一章 出会い
1 幼い日の決意
洗濯をしている母の横で川をのぞき込んでいると、子供の姿が写り込んだ。パチパチと瞬きをして、ラルスはその姿を凝視する。黒い髪にぴょこんと生えた狼の耳、目つきの悪い小さな目、機嫌よく揺れる狼のしっぽ。ああ、自分だと気づくと同時に、首にある首輪のような模様が目にとまる。
隣にいる母の首を見つめても、そこには健康的な肌があるだけ。父や姉たちの姿を思い浮かべても、やはりそこには何もない。
時折周囲に指さされるのはこれが原因か。そう思ったラルスは、じゃぶじゃぶと服を洗っている母に声をかけた。
「ねー、かーちゃん。これなーに?」
洗濯をしていた母は手を止めて、ラルスをのぞき込む。ラルスが首を示しているのを見ると、ふふっと笑いながらラルスの頭を撫でた。
「これはね、ラルスが運命の相手と繋がっている証なのよ」
「運命の相手?」
「ラルスが将来好きになる相手のことよ」
「かーちゃんよりも?」
首をかしげて聞けば母は嬉しそうに笑い、ラルスの頭を一層優しく撫でた。それから少し寂しそうな顔で遠くを見つめる。
「そうね、もしかしたらかーちゃんよりも好きになるのかも」
「そうなの?」
幼いラルスにとっては母と父、姉たちが一番で、それより好きと言われるとよく分からない。近所の友達も好きだし、遊んでくれる叔父さん叔母さんも好きだけど、家族よりも好きかと言われたら違うと答える。そんなラルスの最上級よりも好きな相手と繋がっている。そう言われてもラルスにはよく分からなくて、首にあった紋章を撫でる。撫でてもそれは他の皮膚と変わらない。それなのに水にはくっきりと黒い紋章がうつっていたから、不思議だとラルスは思った。
「ねー、運命の相手ってどんな奴?」
「それはかーちゃんも分からないの」
「かーちゃんも分からないの?」
両親は何でも知っているものだと思っていたから、ラルスは母の言葉に驚いた。
「十歳になったらラルスは『人の国』にある学校にいくの。そこで運命の相手に会えるわ」
「えぇー俺、『人の国』に行くのヤダー。『人の国』って耳もしっぽもない人間がいっぱいいるとこだろ。耳も悪いし鼻も悪いし、よわっちくてめんどくさい。って叔父さんいってた」
頬を膨らませるラルスを見て母は困った顔をした。ラルスの気分を持ち上げるようなことを言いたかったが、母も人間の事はそれほど詳しくないのだ。
この世界には様々な種族が暮らしている。生まれ持った姿も考え方も生活習慣も違う種族たちだが、折り合いをつけて生活している。
といっても最初からそうだったわけではない。
二百年ほど前に起こったほぼ全種族を巻き込んだ大きな戦い。世界大戦と言われる出来事により、多くの種族の数が半数、それ以下まで激減した時期があった。このまま戦いを続けては滅んでしまう。そう察した者たちは、上位種と呼ばれる生まれ持って強い力を持つ種族たちを筆頭に平和に生きるための決まり事をつくった。
その一つがテリトリーだ。
世界大戦前は好きなように移動や定住を繰り返していた各種族に、決まった領土を分配する。その場所を各種のテリトリーとし、そこはどんな種であろうと侵略できないものとした。そして、それ以上テリトリーを広げることを禁じたのだ。
それにより領土獲得のために行われていた小競り合いはなくなり、自分たちのテリトリーから出なければ他種と揉めることもなくなった。他種と出会う機会すらもなくなったのである。
ラルスが生まれた村はワーウルフのテリトリー内でも田舎に当たる。村全体が顔見知りの家族のようなもので、同い年の子供はみな兄弟のようなものだ。
そんな温かで優しい村の住人をラルスは気に入っているから、わざわざ外に出たいとは思わないし、こんな田舎までやってくる他種はいない。そのためにラルスはワーウルフ以外の種族を見たことがなかった。
それでも人から話くらいは聞いたことがある。
世界最高種と呼ばれる竜種は大きな体に丈夫な鱗。ワーウルフなんか比較にならない神力量を誇るカッコいい存在で、滅多に会えない希少種でもあるらしい。ヴァンパイアは顔はいいけどいけ好かなくて、いつも他種を見下してふんぞり返ってるとか。鬼はテリトリーに引きこもって、時折行われる種族会議も色々と理由をつけて参加しないだとか。
そして世界最弱と呼ばれる人間は、他種の護衛なくしてはテリトリー外を出歩けないほど弱くて、耳もしっぽもなければ、獣の姿にもなれないのだとか。
「耳もしっぽもないって、変なの」
耳としっぽをパタパタと動かしながらラルスは不満げな声をあげる。父譲りの真っ黒な耳としっぽがラルスにとって誇りで、それがないなんて想像もつかない。
「なんでそんな弱っちいのが、運命の相手なの。俺、違う種族なら竜とかがいい! かっこいい!」
目を輝かせてラルスがいうと母は困った顔をした。それから少し考えるそぶりを見せてから、洗濯物をあらう手をとめてラルスに向き直った。
「あのね、ラルスみたいに生まれ持って運命の相手を持っている子を、異種双子っていうの」
「
聞きなじみのない名前にラルスは首をかしげる。その名前を聞くと何でかソワソワして、こらえきれずに耳がパタパタと動く。
「片方は必ず人間なのよ。だからラルスの運命の相手は人間なの。だから『人の国』に会いに行かなきゃいけないの」
「俺、別に会いたくない。かーちゃんととーちゃんと離れ離れイヤ」
むぅっとラルスは唇を尖らせた。具体的な距離は分からなかったけれど「人の国」が遠い所にあり、そこにいったら村にはなかなか帰ってこれない。それくらいのことは幼いラルスだってわかっていた。
そんなラルスの頭を撫でながら母は「お母さんも寂しいけど、決まりなのよ」とラルスの目を覗き込んだ。
「会ったこともない奴に会いにいかなきゃいけねえの。かーちゃんも知らないんだろ。本当に、運命の相手なの?」
「間違いなく運命の相手よ。向こうもラルスと同じ紋章を持っていて、お誕生日もラルスと一緒なの」
母の言葉にラルスは目を丸くした。誕生日が一緒というのは特別感がある。少しだけラルスは運命の相手とやらに興味がわいた。
「じゃあ、何で俺が会いに行くの。向こうが会いにくればいいだろ」
「ラルスだって言ったでしょ。人間は弱いから、『人の国』から簡単には出てこられないのよ。だから私たちが会いに行くの」
「そんな弱いのが運命なの。俺やだ」
人間は弱くて面倒くさいという叔父さんの言葉がラルスの頭に残っていた。
ワーウルフは姿形が人間に近いため、「人の国」で多く暮らす種族である。出稼ぎに「人の国」にいくワーウルフも多く、ちょうど叔父さんがそれだった。ワーウルフに比べると体が弱く、牙も爪もないため、変に気を使って気疲れした。そう愚痴っていた叔父さんを見ると、人間がいいものとは思えなかったのだ。
「これはね、かーちゃんが勝手に思ってることなんだけど」
頬を膨らませるラルスに母は口元に手を当ていたずらっ子のように笑った。
「きっとね、人間が弱いから、あなたは守るために異種双子として生まれたのよ」
「守るため?」
弱くて面倒。その相手をさせられるのだと思っていたラルスは、母の言葉に目をまたたかせた。母はにっこりとほほ笑んで、「守るためよ」と繰り返す。
弱くてテリトリーから出られないような種族を守ってあげる。何だかそれは童話に出てくる王子や勇者みたいで、ラルスは目をか輝かせた。
「俺が守るの?」
「そう。ラルスが守るの。ラルスだったらかっこよく守ってあげられるでしょ」
「うん! 俺できる!」
先ほどのふてくされた様子が嘘みたいに目を輝かせるラルスを見て、母は嬉しそうに笑った。頭をゆっくり撫でながら、「守るために一杯勉強しなきゃね」というのはちょっと嫌だったけど、運命の相手のためなのだ。そう思ったら、嫌いな勉強も少しだけやる気が出た。
「どんな奴なのかなー。俺の運命の相手」
「きっと素敵な子よ。ラルスの運命の相手ですもの」
母はそういうとラルスの首の紋章を撫でる。くすぐったくて笑うラルスを見て、母もくすくすと笑う。そんな母を見て、ラルスは思った。かーちゃんがいうんだからきっといい奴だ。だから俺は守ってあげなきゃいけないんだと。
このラルスの想いは、十歳まで消えることなく胸に残り続けた。
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