第6話

「悪い。帰ってくれ。そういうつもりじゃなかった」


突発的にこの言葉が出た。視界の中央部には肌色が、その横にはしわくちゃになった布がある。記憶を一つずつ思い返す。vertで俺はまどかに誘われ飲んでいた。

それで確か俺はまどかの過去の話を聞いた。


「ほんとにみんな馬鹿みたいに同じ期待を寄せて。私を勝手に周りの人が作るの。」

「そうか。」

「ハジメくんもさ、そういうタイプじゃないの?無理に繕ってさ。嫌われないように安全な方法を選んでさ。」


確かにそうかもしれない。人に嫌われたくないから繕って周囲に期待される自分を作って、それで僕は道に迷った。


「どうだろうな。」

「そういうところが素敵だと思ってるんだけどなあ。」


俺はそれを素敵だと思わない。だから何も言わない。まどかに好かれたいとも思わない。


「というか合コンの話から随分話が変わったな。」


気まずいので話を逸らす。もちろんそれだけでなく単純に気になっていることでもあった。そもそもまどかと俺が会うのは2回目のはずだ。いくら仲間意識を持ったところで本音を明かすには早すぎる。


「ああ、確かにそうだね。」


そういうまどかの表情は悲しげな様子と嬉しそうな様子のどちらもその表情から受け取れた。


「どうしてそんな話を?」

「合コンでさ、周りの人を見て改めて思ったの。『この人たちは私と住む世界が違うんだな』ってさ」

「住む世界が違う?」

「そう。住む世界がね。私は、いや私たちは仮面舞踏会で踊らされているだけなんじゃないかって思うんだよね。付けたくもない仮面を付けさせられて、周囲の人は仮面舞踏会そのものを楽しんでいて、私たちにはなんの興味もない。その上、彼らにとって私たちの踊りは彼らの娯楽の一つでしかなくて、ただ消費されるためだけに生きてる。それでもその娯楽に私が付き合っちゃうのがいけないんだけど。彼らっていうのはスクリーンの外から私たちをまるで映画みたいに見ているんじゃないかって。そう思うの。きっとスクリーンの中でも楽しんでいる人はたくさんいると思うんだけどね。」

「へえ。なるほどね。スクリーンから飛び出して周囲の人になれば楽なんじゃない?」

「ハジメくんならわかってるでしょ。そんなのできないって。だからね、さっきの話に戻すと、私とハジメくんは同じ世界に生きている人なの。周りの自分勝手に生きている人とは違う。私たちは弱いんだよ。」

「だから俺にそんな仲間意識を?」

「そうだけど、それだけじゃない。」


そう呟いた彼女の唇はアルコールで濡れていて、酷く魅力的だった。グラスを揺らす彼女の指も、グラスを見つめる彼女の瞳も何故だか愛おしく思えた。きっと僕もこの瞬間彼女に仲間意識を感じたのだろう。わかっていないフリをしてはいるが、酷く共感している自分がいる。


「ハジメくんはさ、アニメとか好き?」

「普通かな。今はほとんど見ないけど中学生のときとかはよく見てたよ」

「アニメのキャラクターに本気で恋をする人たちを見てどう思う?」

「どうって、まあそれぞれ好みだからいいんじゃないか。」

「叶うと思う?」

「いやそれは叶わないと思う。」

「それと同じ、私もね、スクリーンの外の人とは誰とも叶わないの。それは誰が悪いとかそんな話じゃないの。誰も責められない。だからハジメくんと会えて本当に嬉しかった。知り合いを言い訳に2人きりになりたいと思うほどにね。」


中の人と外の人か、確かに僕は恋愛でうまく行ったことがないが、それをそんな風に考えたことはなかった。

「そう言われるとなんとなく理解はできる気がする。」

「でしょ?私たち似たもの同士だよ。」

そう言った彼女の微笑みには怖さがあったが、それを覆い隠すほどの可愛さもあった。ものの30分ほどだろうか、vertにいたのは。次のカクテルを頼もうとすると、マスターが申し訳なさそうに時計を指差した。時刻は2時になろうとしていた。


「そろそろ帰ろうか。お店も閉まる。」

「わかった。お店でよっか。」

マスターには手で合図をする。いつもの流れでカードをわたし、領収書をもらう。

店を出ると流石に冬の2時なだけあってかなり寒さを感じた。不意にまどかを確認すると、こちらをじっと見つめていた。


「ハジメくん。あなたの家で飲みなおそ。朝まで。ひとりにしないで。」

最後の発言が僕の一番弱い部分と強く共感した気がした。気がつくと僕たちは僕の家に向かって歩みを進めていて、さらに気がつくと彼女はシャワーを浴びていた。その間僕たちが何を話していたかなんて皆目検討がつかないし、その瞬間僕が感じていた孤独感や無力感といったものは一時的にではあるが緩和されていた。彼女がシャワーを浴びる間、家にあるお酒を飲んでいた。決して上等なものではない。量を飲む用の銘柄だ。ただ、その瞬間のウイスキーはまるで一級品のようで、ないはずのピート香が感じられ、あるはずの強いアルコールによる刺激性が弱まっているように感じた。


ただ、そんな幸せも長くは続かなかった。大量の水が出ている音は止まり、雫が落ちている音に変わった。ドアを開く音がする。そして衣擦れの音、静かな様子から一変、ドライヤーのけたたましい風音、そして最後に、リビングのドアの音。


「服まで借りちゃってごめんね。ありがとう。」

そういう彼女は、彼女の体の大きさに見合わないやや大きめのスウェットを身に纏っている。


「大丈夫だよ。飲む?」

「うん、でも同じグラスでいい。」


乾ききっていない髪が僕の頬をつたい、ひんやりとする。

彼女は僕のグラスをとると、それを一気に飲み干す。


「ちょっと待ってて、次のお酒用意するから。何がいい?」

いいながら立ち上がろうとすると、立ち上がれない。まどかが俺の服を摘んでいる。


「ハジメくん。ひとりにしないで。」

「グラス持ってるから危ない。しかもここは俺の家なんだから、俺がここにいないで、まどかちゃんだけいることはないだろ。」

「グラス置いて。」


言われるがままにグラスをテーブルの上に置く。服を摘まれているだけなので振り解くのは難しくないが、振り解かないように行動するのがやや難しく、グラスとテーブルがぶつかり合う音が鳴る。


「よくできました。えらい。」

「それはどうも。」

「眠くなった。」

「は?飲みなおすんじゃなかったの?仕方ないから寝る準備するか。」


客人用の布団を用意し、そこに寝るように指示をする。

電気を消し、しばし眩しいくらいの暗闇と、酷くうるさい静寂が世界を支配する。

いろいろなことを考えてしまう。自分は今何でこんな状態なのか、まどかは何者でどうしてここにいるのか、彼女と僕が似たもの同士だとしてどこがそんなに似ているのかとか。ぼーっと、ただひたすら悩むが、それ以前に飲んでいたアルコールが意識を邪魔する。


長い長い思考の道を歩んでいると、まどかが寝ているはずの方からなにやら音がする。ぼんやりときっとトイレにでも行くのだろうと思う。意識は依然としてぼんやりしているが、音と気配はわかる。彼女は僕の寝ている横で止まった。


「ハジメくんのことをもっと知りたい。」


彼女は僕が寝ていると勘違いしているのだろうか。とはいっても寝ているのは半分本当なので放っておく。彼女がそう呟くと、次に感じたのは寒さだった。毛布が剥がされたのだ。


「さむい。」

「一緒にねましょ。」

「嫌だよ。寝るときはひとりがいいんだ。」

「じゃあ2人でしかできないことをしよ。」


一瞬何を言っているのかさっぱりわからなかったが、彼女は言葉が終わると、衣擦れ音を再び僕に聞かせた。


「待ってくれ。俺はそんなつもりで家に呼んだんじゃない。」

「大丈夫、私もそんなつもりじゃないから。性欲のためのセックスじゃなくて、孤独を埋めるためのセックスをあなたとしたい。同じ世界にいるあなたと。」


泣きそうな目で、すがるような目でこちらを見てそう呟いた。

刹那、俺は再び現実に戻された気がした。

「悪い。帰ってくれ。そういうつもりじゃなかった」


結局まどかも俺に期待を押し付けてくる人間だった。

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