第4話

嫌なことを思い出してしまった。

夜は嫌いだ。嫌な思い出を思い出すから。

2月も嫌いだ。振られたことを思い出すから。

人も嫌いだ。僕を裏切り傷つけるから。

自分も嫌いだ。勝手に傷つくから。

この世も嫌いだ。僕が不幸だから。

誰もが傷を持って生きている。誰もが痛みを持って生きているのに、その心配をされるのは傷が見える人だけ。痛いと言える人だけ。

周りの期待に、周りの視線に、周りの理想像にただ応えている人間はどれだけ中身が腐敗していてもただ朽ちるだけ。それも朽ちる時は突然何もかもがなくなる。


前田一は二人いる。俺と僕だ。別に多重人格ではない。でも僕は俺ほど強くないし、俺は僕ほど素直じゃない。

俺は同僚の吉田を見ると羨ましく思う。あいつは人に弱さを見せるのがうまい。

僕は吉田の友人の佐藤が羨ましい。彼は正直に生きていて自分がある。

でもきっとその男たちもどこか生きづらさを感じていて、それが前田一と違うだけなんだろう。こんなに生きづらいならもういっそ、



ー死んでしまいたい


死ねば楽になる。でも死んだ後はどうする?死んでも前田一の痕跡は残る。

その痕跡を見て心配する人は?困る人は?きっと迷惑になるんじゃないか?

俺という人間が、僕という人間が生まれたこと、それによって少なからず周囲に影響を与えてしまった。もう俺は死ぬに死ねない。それは僕が死んで困る人がいるなんていうつまらない自尊心ではなく、僕は死んでもいいけど、俺は死ねない。ただそれだけだ。


ベッドで横になっているとこんなことばかり考えてしまう。仕事をしている方がずっとましだ。だから俺は休みもなく働く、休まなければこんなことを考えなくていいからだ。明日は休日だし、少し寝坊してもいいだろうが、家事をあらかた済ませたら会社に行くつもりだ。


耳障りな音が鳴る。机においた携帯が震え、金属と金属がぶつかり合う音だ。画面を見ると嫌な女の名前が表示された。


『花宮まどか 拒否 応答』


思わず拒否に指が近づく。

時間はもう22時で、飲み会であれば二次会に移動するか、少し早ければすでに移動して店でドリンクを頼んでいる時間だ。


「もしもし、どうした?」

「もしもし、いまどこ?」


この女とはあまり話したくない。

なぜか苦手だ。


「家だよ。寝るところ」

「早いってば。小学生じゃないんだから。今私たちの駅近くのバーで飲んでるんだけどこない?」

「明日仕事だから。今日はパスするわ。」

「どうせ休日出勤でしょ、一杯だけ付き合ってよ。vortって店。2番出口の方を右手に真っ直ぐ。1分も歩けば見えると思うから。」

「はあ、わかった」


唇を丸めたくらいの「わ」を言い切る前に電話が切られる。

この時間から呼び出すなんて非常識だ。たまに行っていたvertにあの女がいると思うとあまりあの店には顔を出せない。気の良いマスターで家の近くに唯一あるバーなのに残念だ。

だが電話が切れたその瞬間不思議と嫌な気分はしなかった。


「あと3分まって」


それだけLINEを送り、ジャージから少しゆったり目なセーターに着替え、鍵と私用携帯、それと財布だけポケットに忍ばせ、ドアを開けた。

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