第92話 S15 プセリアVSカイザーク


 ヤマトが商業ギルドに到着した頃、領主邸に一台の竜車がやって来ていた。

 二人の門番が竜車を制止するも御者が掲げる印を見て一人の門番は慌てて屋敷へと走り出した。



「旦那様、ご訪問者が参られました」

「バイス、昨日言ったはずだ。ワシはすぐに王都に向かう。貴族家だろうと面談はせん」


 執務室にて急ぎの裁決分を片付けていたカイザークの元に執事長のバイスが取次にやってきた。予定を把握しているはずのバイスが事前の指示を無視するはずもなく、カイザークは資料から視線を外しバイスの言葉を待つ。


「はい。ですが、少々追い返すには難しいお方が参られました」

「……誰だ? ――まさかヤマト殿か?」


 カイザークが王都へ向かうことは昨夜の内に直下の貴族家には伝達をしていた。このタイミングでやって来るのは余程の事態が発生した者か、そもそも伝達が行き届いていない者、はたまた断ることが出来ない上位の者か。カイザークはバイスに続きを話すように視線で催促をする。


「いえ、皇国のラフィーク伯爵です」

「……。このタイミングでやってくるか。非公式で領内に滞在していたはずだが……このタイミングで来るということは間違いなくヤマト殿に関してだな。とはいえ、追い返すわけにもいくまい。奥の貴賓室に通してくれ」

「かしこまりました」


 カイザークはラフィーク伯爵――プセリアが非公式で滞在していることは把握していた。これまでにも同様の滞在はあり、カイザークとプセリアの密約により非公式の際には貴族位を誇示しないお忍びでの訪問扱いとする取り決めが両者にはあった。

 それ故にカイザークはプセリアの動向には目を光らせてはいたが、ラフィーク伯爵として領主家に訪問をしてきたことで事態は深刻さを増していた。



「おお、カイザーク殿、突然の訪問にもかかわらず面会を許可してくれて感謝するぞ」


 カイザークが身分の高い者と面会する時のために用意した貴賓室で待っていると程なくしてプセリアがやってくる。

 プセリアの背後にはメイドと熊人族の女性の姿がありプセリアと共に入室する。その後ろからはフルプレートを装備したカイザークの兵士が二名入室して部屋の両脇に控えた。最後に案内役のバイスが入室して扉が閉められた。


 プセリアとカイザークは他国の貴族同士ではあるが、サイガスの街が交通の要所になっているため顔を合わせる機会はこれまでにも何度もあり、プセリアの財力、兵力そして策略を目の当たりにしているカイザークは緊張した表情で出迎える。伯爵家当主であるプセリアに対して子爵家の当主であるカイザークが会釈にて礼を済ませる。


「ほかならるラフィーク伯の訪問ですからな。歓迎しますとも。しかしながら何分急な事ゆえ歓迎の宴を催すことができないことをお許し頂きたい」

「そんなもの必要ない。我とカイザーク殿の間にそのような他人行儀な行いなど不要というものだ。今回参ったのは他でもない、貴殿にお願いがあってのこと。我と件≪くだん≫のポーション職人との面通しを頼みたい。――構わんな?」


 カイザークの額から一筋の汗が流れ落ちる。カイザークも要件はおおよそ理解していたがプセリアの要求は余りにも直球過ぎた。そして有無を言わせるつもりのないプセリアの発言から事はカイザークの予想を上回っていることを知らしめていた。


「(既に調べは付いているというわけか。ヤマト殿を引き抜くつもりか……)ラフィーク伯、その件について私がご協力できることはありませんな。ポーション職人の管理は商業ギルドが持っております。私どもが下手に介入してはベアトリーチェ卿の不興を買う事になりましょう」

「構わん! あの魔女には後から我が言い含めておく」

「――――」


 プセリアの言葉に場が凍り付く。

 ベアトリーチェと面会する者はまず初めにベアトリーチェの禁忌を教えられる。その一つがベアトリーチェを魔女と呼んではならないこと。その禁を破ると普段はポーションにしか興味がないと言われているベアトリーチェが、竜の逆鱗に触れたかの如く怒り狂い手が付けられなくなると言われていた。

 かつてその禁を破った貴族はベアトリーチェの怒りが治まるまで商業ギルドから敵認定され関わりのある者も含めて一切の取引が出来なくなった。そしてハイエルフであり人間とは比べものにならないほど長寿であるベアトリーチェの怒りの周期は人間の数十倍。

 禁を破った貴族は最終的に国から貴族位をはく奪される事態に追い込まれた。そしてベアトリーチェの禁忌を破る事は貴族間で固く禁じられることになっていた。


「――プセリア様、ご冗談が過ぎますよ。ベルモンド閣下、プセリア様とベアトリーチェ様はご友人です。お忘れないように」

「告げ口をするつもりはありませんとも。藪を突いては何が起こるか分かりませんからな。それ故にラフィーク伯の願いを叶えることは出来ません」

「ふん、では我が勝手に動く事とする。よいな?」

「この街で勝手なことをされては困りますな。事は商業ギルド、ひいてはベアトリーチェ卿の管轄。この街が標的にされては困ります。領主として災いの芽を捨て置くことはできません」

「問題が起こった場合は我が責任をもって処理しよう。無論、礼も用意してある」

「こちらをどうぞ」


プセリアの背後から爆乳メイド――ネリサが小包をバイスに手渡した。バイスが中身の安全を確認してカイザークへ届ける。


「――なるほど。ラフィーク伯も本気のようだ」


 小包の中には赤と青が混ざり込んだ魔石が入っていた。通常魔石は一種類の性質しかなく単色である。それが青と赤が融合したように中心部分で混ざり合い一つの魔石となっていた。

 皇国で最近発見されたとても貴重な魔石であり、魔導具の性能を根底から覆すことが可能であると言われていた。現在皇国でも数点しか存在しない混合魔石。各国が破格の条件を提示しながらも提供されたことはこれまでなかった。

 その国同士の取引で扱われている混合魔石がカイザークの手の中にあるのだった。その価値は計り知れず、国王に献上すれば陞爵しょうしゃくは間違いないことである。


「もっとも、それをやるのは我の望みが叶った場合だ。件のポーション職人――ヤマトだったか、そやつを我の領地へ連れ帰るだけだ。どうだ? 簡単であろう?」


 ベアトリーチェの対応をプセリアがするのであれば、残る問題はほとんどない。領主であるカイザークの許可があれば正式に拠点を移動させることは可能であった。混合魔石がある以上、王家からポーション職人を一人亡命させた程度で責任を追及されることはない。

 プセリアは目を瞑り思考するカイザークを見て、これほどの好条件で頷かない者など存在しない。と笑みを深める。しかし、


「お断りします」

「――――――――なんだと?」


 カイザークは目を開きプセリアに視線を合わせてハッキリと口にした。間違う余地のない確固たる拒絶。しかしプセリアにはそれを理解することが出来ない。

 プセリアはヤマトの情報をまだ把握しきれていなかった。昨夜ヤマトの屋敷を偵察した護衛のアルクスとナルムに話を聞いて益々持って興味が湧いたプセリアはネリサの進言を押し退け、王国との交渉のために持って来ていた混合魔石をカイザークへ見せていた。

 勿論、カイザークの出方を伺うための策であり混合魔石をカイザークへ渡すつもりなどなかった。そしてカイザークが二つ返事で許可を出すと思っていたところを悩んだことでヤマトの価値が跳ねあがった。しかし例え悩んだとしてもカイザークは頷く。それがプセリアの見解だった。


「何度でも言いましょう。お断りします。こちらは御返しします」


 カイザークから混合魔石を向けられたバイスは驚きの余り受け取ることが遅れた。一介の執事長であってもこの取引がどちらに有利か考えるまでもないことであった。片や凄腕のポーション職人、片や国宝級の混合魔石。その場の利益を求めるのであれば悩むことすらおこがましいほどの取引である。

 震える手で混合魔石を受け取ったバイスは名残惜しそうにネリサへ混合魔石を返す。


「……く、くくく、かはっはっはっは!! そうか! そういうことか!! くくく、だからお主は平凡なのだ! 薬師を隠したいのなら黙って手を取ればいい。そのうえで水面下では我と敵対すればよかろう! なるほど、ヤマトはこの石クズを越えるか! ベアトリーチェに並び立つ――いや、越える者か! かはっ! 愉快愉快! であれば、戦争か!?」 

「ちょ! プセリア様!?」

「止めるなネリサ!! これほど愉快なことはない。これなら皇も許してくださる!」

「ふむ、ラフィーク伯、それは宣戦布告ですかな?」

「くくく、狼煙を上げる程度の戦力は配置済みだ。街の周囲には我の護衛として兵団五千名が待機している。降服せよ。それとも五千を相手に無益な戦いをするか?」


 プセリアはファーニア皇国からサラハンド王国に来るに当たって護衛のためにアルクスとナルム以外にも領軍から編成した私兵団を引き連れて来ていた。身の安全と合わせて財力、武力を誇示する狙いもあったが、実際に連れて来ている人数は千人ほど。それでも十分に問題になるほどの人数ではあったが、街に入れず国境付近で分散して配置していたためカイザークは気付いていなかった。


「……はて、私の目には三人しか映っておりませんが」

「――何を言ってッ」


 プセリアの言葉を遮るように貴賓室の扉が開かれ、フルプレートを装備した兵士が十人ほど雪崩込んでくる。部屋の外には更に人数がいることが部屋の中からも確認することができた。

 アルクスがプセリアを庇う様に移動するが、プセリアはそれを制してカイザークへ問い掛ける。


「貴族の矜持を投げ捨てるか。大問題となるぞ」

「汚名を被ってでも成すべきことをするだけです。幸いなことに私の後ろに出来の良い息子達が居ります故」

「……くっくっく。まったく、平凡な輩はやることが極端でいかんな。――良かろう、今回は我の負けだ。何を望む」


 カイザークの覚悟を見たプセリアは笑みを浮かべたまま両手を上げた。

 以前にも両者の間で似たようなやり取りが行われたことがあり、その際はプセリアの財力、武力の前にカイザークが要求を飲んだ。

 プセリアからすればゲーム感覚のやり取りであったが、カイザークからすれば命掛けの大勝負に他ならない。今回もイヤイヤながらも首を縦に振ると思っていた故に、その覚悟を見たプセリアは益々持ってヤマトに興味を抱くが今回は素直に負けを認め勝者に望むモノを聞くのだった。


 プセリアの清々しい笑みとは対象的にアルクスは不満そうな表情を浮かべていた。兵士の一人を威圧して後ずさりさせているとプセリアがアルクスを制してカイザークに兵士を下げさせる。

 プセリアの対応にカイザークは一先ずの安堵を覚えバレないように息を吐くが、プセリア達には隠せていなかった。


「……この領への不可侵条約、またヤマト殿に関する情報の秘匿を」

「……ん? それだけか? この石クズや賠償を求めんのか?」

「ええ。その石を求めてしまえば我々だけの問題ではなくなりましょう。賠償も被害がないのに請求するのはおかしい。ラフィーク伯とは今後も仲良くして頂きたいと思っていますので」

「……。まぁ良かろう。それが勝者の望みと言うのであればな。……ふむ。では無欲なお主に免じて良いことを教えてやろう。現在帝国南方面で戦準備が行われておるぞ」

「な! そんな情報はこちらには流れていませんが……」

「だろうな。こちらに来てからはピタリと情報が無くなったからな。かなり念入りに動いているようだ。して、もう一つ情報があるが、聞きたいか?」

「……。御代は何でしょう?」

「それは無論、件のポーション職人との面談だ」


 笑みを深めたプセリアに対してカイザークは頭を抱えたい衝動に駆られる。プセリアがこのタイミングで切り出した情報に価値がないはずがなく、聞かないという選択肢は王国貴族としてありえない。

 カイザークはヤマトを誘致しないことを約束させたうえで、プセリアの素性を伏せ目付け役を同席することを条件にヤマトとの接触を許可する事となるのであった。

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