第5話

「こちらで。」

店に入ると、アロマのお洒落そうなしかし落ち着く香りとともにマスターに迎えられ、静かに右奥の席へと導かれる。俺は黙って案内された席につこうとする。

「こっちで。」

女の声が俺の足を止めさせ、視線を要求する。

その発注元には、先日よりも気合を入れたと言えそうな格好をした花宮がいた。

その座り様は椅子に備わっている金属の一本の柱で支えられているものの、どこかふらついていた。


「そっちにいたんだな。今から探そうと思っていたんだ。」

「嘘つき。入り口で探したらすぐ見つかるでしょ。入って左見れば良いんだもん。」

「マスターが席案内してくれたからな。」


店が静かな雰囲気だからなのか、早くこちらに来いということなのか、女はやけに小さな声で空気を震わせる。若干無視をした怒りなのか、酔っているからなのかその言葉には小さいながらにも強さがあった。彼女の手元には女性に似合わないようなサイズのロックグラスが備えついており、見たところウイスキーのダブルを2口ほど飲んだのではないかという量が残されていた。席につき、荷物を置きながらアイコンタクトでマスターに注文する。


「カシスオレンジを1杯、カルーアミルクを1杯、シャンパンと白ワインをグラスで1杯、全然酔えやしないし、酔わずに話したいなんて思う人もいなかった。美味しいお酒も楽しい話し相手も、良い気分も、何一つ埋まっていなくて。乾ききっていた。」

「2軒目は?」

「ギムレットを1杯、マティーニを1杯、そして今。アードベッグのダブル。スコッチが好きって確か前いったよね?覚えてる?でも私すごく詳しいわけではないの。いつもこればっかり飲んでる。」

「へえ」

入ったときは気にならなかったが店内には俺たちの他にカップルが1組いるだけだった。カップルはきっとどこか遠出をして帰ってきたところだろう。スマートフォンの画面をお互いに見ながら写真についての話をしている。思い出話なら直接顔を見て話せば良いのにとも僕は思うが。とにかくカップル以外には俺とまどかのある種の人から見たらカップルに見えないでもない2人がいるだけだ。カップル2組がいるバーというのは特段変な話ではないだろう。


だが、俺にとってはこの空間は異質だ。異質な要素として言えば3つ。

まず女と2人きり、ここまでは異質ではあるもののまだ見られる事象だ。

問題は残りの2つ。

その相手がこの花宮まどかであること。

そして夜遅い時間の誘いに俺が乗っていること。


「今日も素敵ね。」

「特にこの髪型とかキマってるだろ。なんていうか寝起きみたいでさ。」

「嫌味で言ったわけじゃないの。気分悪くさせていたらごめんなさいね。」

「夜にお酒を飲むのは嫌いじゃないんだが、基本的に家で飲んでいるからな。」


なぜかここで静寂が訪れる。以前話したまどかであれば、観察をするような時間はあるもののきっちりと話すときは話していた。しばしお互いに無言でただアルコールで口を湿らすだけの時間が流れる。2口目の水分が乾き切る少し前にまどかが言葉を落とす。


「はじめくんは本当に素敵」


そういうまどかの目は少し潤んでいた。

それが酔いに起因するものなのか、それとも悲しいのか、はたまた悲しいのかなんてことは俺には到底理解ができなかった。ただ泣きそうな人に対して、自分の思い通りに接することも俺にはできなかった。


「おだてなくてもここは俺が出すぞ。」

「ううん、ほんとなの。今日ね合コン誘われて行ってたの。」

「また合コンか。好きだな。」

「でもね、私好きってわかんないんだ。」

「そうか。そういう時期は結構みんなあるんじゃないか?」

「はじめくんは好きな人いる?」


酒が少し入っていたからか、それとも夜遅くに呼ばれたからか、相手がまどかだからか。この質問はなぜだかいつものように躱せなかった。躱してはいけないという罪悪感は全くなかった。ただ躱すことができなかった。


「どうだろうな」


話題を変えることもできずに、ただ返事を濁す。

「私ね。人のこと信じられないの。人間不信とかそんな大層なことじゃないんだけど。どこかで心の中で疑っちゃうんだ。だから付き合っても長く続かなくて。きっとこの人なら大丈夫って思うんだけど、結局最後は私ばっかり好きになって振られちゃってさ。」

「そうか。」

「そう。それでもさ、周りの人は私を可愛らしくてモテて茶目っ気があってとかっていうの。『それが花宮だよね。』『まどかだよね』って馬鹿みたいにそればっかり。」


ああ、なるほど。だから違和感があったんだ。この人は、花宮は、まどかは、俺とよく似ていたんだ。

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