第2話

 地下鉄の出口を出ると、雨は上がっていた。というより、もともと降っていた気配がない。ドームから十数キロ移動しただけだから、実に狭い範囲でのみの降雨だったようだ。

 まどかの自宅……、「はしもと古書店」は、小さな商店街を抜けた先にある。

「なんか……、店、増えたか?」

 太一がきょろきょろしながらそんなことを言う。

「一時期……、大通り沿いに巨大スーパーができたころは閉店が相次いで、シャッターが並ぶばかりだったけどな。ここ最近、新しい店がまた増えだしたな」

「へえ。なんでだろ」

「さてな。専門店ブームとか、カフェブームとか、そういうのじゃないのか」

 まどかのセリフに、なるほど、と太一は頷いた。閉店した店舗を居抜きで購入し、新たに店を構えているのは「ドライフルーツ専門店」や「ネイルサロン」、「蜂蜜カフェ」などで、昔の商店街とは確かに趣が違ってきているように見える。

 商店街を観察する太一をよそに、まどかはすたすたと歩を進める。太一は慌てて足運びを大きくした。と。

「おっと」

 まどかの真っ直ぐな背中にぶつかりそうになる。

「どうしたんだ、急に」

 急に立ち止まって、と言うはずだった太一の声は尻すぼみになった。まどかが、ケータイを耳にあてたからである。

「……もしもし。兄さん?」

 普段よりもずっとずっと柔らかな声音で、まどかが応答する。電話の相手がまどかの「兄」らしいとわかって、太一はなぜだか妙に緊張した。

「うん、元気だよ、別に変りはない……、え? 何?」

 まどかは少し前のめりになって眉を寄せた。と、思えば、すぐ上を向いてぐるりと首をめぐらせる。

「空? 少し曇っているけど、おおむね晴れてるよ。は? 色? 何色か、って、青だけど……」

 明らかに困惑した表情のまどかが、ちらりと太一を見て、すぐ目を逸らした。

「ならいい、って、え、兄さん、どうかしたのか? 大丈夫なのか?」

 焦った声が、電話のむこうの相手に追いすがる手のひらのような熱を帯びていた。まどかはそれから何度か、うん、うん、と返事をしたのち、うん、じゃあまた、と電話を切った。

「……大丈夫か」

 誰が、とも、何が、ともつけずに、太一はまどかに尋ねた。

「まったくわからん」

 ため息交じりに、まどかが答えた。

「だが、兄さんは大丈夫だと言った。何がどうして大丈夫なのか、そもそも俺は兄さんに対して一体どんな心配をしたらいいかもわからないが、兄さんが大丈夫だと言うからには大丈夫なんだろう」

「そうか」

「兄さんは、嘘をつけないから」

「……そうか」

 太一が頷いたとき、チリンチリン、と自転車のベルが鳴った。太一はすぐさま、まどかの腕を引いて道の脇へ寄る。すみませんね、と朗らかに笑い、ゆっくり自転車で通り過ぎてゆく老婦人に、太一はぺこりと会釈をした。

「まどか」

「何だ。痛い。腕をはなせ」

「ああ、すまん。……コロッケはどこだ」

「……その先の肉屋だ。行こう」

 ふたりは再び歩き出し、目的地であった肉屋で、コロッケとメンチカツをそれぞれ三つずつ買った。

「はーい、ありがとねー。これ、福引券ねー。五枚で一回引けるから。抽選所はそこの足立酒店」

「え、あ、はい」

 コロッケの袋と共に手渡された三枚の福引券を、太一はおたおたと受け取った。

「福引?」

 まどかが隣から手元を覗き込んだ。

「あと二枚必要らしい」

「じゃダメじゃないか」

 まどかが、ふん、と鼻を鳴らす。太一が笑いながら福引券をポケットにねじ込もうとすると、とんとん、と背中の、ずいぶん下の方を叩かれた。

「お兄さんたち、これ、差し上げるわ」

 朗らかな笑顔の老婦人が、福引券を差し出した。……二枚。

「え、でも」

 遠慮しようとした太一の手に、老婦人は笑顔には似つかない素早さで福引券を握らせる。

「いいのいいの。どうせ私、五枚集まらないし。もう充分、福は引いて来たしね。うふふ」

 老婦人はとてもとても嬉しそうに笑って、じゃあねお兄さんたち、と立ち去った。八百屋の店先にとめていた自転車のスタンドをよっこいしょ、と上げて、サドルに跨る。八百屋のオヤジが、奥さん気をつけてねーまいどありー、と老婦人の自転車に叫んだ。

 まどかと太一は、ぽかん、とそれを見送った。

「……引いてみるか」

「ま、無駄にするよりはいい」

 足立酒店は肉屋から二軒隣で、店先に設えられた福引の抽選所にはでかでかと『一等 野球ペア観戦チケット』と張り紙がしてあった。

「……一等を引いたら、ドームにとんぼ返りだぞ、太一」

「それは大当たりなのか大外れなのか」

 まどかがニヤリと笑い、太一がいやいや、と苦笑する。はーい、一回分ねー、と福引のガラガラを示されて、太一はまどかを見た。まどかは無言で、顎をしゃくる。お前が引け、という意味だと解釈して、太一はひとつ頷くと、ゆっくりと、ガラガラを一回転させた。

 ころん、と転がり落ちたのは、青い玉。

「おめでとうございまーーーす!!!」

 酒屋の店主の声が高らかに響く。

「三等、オレンジジュース2リットル、六本セット!」

「え、あ、ありがとうございます……」

 太一が、ペットボトルが六本詰まった段ボールをどん、と渡され、担ぎ上げた。まどかはコロッケの袋を引き受けて、けらけらと笑う。

「当たったじゃないか」

「……ずいぶん、重い当たりになったよ」

「デカい図体をしているんだ、その程度で重いとか言うな。……それにしても、三等。オレンジジュース。……なんとまあ、中途半端な。ま、そんなもんだよな」

 笑いながら言うまどかの声が、だんだんと小さくなって、最後の方はほとんど、太一に届かなかったようだった。なんだって、と太一が訊きかえす。

「別に。どうせなら、オレンジジュースじゃなくてビールが良かったよな」

「バカ野郎」

 短く返して、太一は笑った。そして、足の運びを大きくした。コロッケが冷めてしまう前に、「はしもと古書店」へ辿り着かなければならない。

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次男ふたり~福引の話~ 紺堂 カヤ @kaya-kon

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