第108話 ハーティア4


「…………は?」


 まさかツバキと対等に戦える相手が登場したのかと思ったのに一瞬で視界から消えてしまった。いや、崩れた壁を良く見ると建物の外にチラリと見えるけどさ。


「……流石は殲滅姫。レベルが違う」

「当然です。お姉さまは最強ですから」


 ふふん、とシオンが得意気に胸を張ってフィーネに答える。――俺の背後で。

 俺を背後から抱きしめたまま胸を張っているため背中に胸が押し当てられている。そして耳元近くで嬉しそうに話すシオンはやはりツバキの妹だな。意図してやってないと思うけど、こういうことは時と場合を選んでやって欲しい。こんな状況ではしっかりと堪能することもできないだろう。喜んでいいのか、焦った方がいいのか非常に判断に困る。


「シオン、その調子でしっかりと主様をお守りなさい。主様、しばしシオンと戯れていてくださいませ。すぐに片付けてきますわ」


 ツバキが振り向き穏やかな笑顔でそう言うとすぐさま表情を引き締め、崩れた壁から外に出て行った。


「ツバキ、怒ってる?」

「はい。理性は残っているみたいですから旦那様が止めれば止まると思いますよ」

「……竜人の逆鱗に触れた者の末路は悲惨」


 フィーネが布を取り出して俺の頬を拭いてくれた。チクっと僅かに痛みが走りフィーネの手を止める。


「なんかチクっとしたぞ?」

「……ちょっとだけ血が出てる。でもこれくらいならポーションは不要」


 どうやらさっきの熊さんの投石が俺の顔に当たっていたようだ。ツバキが全部止めたと思ったけど小さな破片が一つだけ俺の頬に当たって切れているみたい。


「ツバキが怒っているのってコレのせい?」

「間違いないと思います。完全に敵と見なしていましたから」


 ちなみに怒りで俺の護衛を放り出したわけではないらしい。常に俺達の周囲に気を配り、何かがある時は瞬時に駆け付けることが出来る範囲にしか行かない程度の理性は残っているそうだ。


「この程度の怪我でツバキの手を汚したくない。追い掛けよう」

「分かりました。でも注意してください。私達もいますけど、旦那様が怪我をしたらお姉さまが本当に怒るかも知れません」

「……ヤマヤマは触れると危険だと周知した方がいい」

「俺は危険物か。危ないのはツバキだろ。とりあえず今後は怒っても俺の傍を勝手に離れないように言おう」


 ツバキが離れたら頭が落ち着かない。外に出る時はいつも被っている帽子がない気分だ。

 シオンでは後ろからの警護はできないので、いつも通りフィーネと左右に別れて控えている。

 建物を出ようと崩れた壁に向かうと瓦礫の上に執務机が重なっている。その下の方に人の足のようなものが見えている。……因果応報か。これに懲りたら真面目に生きることだな。


 セルガを尻目に壁を抜けて外に出ると、左右に分かれるようにして人だかりが出来ていた。五十人くらいいるんじゃないのか? 西区に近くて人通りは少ないはずなんだけど。

「っ! ヤマト様! 一班と二班はヤマト様の警護に向かいなさい!」

 右側から聞こえた声の方を見るとミリスさんが商業ギルドの警備員と一緒に集まっていた。

「ヤマト様!? ハイネ隊! ヤマト様を保護しなさい!」

「待てヒロネ! 迂闊に近づけるな! ミリスさんもです! 今下手に刺激してはいけません!!」


 商業ギルドの傍にいる一団を見るとヒロネ嬢とメルビンさんが兵士と一緒に集まっている。

 そして右側のミリスさんとメルビンさん達の反対側――左側にはローブを着た怪しい集団が集まっている。その両者が対峙する中心――俺達の正面には膝を付いた熊さんとその前にツバキが立っていた。


「これ、どんな状況? なんでミリスさんやメルビンさんがここにいるんだよ?」

「追跡していた人が連絡したのではないですか? 左側の人達は襲撃者の一味のようですね」

「……両者ともツバキの殺気で動けないみたい。……今こちらに兵士が来たらツバキに襲われても仕方がない」


 フィーネの言う通り全員がツバキに注目しているみたいだ。ツバキが俺達に対して気を張っているみたいだし、本当に間違いが起こるかも知れない。

 まぁ、メルビンさんが止めなくても誰も動けていないようだけど。

 俺達はゆっくりツバキに向かって歩き出す。周囲がどよめいているし、すごい目立っているけど、気にしたら負けだ。


「ツバキ、ストップ。もう十分だろ?」


 熊さんは膝を付いたまま苦しそうに顔を歪めてツバキを見ている。特に争った形跡はないし、さっきの一撃で決着はついたのかな? ……誰だ、ツバキと対等に戦えるって言ったのは。圧勝すぎるだろ。

「主様……ですが――」

「いいから、こっちに来なさい。――ツバキが護衛してくれないと背中が寂しいだろ?」

 頭じゃないよ? 背中だよ? って今はそんなこと思っている場合じゃないか。メルビンさん達も集まっているし、これ以上弱い者いじめをして罪に問われても困る。襲撃を受けたとは言っても被害はほとんどないからね。過剰防衛と言われそうだ。……セルガは初めから寝ていて、それを熊さんが埋めたってことでいいよね。


「俺を見逃すつもりカ」

「見逃すも何も、熊さんがしたことってツバキにボコられただけだし、俺が恨みを持つことはないよ? むしろ俺達に恨みを持たないでくれたら嬉しい」


 というか熊さんは何しに来たんだろう? 襲撃してからツバキのことを認識していたみたいだから、ツバキに恨みがあって来たわけじゃないよね。なら俺が狙いか。まぁ狙いどころ満載だと自覚はあるけど。

 でも襲撃はなんの意味もなかったし、熊さんがやったことってセルガを埋めたくらいだよね? ……襲撃されて、なんもなかったって思えるようになってるな。 

 

「俺は熊ではなイ」

 熊さんが力なく呟いている。そう言われても狸さんとは呼べない。……クマトン? あんまり変わらないよ?

「主様が慈悲を与えると仰っておられるのでこれで引きます。――ですが次はありませんわよ?」

「理解していル。今後俺が竜鬼の主人に歯向かうことはなイ、戦士の名に誓おウ」

「ずいぶんと聞き分けが良いのですね。襲ってきた者の発言とは思えませんわ」

「全力で挑ミ、完膚なきまで負けたのダ、これ以上は戦士の名が廃ル。……まさかかつてよりも強ク、ここまで差が開いているとは思わなかっタ」

「主を頂いた私が強くならないわけがありませんわ」


 ツバキが話は終わり、と俺達の方へ戻って来た。熊さんの標的が誰だったのか分からないけど話はついたみたいだ。今後俺に敵対することはないみたいだから問題はないか。

 そしてツバキが俺の背後に周り、むにゅん、ギュッとしてくれる。うん、やっぱりこうじゃないとね。


 ツバキが戻ってきて空気が緩んだことで周りの――特にフードを被った一団がざわざわと動きだした。それに合わせてメルビンさん達が俺達に近づき庇うようにフードの一団と対峙している。


「ヤマト様、お怪我はありませんか?」

「ヤマト君、報告を聞いた時は胆が冷えたよ。無事で何よりだ」


 一団の中からミリスさんとメルビンさんがやって来て俺の姿を見て安堵している。ツバキがいるのに危険があるわけないでしょ。

「お二人は僕を探してここに来たんですか?」

「はい。ヤマト様が兵士に連行されたと聞き、慌てて来ました」

「私もヒロネからハーティアの動きを聞いて、さらにミリスさんからも連絡が来たからね。一部の兵士が迷惑を掛けて本当に申し訳ない」


 二人は俺を探して西区に来たらフードを被った怪しい連中に包囲されたこの詰め所を見つけたそうだ。両者が対立して睨み合い、戦闘になりそうなところでいきなりクマトンが吹き飛んで来たそうだ。

 そして怒り心頭のツバキが出て来て、俺に何かがあったと思い気が気じゃなかったそうだ。……ツバキさん、そんなに怒っていたの? 普段は俺まで殺気の範囲に入れるくせに、こういう時は入れないんだよね。――それだけ怒っていたってことなのか。


「それでわざわざヒロネ様まで来たんですか?」

「あぁ、その――ヒロネも深く反省しているんだ。ヤマト君の危機を知って騎士達を連れて駆け付けてくれたんだ。できれば話ぐらいはしてあげてくれないかい?」


 ……別に危機でもないし、助けられたわけでもないよね? なんだかヒロネ嬢のおかげで窮地を脱したような物言いに聞こえるのだが。

 チラリとヒロネ嬢の方を見ると警備隊とは違う装備の兵士達を指揮しているようだ。メルビンさんによると彼らが領主家に仕える騎士達らしい。

 ……ツバキの殺気で動けなくなっていた人達だね。それで大丈夫なのか?


 ま、この後の始末をしてくれるなら助かるけど。クマトンの後にまだこんなに襲撃者がいるとは思わなかったし。――でもミリスさんとメルビンさんもいるわけだから別にヒロネ嬢いらなくない?

 そもそも反省しているって言っても人間早々変わらないよ? 昨夜の会談で水に流したとは言ってもヒロネ嬢に良い感情はない。


「昨日のことは水に流したので、話をすることは構いませんが――本当にいいんですね?」


また同じことが起こったとしてもツバキを止めないからね? 

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