第1話
湿った空気の匂いと心地よい雨音に起こされる。
7時に目覚ましがなり、前田一が目覚める。
たった2年の歳月でも人間の習慣は簡単に完成する。
朝6時に起き、7時に目覚める。
着替えながら朝食を済ませ、家の鍵を締める。
定期入れと鍵をバッグの例の所に入れて、靴紐を結ぶ。
無機質なアナウンスと金属同士の摩擦音が聞こえる。それらはもはや情報を得る機能は果たしておらず、ただの環境音と化していた。
いつもの駅は始発駅だ。通勤時間とは言えまだ空いている。先行者優位ということで、自分の勝手が良い場所を陣取る。
−満員電車では自分がどう立てば他の人の邪魔にならないか考える。まるで小社会
だ。他の人を立たせながら、自分の場所も確保しなければならない。
そのあとは目的の駅をただ、待つ。
降りる駅は左ドアが出口だ。だから左隅に自分のスペースをとる。ふと、後ろから人が押し寄せる。左手のバッグは人に挟まれ身動きが取れなくなる。1つ前の駅に着き右側のドアが開く、するとその拍子にバッグが拘束から解放されるとともに衝撃で目的のドアにうっすらと映ると対面し、そのまま電車は移動を再開する。不快な位置だ。目の前の暗闇と途切れ途切れに見える光は何もないが故に嫌でも自分と向き合わされる気がする。時間になり、解放される。また1日が始まる。
「おはようございます」
隣のデスクにバッグを置き、PCを立ち上げる。
取引先へのメール、契約書の確認、部下の数字チェック、上司からの返事を朝一で確認する。
その後すぐにまた身支度をして現場に行く。移動時間も電話がひっきりなしになるので、電車の中ではメールで対応を済ませる。会社で情報セキュリティの向上に取り組みはじめたこともあり現場仕事が多い身分にはひどくめんどくさいことが増えた。
現場につき、移動中に溜まった仕事を済ませ現場を見る。かつての上司に言われた。
−困ったら現場に行け。そこにいる人が幸せか確認しろ。
最近この意味がわかってきた気がする。俺はいわゆる管理職だ。事業部をまとめてあげている。事業部といってもただの飲食店の直営店の経営をしているだけ。数字を見て話を聞く。それを改善する。それの繰り返しだ。
現場からもどると定時はすぎて20時ごろになっている。「こんな時間か」と思いつつ、仕事を切り上げようとする。
「もうあがるところか?」
同期の吉田がきっちりとジャケットのボタンを締めながら聞いてくる。吉田が声をかけてくるときはほぼ2つの内容しかない。仕事の相談か、もしくは−
「ああ、報告書だけ書いたら上がるよ。最近仕事の調子はどうだ?」
そう俺が聞くと、吉田は微笑をこぼしながら、
「順調なんだよ、いつもありがとうな。それでさ、今日」
仕事の相談の方がマシだった。もう1つの内容だ。
「なんだよ、また合コンか?そんな誘ってくれなくても大丈夫だって。」
「たまたま今日1人男側が足りなくなっちゃってさ、急なんだけど飲み行くと思ってどう?まだ独り身だろ?」
飲み会は嫌いだ。合コンも嫌いだ。他人といると、他人が期待する前田一にならなければいけない。そうやって俺は疲弊する。
「オーケー、もう終わるから一緒に行こう」
結局行ってしまう、求められていることがわかっているから。
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