①
それは彼――
当時の彼は、とある分野の高校生において日本有数の知名度を誇っていた。
時に「逸材」「天才」と形容されていたその名前は、しかし過去のもので、これから先は風化し忘れ去られていくだけの名前。つまり、若干十六歳の少年に対する世間のレッテルは「過去の人」「終わった人間」というあまりに無慈悲で残酷なものだった。
それが十六歳の少年、前島海斗の青春期における現実だった。
海斗と
その一抱えもある黒を
親の、姉の、周囲の期待を背負い、誰よりも上手く、誰よりも巧く。成長していくにつれただそれだけを目標に、そのサッカーという競技にのめり込んでいった彼は、中学を卒業する頃には様々な高校からスカウトの声が掛かり、引く手数多の中で全国有数の高校へと特待生待遇で進学する程であった。誰もが羨むエリートコース。将来を約束された勝利者の道。高校でも更にめきめきと実力を伸ばしていく海斗の未来に、燦然と輝く「プロ」の二文字を誰もがハッキリと見ていた。そんな矢先の出来事だった…… 。
それは試合中の事故。
それは何気ない接触プレー。
そんなよくある話で負った怪我だった。
当初は誰もが彼の復帰を疑ってはいなかった。それは彼が「プロ」になるべき人間、こんなところで躓く人間ではないから。海斗自身でさえもそう疑いもなく思っていた。チームメイトやクラスメイト、友人、知人に部のコーチや監督、誰もが「早く治して戻ってこい」「すぐ治るさ」「大丈夫」そう励まし、信じていた。
だが、ある日を境に海斗の元に見舞いに訪れる人の足がぱたりと途絶える。
それは海斗に下された医者の診断が故。
その診断とは―― 自然治癒による怪我の完治不能。
海斗にとってそれは、これまで過ごしてきた過去から続く未来、輝ける道の断絶。そして醒めないはずの夢の終わりを示していた。
二十一世紀初頭とは違い、現代の医療ではこの程度の怪我は、様々な処置を行えば健常者と全く同じ歩行を可能とすることなどは造作もない。そしてそれは歩行という面に留まらず、走ることも、サッカーを行うことすらも可能だ。
だが、ことスポーツ界において、一部の例外を除いて、身体に手を加えたものがプロになるということは、ドーピングと同様のタブーとされていた。
つまり、医者の診断が出た時点で海斗のプロサッカー選手への道は、一切の酌量の余地もなく絶たれてしまったのだ。
子供の頃から憧れていた夢、そして手の届くところまで来ていた未来の断絶。
ずっと願い続け信じ続けていたものは、たった一度の怪我のせいで海斗の手の間を潜り抜け、遥か見えないところへ、手の届かないところへ消えて行ってしまった。
夢を、未来を奪われた海斗は、家族以外誰も訪れることのなくなった病室で「復帰」「全国制覇」「W杯」などと寄せ書きされたギブスを眺めながら、ただ日々を費やすことしかできなかった。
そして高校二年生の初夏―― 海斗は病院を後にする。
治療も、リハビリさえも終えたその身体は、何不自由もなく両足で普通に歩いて病院の出口を潜ることができた。しかし、久しぶりに浴びる外の日差しが厳しかったのか、気温が高かったのか、晴れていたのか曇っていたのか、暑かったのか涼しかったのか、当時を振り返っても海斗は思い出すこともできない。そもそも、いつ退院したのかさえも記憶に定かではなかった。それほどまでに海斗の心は失意の底に沈んでいた。
そして海斗は知っていた。退院した自分には元居た居場所が既にないことを。
サッカーのために入学した海斗を、学校が、部が、クラスメイトが必要としているのかは、途絶えた見舞いの足が明確に示していた。
突きつけられる現実と自分の価値。
退院した海斗はその足で自宅に戻り、やがて自室に引きこもり、病院の中と同じように、ただ無為な日々を過ごすようになっていった。
自宅の二階にある自室。据えられたベットの縁に何をするでもなく座っていた海斗の目の前で、壊れそうな勢いで、けたたましく部屋の扉が開く。
いきなり部屋に踏み込んできた三つ年上の姉―― 春香。
「海斗ッ! 行くわよ!」
春香は何故か憤懣遣る方無いといった表情で海斗の腕を掴むと、まるで引きずるように海斗を家から連れ出し無理やり車に押し込むと、目的地も告げずにそのまま車を走らせるのだった。
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