次男ふたり~福引の話~
紺堂 カヤ
第1話
それは一瞬のことで、とても目で追えるようなものではなかった。だから、白球が青空を割ってゆくように見えたのは、完全なる錯覚だ。
ホームラン!! という大げさでハイテンションなアナウンスが、その錯覚をすぐさまぶち壊してくれたおかげで、自分の立ち位置を見失わずに済んだけれど。
「……そもそもドームなのに青空とかありえないだろ」
ぼそりと呟いたことに、隣の男は気がつかなかったらしい。晴れ晴れとした笑顔で、大きく手を振っていた。
※ ※ ※
「いやー、いい試合だったなあ」
観客でごった返すドームの通路をのろのろと歩きながら、薗城太一が満足げに息をついた。それを横目に、橋本まどかは不満を漏らす。
「ビールが飲めればもっといい試合だった」
「何言ってんだ、お前は。俺たちはまだ未成年なんだぞ」
「十九なんて四捨五入したらハタチだろうが」
「四捨五入するのが間違ってる」
大柄な図体で細かいことを指摘する太一を、まどかは細い両目で見据えた。
「……なんだよ?」
「純粋に観戦を楽しんでいるように見えたが」
「え、うん、楽しかった、俺は。悪いな、無理矢理付きあわせたもんな」
ドームでのデイゲーム。野球の知識など皆無のまどかが足を運んだのはひとえに、太一に誘われたがゆえだった。太一の兄・薗城健治はプロ野球選手だ。その兄の出場する試合を、一緒に見に来てくれないかと頼まれたのである。
「いや、そういうことじゃない。……兄との確執みたいなものを払拭させる、という目的があるのかと思ってたんだよ」
「はあ? なんだそりゃ。俺と兄貴の間に確執なんてないさ」
太一はけらけらと笑った。
「まあ、高校にいるうちは兄貴のことでいろいろと面倒もあったし、嫌な思いもしたし、腐りそうになったけど。今も、大学ではあまり知られて欲しくないと思ってるしな……、知られたときのことを思うと頭が痛い」
サインをもらってきてくれ、とかチケットを融通してくれ、なんて言われることは日常茶飯事だったと、まどかも知っている。
「でもそれは兄貴が悪いんじゃないからなあ。プロになってからも、兄貴は兄貴だったし」
それは、薗城健治がプロになったことを笠に着るようなことをしない人物だということを示していた。
「……お前の兄さんは、凄い人だな」
特大のホームランを打った、その瞬間の盛り上がりを思い出しながら、まどかは呟いた。
「ああ。凄い人だよ」
太一は一切の迷いもなく頷いた。
「ま、わざわざ連れ出された俺としては、もう少し劇的な兄弟のエピソードが欲しかったところだけどな」
「なんだそりゃ」
太一はまた、けらけらと笑った。
「そんなの、そうそうないって。映画じゃねえんだからさ。何事もないもんだよ、現実は、さ」
「……まあ、そうだろうな」
まどかはどこか皮肉めいた笑みで、唇の端を動かした。
混雑の為に牛歩の進みだった列からようやく離脱でき、ドームの外へ出ると、細かな雨がふたりの頬を濡らした。小糠雨、と呼ぶのだろうか、まとわりつくような水の感触に、太一もまどかも顔をしかめた。
「こりゃあ皆同じことを考えるだろうなあ」
「隣の店へ殺到、だろうな」
ドームにはショッピングセンターが隣接しているのだが、確認するまでもなく、そこへ続く道は人々で埋め尽くされていた。ふたりも、そこで食事でもしていこうとしていたのだが。
「太一、空腹、我慢できるか?」
「できるさ、小学生じゃねえんだから」
まどかの物言いに、太一は呆れたような返事をした。
「ウチの近くの肉屋、今日はコロッケが特売だ。買って帰ってウチで食おう」
「いいね、乗った。……あ。でも」
「なんだよ?」
太一が急に真顔になってまどかを正面から見据え、まどかは怪訝そうに見返す。
「ビールはなしだぞ」
大真面目の太一に、まどかは苦笑するしかなかった。
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