが当たり前という自然な空気が流れていた。


 月日がたてば自分とカリムもあんな風になるのだろうか。そう一瞬でも想像して、何を考えているんだと頭をふった。そんなのありえない。卒業したらそれっきり。異種双子に生まれたのなんて何かの間違いだったとお互いに背を向けて別れる。それが幸福なのだ。そうラルスは自分にいい聞かせた。


 胸に手を当てて深呼吸をする。番の話を聞いてからどうにも落ち着かない。もしかしたら、もしかして。そんな希望が頭にちらついて、それは希望じゃなくて絶望だろうと自分自身をあざ笑う。その繰り返し。

 カリムが番のはずがない。番を見た瞬間、殺したいと思ったなんて聞いたことがない。だから違うのだとラルスは何度も何度も頭の中で繰り返す。

 

 気を紛らわすためにラルスは歩くことにした。目的地はない。ただ体を動かしたかった。頭に浮かんだ考えを振り払うために、ひたすら歩く。今は何も考えたくはなかった。誰か分からない番のことも、運命じゃなかった片割の事も。

 それなのに、こういう時こそ悪いことが重なるのだ。


 人間よりは鋭い聴覚が足音を拾った。嫌でも耳に残る足音に舌打ちしたくなる。いま一番会いたくない存在が近くにいる。それに気づいたラルスは立ち止まり、耳をそばだてる。

 顔合わせたくねえし、どっちにいくのか確認するだけ。それだけだと、誰に言うでもなく言い訳し、音を拾うことに意識を集中する。


 足音は外から聞こえた。ラルスはホッと息を吐く。逃げられない所で鉢合わせは避けられたようだ。

 ラルスが歩いているのは二階。わざわざ声でもかけない限り、外を歩いているカリムは気付かない。そう分かったからか、ラルスはカリムの姿を見たくなった。教室の隅で本を読んでいることが多いカリムが、こんなところで何をしているのか気になったのだ。


 窓から下をのぞき込む。音の通りカリムは下を歩いていた。カリムの足音にしか気づかなかったが、隣には知らない女が並んで歩いている。雰囲気からいって上級生。

 なぜだかそれにイラッとした。


「運ぶの手伝ってもらってごめんね」


 ワーウルフの人間よりも発達した五感は離れていても音を拾うしよく見える。それが今は煩わしいのに、その場を立ち去る気にはなれなかった。

 女が申し訳なさそうに眉を下げる。女は箱を抱えており、その中にはゴチャゴチャとした小物が入っていた。ラルスには何に使うものか全くわからなかったが、女一人で持つには重たそうに見えた。


「困っている女性を無視するような男にはなるなと父に言われて育ちましたので」

「お父さんの教えを守ってるなんて、偉いのね」

「偉いというほどではありません。当然のことです」


 女が笑ってもカリムはいつもと変わらない無表情。それに女は驚いた顔をして、それから微笑ましそうに笑う。可愛い弟でも見るかのような顔だったが、そこには確かな好感が見える。それが癇に障る。


「当たり前に人を助けられるって素敵なことだと思うわ。ありがとう。正直、一人で運ぶのは大変だなと思っていたの」

「たまたま通りかかっただけですので」

「たまたま通りかかっても、ほとんどの人は手伝ってくれないのよ。あなたお名前は?」


 女に問われてカリムが答える。女もカリムに名乗る。ただそれだけの事なのに、いつのまにかラルスは窓枠を握り締めていた。メキリと枠がきしむ音がする。ワーウルフは怪力なのだから、気を付けなければ。そう思うのに、カリムと女のやり取りから目が離せず、力を抜くこともできない。


「カリム君っていい子ね。今度お礼にお茶しましょう」

「お礼されるほどでもないので」

「私がしたいのよ。お願い。つきあって」


 カリムが少しだけ困った顔をした。困るなら断れとラルスは思う。クラスでも今だに打ち解けられてるとはいえないし、仏頂面だし、意味わからないことですぐにキレる。お前はそういう奴だろう。何で知らない女と親し気に話してるんだとラルスは怒鳴り散らしたい気持ちになった。なったのに、何故か声はでない。その代わりに窓枠は先ほどより一層大きな音を立ている。


「……女性の誘いを断るのは失礼にあたりますね……」


 少しの間を開けてから、困った顔でカリムはいった。その答えを聞いた瞬間、音が遠くなる。耳だって目だってよいはずなのに、すぐ下にいるカリムの声が遠い。姿も何だかぼんやりして、本当にそこにいるのかよく分からない。

 女が楽しそうにカリムに話しかけている。それが腹正しくて、女の首を今すぐかみ砕いてやりたくなった。


 そんな自分にラルスは恐怖を覚えた。


 ズルズルとその場にしゃがみ込む。痛い胸を押さえて、深呼吸した。落ち着けと何度も念じて、どうしたんだと自分に問いかける。カリムが知らない女と話していた。荷物運びを手伝っていた。お礼にお茶をする。ただそれだけの話で、全てラルスには関係ない。


「なんだよアイツ、女には親切じゃねえか……」


 零れ落ちた声は自分でも驚くくらい泣きそうだった。何で、どうしてと考えるが答えが出ない。考えようとすればするほど、胸の奥から何かがせりあがってきて、泣きそうになる。


「ラルス……!」


 バタバタと足音が近づいて来た。ラルスがよく知っている足音。カリムと違って、安心する足音。それにラルスはホッとして大きく息を吐き出す。


「どうかしましたか?」

「何かあったのか!?」


 顔をあげれば思った通り、ヴィオとクレアがそこにいた。うずくまるラルスを見てクレアが慌てて背中をさすり、ヴィオがラルスの顔を覗き込む。ヴィオの瞳が不安でゆらゆらと揺れている。その瞳にうつったラルスは何とも情けない顔をしていた。


「……何でもない。ちょっと考え事してたら、わけわかんなくなっただけ」

「……本当ですか?」


 背中をさすってくれていたクレアがラルスの顔をじっと見る。真実かどうか確かめようとする真っすぐな瞳に、ラルスは一瞬ひるんだが無理やり笑った。二人を心配させるわけにはいかない。相談しようにも自分でもわけがわからない感情を上手く伝えられる気がしなかった。


「ホントだって。俺バカだから、番の事とか考えてたらよくわかんなくなってきて」


 全くの嘘ではない。カリムのせいで半ば意識から追いやられていたが、番について悩んでいたのも事実。

 ラルスの言葉にヴィオとクレアは顔を見合わせる。


「……ラルス、カリムは本当に番じゃないのか?」


 次にヴィオが口にした言葉で、収まりつつあった心臓が音を立てるのが分かった。鋭い刃物が突き刺さったような痛み。初めての感覚が恐ろしくてラルスは無理やり笑う。知らないふりをしないと二人に八つ当たりをしてしまいそうで怖かった。


「カリムが番なわけないだろ。ヴィオまでそんなこというのかよ」


 ラルスの反応にヴィオとクレアは眉を寄せた。痛々しいもを見る表情に胸がざわつく。自分は今どんな顔をしているのか。それを知るのが恐ろしくて仕方ない。取り繕った何かが壊れてしまいそうで。


「別に番がいなくたって何とかなるって。俺の姉ちゃんも番見つかってねえけど、何とかなってるし」


 ルルの寂しそうな顔が頭に浮かんだが、ラルスは無理やり振り払った。何とかなるはずだ。そうじゃないと困る。この学院にいる以上、ラルスは一人で乗り越えなければいけない。


「番が見つかっていないワーウルフ同士でくっついてれば問題ないって、先生もいってたし。うちのクラスの奴らは番見つけてるから無理だけど、学院内にはいまだに番いない奴だっているだろ」


 明るく笑う。大丈夫だと自分に言い聞かせるために。


「ヴィオとクレアちゃんは心配すぎ。入学してからずっと二人には迷惑かけっぱなしだから説得力はねえけど、今回はワーウルフ特有の奴だし……俺が何とかするしかないからさ」


 ワーウルフではないヴィオとクレアにはどうにもできない。いくらラルスが二人を好きでも、種族が違う。その事実は変えようがない。


「……お前が大丈夫というなら、俺たちが心配してもどうにもならないな」


 じっとラルスの顔を見ていたヴィオが息を吐き出す。納得いった様子ではなかったが、これ以上は踏み込まない。そう決めた態度にラルスはホッとした。様子をうかがっていたクレアも何か言いたげではあったが何も言わない。

 二人に気を使わせていると思うと心が痛んだが、ラルスにはこれ以外の方法が分からない。


「だが、一つだけ言っておく」


 話は終わりかとラルスが気を抜いた瞬間、ヴィオがラルスの両頬を掴んだ。目の前にヴィオの瞳がある。時に鋭く、時に優しい不思議な瞳。その瞳にうつったラルスは驚いた顔をしていたが、次の瞬間には何を言われるかという不安で表情が曇る。


「魔力酔いがひどいようなら俺のところに来い」

「へ?」


 予想外の言葉にラルスは固まった。至近距離にあるヴィオの表情は動かない。真剣で真っすぐないつものヴィオ。だからこそ言葉の意味がよく分からなかった。


「お前の番を俺は見つけることは出来ない。だが、お前の魔力酔いはどうにかできるかもしれない」

「ヴィオ、それは……!」


 クレアが慌てた様子でヴィオに飛びついた。いつになく慌てた様子のクレアを見て珍しいと思うが、何の反応も出来ない。未だにヴィオはラルスの両頬をがっしり掴んだまま、至近距離で顔を覗き込んでいる。


「困ったら必ず俺を頼れ。それは約束しろ」

「頼ったところで……」


 どうにもならないだろという言葉は最後まで言えなかった。いや、言わせてもらえなかった。いつもは鳴りを潜めている上位種のプレッシャーがラルスを縛り付け、はい以外の選択肢を奪い取る。

 気付けばラルスは壊れた人形みたいに、首を上下に振っていた。


「ラルス一人ぐらい、どうってことない」


 最後にそういうとヴィオは歩き出す。クレアがラルスとヴィオを交互に見て、ラルスに頭を下げるとヴィオに駆け寄っていった。

 遠ざかる後姿をラルスは見送ることしかできない。

 ヴィオには魔力酔いをどうにかする方法があるのか。クレアが焦ってみえたのは何故なのか。最後の言葉の意味は? と疑問がいくつも浮かんだが、どれも疲れた頭では上手く考えることができなかった。


「……次の授業サボろうかな……」


 深いため息を吐き出して、廊下の壁によりかかる。後少ししたら授業開始の鐘がなるだろうが、動く気にはなれない。

 気づけば耳を研ぎ澄ませて、音を探していた。カリムの足音はもう聞こえない。ヴィオたちと話している間にいなくなったのだろう。その隣にはあの女がいたのだろうか。そう考えたら、またズキズキと胸が痛んだ。


「意味わかんねえ……」


 大嫌いなのだ。殺したいと思ったほどに。それなのに、何でこんなに気になるのか。自分のことなのに全く分からなかった。

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