第8話

木製の枠とちょうど成人男性の顔の高さくらいに店内の様子がぼんやりと見えるガラスが拵えてあるドアに体重をかけて押す。カランと音がなり、スタッフがすぐに駆け寄ってくる。


「あ!前田さん!お疲れ様です!今店長ちょっと裏にいますが、いつもの席でよかったですか?」

「お疲れ様。いつもありがとうね。うん、いつもの席で!よろしく!」


顔見知りのスタッフに案内されて店内に入ると、昼時でピーク前だというのに大凡の席が埋まっていた。

決して駅近ではないこの喫茶店は何か他の部分で勝負をしなければならなかった。

それなりに気にした内装、おしゃれすぎずダサすぎずリラックスできそうな店内。スタッフの接客、2回目以降のお客様へのお声がけ、そこから全スタッフが気さくに話しかけてくれる店として少し話題になってからは一見さんにも何か話題が見つかれば気兼ねなく話しかけているスタッフもいる。


中にはガールズバー扱いで若い女性スタッフと話そうとする"お客様"もいらっしゃりますので、そのような御仁には責任を持って店長が対応している。店長の森さんの淹れるコーヒーは間違いがない。しかもドリップコーヒーの淹れ方がうまいというより、コーヒーの調理に秀でている。ウインナーコーヒーであればその完成図から逆算した温度調整から焙煎までを行う。

この店には2種類のお客さんがいる。誰かと話したいお客さんと森さんのコーヒーを飲みたいお客さんだ。それくらい彼のコーヒーには魅力があり、店にくる理由としては十分なほどだ。


「前田さん。今日は何になさいますか?本日のアイスコーヒーですか?」

携帯に来た部下からのメールを返し終わり落ち着いた頃にスタッフが話しかける。

飲食店を経営するのであればこのくらいは最低条件だ。一見のお客様ならまだしも、ある程度お互いを知り合っている仲ならメニューを聞くタイミングもこうでなくては。


店長はここまで気が利かない。だが俺は飲食店で接客ほど重要なものはないと思っている。接客はその店の格を示す。例えば料理の味や素材へのこだわりはある程度の費用を出せば用意できる。だが接客はどうだ。そこには人にお金をかけるというお店の態度が現れると思っている。無論、味が大事じゃないというわけではないが、味だけではないのも確かだ。


「最近お店でよく出ているのは?」


「寒くなってきてますからね。暖かいものが人気です。ゆっくりできるのでしたらホットのカフェラテとか、お忙しければエスプレッソとかはいかがでしょう?」


「じゃあ、カフェラテをお願い。あと森さんもセットで。」


「わかりました!少しお時間ください。」


店内のことでいっぱいになってしまったが、今接客してくれたスタッフはまだがたくたで働き始めて半年以上経つ、俺はそこまで知らなかったが受験のときによくがらくたにきていたらしい。そこから大学に入ったらバイトはガラクタで、と決めていたらしく、俺がちょうどバタバタしていた時期というのと店長からこの子と絶対働きたいという言葉があったので、店長の決断に任せた。

店長の判断も決断も間違っていなかった。彼女はシフトにもよく入るし、接客も元気があるだけではなく相手を見て提案ができる。それだけでも文句なしなのにそれに加えてコミュニケーション能力も高い。


「ホットカフェラテと私、森のセットでございます。前田オーナー。」

「ありがとうございます。」


盆の上にマグカップを載せて森さんが現れた。森さんはいつも通りの笑顔のようなものでカフェラテを渡してきた。この店は元々森さんのお祖父さんからのお店らしく、それを森さんのお父さんの代に俺の先輩にコンサルをしてきたのがきっかけだ。


先輩と森さんのお父さんは同年代、もしくは森さんのお父さんがちょっと上くらいで、森さんと俺は完全に同年代で私的な話も比較的よく合う。

俺が差し出されたカフェラテを一口体内に摂取すると、どかっと森さんがその大きな体を椅子に置き、仕事の準備が完了する。


「その笑顔なら真顔の方がいいかもしれませんね。」

「その言葉を待っていました。前田オーナー。では真顔での接客に取り掛からせていただきます。そもそもがらくたにはあの娘の笑顔を見たい子はいても私の笑顔に興味がある人なんていませんから。」


渇いた笑いしかでてこない。この人は俺に笑って欲しいのかわからない。


「最近の店の調子はどうです?売り上げや人員、仕入れなんかは問題なさそうに見えますが。」

「途端に仕事の話ですね。前田オーナーたちのおかげでいつも通り順調ですよ。」

「オーナーってやめてくださいよ。経営はわかっても私は人に飲んでもらうものも食べてもらうものもつくることもできませんよ。」


確かに厳密に言えば俺はがらくたのオーナーだ。さらに厳密に言えば俺の会社ががらくたのオーナーで、その権限を俺に付与されている。


「それでも親父の頃からオーナーと思っておりましたので。そもそも私は前田さんや本田さんだからオーナーと呼んでいますよ。そんじょそこらの数字だけで語るような人は親父も私も願い下げです。」


「それはありがたいですけど。最近は調子いいとのことですが、この先はどうですか?何か不安なことあります?春はもう準備してあると思いますけど、夏に向かっては何やりましょうか。あ、スムージーとか売り上げよかったですよね。マンゴーとパイナップルの。」


「ああ。スムージー。そうですね、いいですね。」

その発言とは反対に森さんはなにか言いたげない表情をしていた。


「何か他にも挑戦したいんですか?」

そう俺が言うと、ぱっと電気を点けたような明るい表情になり、ここぞとばかりと語り出す。


「そうなんですよ。最近チェーン店のコーヒーショップに娘と行った時にですね。コーヒーのアイスのようなものを頼みましてね。その時私は思ったんです。まだ私はコーヒーを液体にしかしていないなと。」


「ああ、なるほど。確かにそのメニューの方が森さんも楽しそうですね。じゃあそれやってみましょうか。いつも通り試作をいくつか作ってみてもらって、商品化できそうな味のの原価を何パターンかください。そこから経営的になんとかなるレベルで森さんのこだわりも含めつつ値段設定も受け入れられそうなものに調整しましょう。」


「ありがたいです。また品物の仕入れを依頼するものは依頼してしまっても大丈夫ですか?」


「もちろん。喜んで。あとスムージーやりたくないわけではないんですよね?あのバイトの子が興味あったら仕入れからやってもらいますか?長く働くならその辺できると非常に大きな戦力になりますよね。新しい視点も得られそうですし。」


「確かにそうですね。一回やってくれるか話を聞いてみますね。売り上げの構成要素的にはスムージーはなくてはならないですかね?」


「いいえ。あればもちろんベターですが、私の方針はあくまで森さんがやりたい方法で結果を出すことなので、やらない方針であればその分新商品の方をシビアに見るだけです。」


「わかりました。ではその方向でやりたくなければ断ってもいいと行ってしまいますね。」


「はい、そちらでいいかと思います。あと、森さんまた筋肉増えました?」


「増やそうとは思っていないんですけどね、こう体動かすの好きでジムとかにいくとどうしても増えますね。」


「見た目怖くなるとお客様こなくなるのでほどほどにしてくださいね。それではそろそろ私は帰ります。」


「ええ、またお越しくださいませ。お客様としてもお待ちしておりますよ。」


「お金はちゃんと支払いますからね。じゃあ。」


がらくたを出るともう夜になっていた。

このまま帰るか、もしくはバーの方にでも顔を出すか。

少し酒も入れたいことだしバーにも行くことにしよう。

バー『Mumo』に運んだ足取りはがらくたのときのものよりずっとずっと軽かった。

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