第4話 明空の巻

 明空に無理に手を引かれて勝手に最後尾に並び直されてしまった。……そもそもさっきの〝播磨守さま〟は藻の占いに並んでいたのだろうか。


「藻さまの占い、今、ふた時待ちでーす! 後一組! 駆け込みでどうだ!」


 列整理は大声を上げている。商売は繁盛しているらしい。


「……えーっと、いろいろ質問があるんだけど」

「はいかいいえで答えられるものにしろ」


 その明空はぶすっとしていきなり愛想がなくなって何やらいらついたように下駄で地面を蹴っていて。太鼓のリズムと妙に合っているのが子供っぽい。


「……あの方、うちのあにさまの親戚だったりする?」

「はい。式部卿宮さまは御父上の従兄弟であったか」


 ――うわー。いや、言うまい。イケメンだったということだけ心に刻んでおこう。


「あの方、あんたの彼ピッピだったりする?」

「どちらかといえばはい」

「はいかいいえで答えなさいよ」


 ――だがその答えを聞いて、もはや預流は偽播磨守の正体も占いも児童の労働環境も頭になかった。


「そう、彼氏がいたんだ、ははー……そうよねー……あんたモテるわよねーそりゃそうよ……」


 精一杯平気なふりをしようとしたが声にダメージがにじみ出ていた。

 終わった――! 元々望み薄のこの恋は今度こそ終わった――! 決定的に完膚なきまでに終わった――!

 シリーズ、完結! 第二部第三部とかいう話は何だったの! それどころかこの連載、この後、何するの! わたしに甲斐性がないばかりに読者の皆さんの期待を裏切って! 今後は預流の前の熊野古道冒険譚くまのこどうぼうけんたんとかお楽しみください! こうなったら女人禁制も何もない、どこへでも分け入ってやる!


 そうかー。なかなかさっぱりとした好青年だった。こいつよりよほど親切だったし。大嘘ぶっこいてたけどまあそれは〝播磨守さま〟が許すかどうかという問題で。何か度を超えた陰陽師オタクみたいだったけどそれも靖晶に解決してもらおう。大体文句があるのは靖晶で預流ではない。

 ――そう、素敵な人だったわ。駄目よ預流、泣いちゃ駄目。前を向いて祝福してあげなきゃ。寝てないからネトラレですらない、わたしってば最初っからとんだピエロだったんだわ。

 だが預流の悲愴な覚悟と裏腹に。


「勘違いするな」

「何を?」

「便宜上、つき合っているという設定になっているだけでお前が妄想するような不埒ふらちな行いは一切ない! 清い友情で結ばれているだけだ!」


 なぜか明空は異様に不機嫌そうにかつ早口でまくし立てるのだった。

 反応する預流も早口だった。


「な、何で言いわけすんの。平安仏教界はそういうもんだし世間には男色の貴族もわりといるって。別に恥ずかしいことでも。お互い大人なんだし、どっちか何か無理強いでもしてるんならともかく愛し合ってるなら堂々と自由に生きればいいじゃないの。愛の形はいろいろよ。……身分の差とかで何か問題が? カミングアウトしたくない系?」

「違うものは違う!」


 ……マジに諦めモードに切り替えようと思ったのになぜ本人が否定する。しかも半ギレ気味に。どうリアクションすればいいの、これ。そもそも「便宜上つき合っているという設定」って何。


「……東宮さまは今上の御弟君おんおとうとぎみであろう?」

「ええ」

「今上には御子がいらっしゃらない。……叡山で修行している間に、なぜかそれが全部おれのせいになっていた。今更違うとは言えん」

「え、ええ……違うの……? なぜかも何もバカップル全開に見えたけど……」

「全て世間体のためであり友情の範囲内だ」

「世間体って何」

「子は天命で授かるものなのにいつまでもできないとなったらどこかお身体の具合でも悪いのではないかと后妃の皆さまがそしりを受けるだろう?」

「それであんたが悪者になることで后妃の皆さまの救いになるとも思えないんだけど。わたしにそれを主張してどうしたいわけ?」

「お前はすぐにいかがわしい妄想をする。拙僧はまだしもあの御方を辱めることは許さん」


 とげとげしく言い放ったかと思うと。

 何やら急に表情を和らげ、ちょっとほおなど染めてみせるのだった。合掌する動作すらどこか艶めかしく。


「あの御方はとても純粋で……心根が綺麗なのだ」

「何あんた夢見る乙女みたいな顔してんの。そういう態度が妄想を助長するのよ」

「ナマモノに向かって妄想とは何だ! 不敬な!」

「あんたに言われても説得力がないのよ!」


 ……これは失恋しているのかいないのか、宙ぶらりんの生殺し! 現状を維持したいのか、こいつは? 何のために?


「まあどうせ行列は長い。おれの話を聞け」

「だから何でわたしに言いわけするのよ」


 預流はなぜだか急激にドン引きしている自分に気づいた。



 ……昔々。源資智よしとも卿という公達がいて、宮家の女王にょおう麗子れいこさまに懸想し、文のやり取りなどしていた。

しかし麗子さまは卜定ぼくじょう斎宮さいぐうに選ばれてしまう。帝の名代として伊勢の神に仕える斎宮は清らかな乙女でなければならない。麗子さまは資智卿と結ばれることなく涙の別れをし、潔斎を経て伊勢へと旅立った。ありがちな平安悲恋物語。

この斎宮が都に戻ったのが五年後のこと。いよいよ恋が叶う日が来るかと思いきや。

斎宮は入内じゅだい女御おきさきになることに。資智卿、二度目の失恋。これもわりとありがち。「帰ってきたら結婚しましょう」と言いながら結婚できたためしがない。

その後、麗子さまは玉のような皇子をお生みになったが、難産でそのまま薨去こうきょされてしまった。資智卿、三度目の失恋。

本人にフラレたわけでもないのに三度も挫折して彼はキレた。


母后ぼこうのおられぬみこさまを、わたくしが後ろ盾となって立派にお育ていたします!」

「お、おう」


 流石に帝も何だか気まずくていらっしゃったのだろう。斎宮の入内は政治というもので特に資智卿に恨みがあったわけではなかったが、結果的にとんでもない恨みを買ってしまった。

だがこの東宮さま、梨壺なしつぼのみこさまはお身体が弱く長生きできるかどうかも怪しい。そこで資智卿はいろいろな寺を参詣し。


「東宮さまが元服なさった暁には我が末の息子、四郎明丸あきらまるを法師にいたします。どうか東宮さまが健やかにお育ちくださいますようご加護を」


 熱心に祈ったという。

資智卿の祈りが通じたのか梨壺のみこさまはその後、病になることもなく立派に元服し、高御座たかみくらかれ今上帝となられた。



となると問題は。


「……あんた、四男なのよね?」

「そうだ」

「メチャメチャ親に出家を強制されたんじゃん」

「親も先帝も梨壺のみこさまも別にならなくてもいいと言ったが、拙僧は幼くして仏道の才に目覚めたので。天竺てんじくに行くことに決めたので」

「あんたの話、嘘ばっかりじゃん。今更何を信じろって言うのよ」


 なぜだか預流はこの男の話を詳しく聞けば聞くほど心が冷めていくのだった。だんだん、どうでもいいからもうさっさと一人で熊野にでも行っちゃおうかな、と思い始めた。真面目につき合うだけ無駄な気がする。


「ちょっと待ってよ。今上っておいくつ?」

御歳おんとし二十一であらせられる」

「あんたと同い年じゃないの。梨壺のみこさまがお生まれになった時点であんたの兄が三人生まれてるじゃないの。資智卿、とっくに斎宮を諦めて他の女と結婚してるんじゃないの。あんたのお母さんはそれどう思ってるわけ?」

「別にどうも。父と麗子斎宮は結局結ばれていない」

「いやいや、女を馬鹿にした話だと思うわ」

「身分ある男が結婚しないで済むか。男に想う女の二人三人いたからどうだと。子供ではないのだから平安の一夫多妻制でいちいちギャーギャー喚くな。平安男子の恋愛対象は親が決めた正妻、姉妹づきの女房、宮中の女官、物詣ものもうでなどで知り合った受領の娘、憧れの宮さまが鉄板だ」


 ――何か歪んでいる。そうか、こいつの歪みは親の世代から。


「むしろお前の兄君や父君には愛人はいないのか? 逆に怖いぞ」

「やめてよおもうさまはともかく兄さまは一途なのよあんたの偏った価値観で汚さないで」

「何も偏っていない、平安時代の標準だ。拙僧は一生不犯いっしょうふぼんの清らかな身の上だが」

「あんたの言うこと何も信じられないのよ。わたしに狼藉するような男のくせに一生不犯も何も。……今上のお妃も斎宮じゃなかったっけ?」

麗景殿女御れいけいでんのにょうごさまだ。麗子さまの従姉妹姫で、うちの父が取り計らって入内させた」

「あんたの父親、屈折してない!?」

「おれが女だったら中宮になっていたのにとことあるごとに各方面から聞こえよがしにささやかれる」



 源四郎明丸、幼少のみぎり。人並みに歌など詠む真似をすれば。


「何と優しい歌を詠むのだ……女ならどれほど立派な妃になったことか」


 と涙ぐまれるものだから和歌の勉強をやめ、騎射や剣術の稽古に励むことにしたが。

 間が悪いことに生来、女顔で華奢で、鍛えても補えなかった。


「何と美しい……女ならどれほど立派な妃になったことか」


 ならば仏門に入るしかあるまい。



「各方面って一人だけじゃない!?」


 四回も出産ガチャを引いて一人でも女だったらそれで少しは気が済んでいたのに、全員男だった資智卿のじっとりとした怨念を一身に受けて育った末っ子の四郎明丸の行く末がこのありさま。母親は納得していたと言うものの、知れたものではない。

 ――男のプライドをへし折られて育てられた女のような男の根深いミソジニー。こうなると身体を鍛えて武術の修練を積んでいたのも違う意味を伴ってくる。更にここに、初元結いの宴で賢木中将に押し倒されて「その顔で男なのかよキモッ」と吐き捨てられた(憶測に基づく偏見)トラウマが加算すると。


「あんたそれやっぱ精神的に虐待されてたのよ。自己肯定感が育ってなくて自傷と当てつけで出家してマッチョイズムに走ったんだわ。慈愛をもって育てられたとか大嘘じゃん」

「夫に先立たれてヤケクソで出家したお前に言われたくはないな」


 案外相性のいい坊主と尼なのか?


「拙僧の歳ではまだ叡山で修行を積まなければならないのだが、尚侍ないしのかみにまでなって乳母同然にお世話していた母が早くに亡くなって、みこさまが寂しがっておいでで。――呼び戻されたのもそういう話に曲解されている」


 その挙げ句、この男のあだ名は〝道鏡〟――セクハラの犠牲者がミソジニストになって更なるセクハラの連鎖を呼んだ。御仏の宿縁すくえんの何と惨いことか。いや、女だったらそれはそれで楊貴妃ようきひとか国が乱れるとか指さされていたのが容易に想像できたし、帝と妃の間に愛が育まれたかどうかはまた別問題だった。

 事情はわかった。だからってあそこまでバカップルを演じる必要は特にないのと、預流が八つ当たりされる筋合いは更に微塵もないだけで。


「結局、何が言いたいの?」

「複雑な事情があるが何もみこさまのせいではない。あの御方は拙僧をキラキラした何かだと思っておられるのでお前、飛鳥とか余計なことを言うなよ」

「ええーどうしようかなー。それってわたしの方が立場が上ってことよね? あんた自分のしたことの罪深さ後ろめたさを受け容れることにしたのね? 反省したの?」

「後悔なら嫌というほどした」


 駄目だこいつ。人は痛みを知って優しくなれるとか大嘘だ。

 そう思うと前に並んでいる人たちが気になってきた。何やら従者を連れた偉そうなじいさんが前にいるせいで靖晶ともう一人はろくに姿も見えない。


「わたしに口止めするためにわざわざ二人になったわけ? 〝播磨守さま二人〟は放っておいていいの? 早く戻った方がよくない?」

「あれはあれでよい」


 明空は腕を組んでふんぞり返っていた。


「今、あの御方の中では未曾有みぞうの陰陽師ブームが来ていて。話したがっておられたのでいい機会だ。もう少し列が進んだらあちらに戻ることにする」

「……だ、大丈夫? あの人、何にもなくても鼻血出したり足が攣ったりするのよ? 偉い人を前にして、緊張してボロが出て格好悪いところ見せちゃうんじゃ?」

「只人だとわかったくらいで官職を剥奪して放り出すような御方ではない。陰陽師もそこまで間抜けではないだろう」

「あんた、自分の体面は必死で取り繕うのに他人はどうでもいいのね」


 何でこの男に恋人がいるかもしれないと思っただけであんな絶望のどん底に落ちてしまったのか。親を恨んで世界の全てを呪って世界の全てに呪われているのをかたくなに認めず、上っ面の体裁にこだわる男。蓋を開けてみればものすごく底が浅く器が小さくて自分が馬鹿らしくなってきた。いいのは顔だけか。どうしてこんな男に惚れちゃったかな。

 ――ふと。思いついたことがあった。


「ねえ。わたし今あんたの弱み握ってるのよね。あんた、わたしより立場の弱い人間よね」

「何が言いたい」

「わたしを〝預流さま〟と呼んで敬語を使いなさい」


 預流は堂々と背筋を伸ばし、自信満々に自分の胸に手を当てた。後光が射しているくらいのつもりで。


「無理とは言わせないわよ、陰陽師どのは普通にやってるもの。別に非道でも何でもないわ、式部卿宮の妹姫にして左大臣家の令嬢に対して相応の敬意を払い言葉で礼を示せというだけよ。当然の権利よね? 世間では当たり前よね?」

「お前は全然当たり前ではないくせに?」

「そのわたしにとてもいかがわしいことをしたのは誰? 僧にあるまじき行いよね? 一生不犯? どのツラ下げて? 謝罪の一言もないわけ? あー言っちゃおうかなーかしこき辺りに申し上げちゃおうかなー僧のなりをした不心得者が御寺に潜んでよりによって主上おかみのお身内である式部卿宮の妹にー」


 わざとらしく平坦な調子で言っていると。

 明空があからさまに奥歯を噛み締めた。ゴリゴリと石でも噛んでいるような音がして、歯が割れるんじゃないかとちょっと心配になるほど。


「……数々のご無礼お許しください、預流さま」


 その後で搾り出すようにかすれた声でつぶやき、頭を下げた。――効いたよ。マジか。謝ると思っていなくてちょっとびっくりした。いや違う。これは新たに握ったこいつの弱みがそれほどにすごいというだけで心から反省しているわけではないのだ。騙されるな、預流。

 頭を上げると。


「長い行列でのどなど渇いてはいらっしゃいませんか。水を汲んでまいりましょうか。口寂しくはありませんか、何か菓子などご用意いたしましょうか」

「え」


 すらすらと心にもないことを――きっと心にもないことを真顔で唱え始めたので預流の方が面食らった。


「預流さまにおかれましては長くお立ちになってお疲れでしょう。拙僧が並んでおきますからいずこかでお休みになってはどうでしょうか。牛車をお使いになりますか。ご用意させましょうか」

「え、いや、あの、別に、そこまでは」


 だ、騙されるな預流。この男は最低の嘘つきだ。顔がいいだけで中身は酸漿ほおずきほども詰まっていない。

 だのにじっと目を見つめてくる。そんな気はごうほどもないくせに。睫毛が長い。優しい目つきをしているとどうしてこれほど美しく生まれつきながらお妃になれないのかと資智卿が嘆いた気持ちもわかろうというもの。


「預流さまをこのような場所でお待たせするのは申しわけのうございます。いつでも拙僧におっしゃってくださいませ。何としてでもお助けいたしましょう」


 大声で言われると、皆に見られているような気分になった。何だかとても恥ずかしい。何これ。もしかしてわたしも頼んだら葡萄食べさせてくれたりするの? え。無理です。待って。無理。

 ……あれ、これ、どちらが罰ゲームだっけ。

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