第5話 別れ

少年にとって転機が訪れた。

中学2年生になる始業式前々日、ついに管理会社が業を煮やし強制退去の通知書を持参してきたのだ。

これはまずい事になったと少年は思った。

その翌日、「お前は何も心配しなくていい。お金の工面をしてくるから」と母親は少年に言い残し家を出た。

少年は母親がそういうのだから何とかなるだろうと安堵感を覚え母親の帰りを待った。

だが、夜が更けても母親は帰ってこなかった。少年は時間が経過するにつれ嫌な予感が頭の中でよぎる。

日付が変わった事を少年は壁掛け時計で認めると、不安から逃れる為、床に就いた。「目が覚めると母親が全て解決してくれている」と希望を持ちながら。


目が覚めた。目覚まし時計の時刻は7時をさしている。母親の姿はなかった。

「そんな、まさかな」と少年は自分に言い聞かせると、冷蔵庫の中に入っている色の薄い麦茶を口に含みベランダに置いてある丸椅子に腰かけた。

インターホンが鳴る。

少年は母親だと瞬時に判断し扉を開ける。なぜなら管理会社が来るにはまだ早すぎる時刻だからだ。だが少年の判断は誤りだった。そこに居たのは大柄な叔父だった。

「よっ、姉さんいるか」軽いトーンでケーキの箱を差し出す叔父。

少年は叔父を部屋に通すと事の全てを説明した。

叔父はひどく驚き、少年の顔をみながら長い間沈黙した。

どうやら引っ越しを控えていた叔父は、連帯保証人の書類を母親に書いて貰う為に来たそうだ。母親はそれを見越して強制退去日に叔父を呼んだとみえる。少年を孤独にさせない為の配慮だろう。

一連の母親の行動を少年は脳内で整理し、残酷な現実に行きついた。


母親は少年を見捨て、ただ1人出奔したのだと。


それからすぐ管理会社の社員が自宅へ来た。事のあらましを説明すると管理会社の社員は苦虫を噛み潰した様な顔をして、叔父と別室で話を始めた。少年は不安で押しつぶされそうになった。

1時間程して管理会社の社員は引き上げていき叔父と二人になった。

「滞納していた家賃はどうにかする。すぐに必要最低限のものだけ鞄に詰めて用意しろ」と叔父は軽いトーンから一転して低い声で小さくそう言った。

少年はうなだれる様に頷き準備を始めた。

身支度を終えた少年は叔父に連れられタクシーに乗せられた。

どこへ向かっているのか聴く事はできない雰囲気だったので少年はただじっと押し黙った。

車窓からは満開の桜が見える。希望に満ちた風景と少年の心中は正反対だ。

タクシーは児童相談所と書かれた建物前で停止した。

「ここだ」叔父はそう言うと運転手に料金を支払い下車した。

「もうあの街には帰れないのか」と少年は問うた。

叔父は大きな背を向けゆっくり頷いた。

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