第5話 Be kept indoors by snow(下書き)

A・G2016

   (ノースサイド エターナル 神話 永遠の天使)




   main character〈三浦めぐみ~紫苑比右〉




 あたしは空を眺めている。

風に吹かれて消えたくて。




 夕闇の月を待つ間の暗黒は不安、憂鬱な、邪悪な影に孤独なあたしは心細い。

 夢を追うのはバカなこと?

 傀儡の味気なさは香華を捧ぐ、不幸である。


夢のような現実は、一瞬の溜息でしかない。


 過去は現実におしよせる。

 残像はすべて過去のものだ。

 歯の根もあわぬ七色のオーロラの現実は、幼い自分を連想させた。

 両親の怒号、父と母は、ケンカばかりしてたんだ。

あたしはいつも自分の部屋に引きこもって、両親の怒鳴り声がきこえないように頭から布団をかぶって耳をふさいでいた。

 したら世界がすこし遠のいだ。

 嫌なものを遮断できた気がしていた。

でも、それは錯覚で、気づかないわけではないけれど、あたしは気づかないフリしていた。


 幻も現実に引き戻される。


 あたしが十四の年、母が死んだ。

 夫婦ゲンカのさい、父が母に暴力をふるったときに転倒し、テーブルの角に頭をぶつけ、当たりどころが悪かったらしく母は帰らぬ人となった。

 父は黒い服の人に連れていかれた。

 あたしは遠い親戚の家に引きとられた。

 その親戚は中流の家庭だったが、あたしは人としては認識されていない家畜の扱いをうけていた。

 その親戚の家の子供と分けへだてられ、食事も禄に食べさせてはもらえず、いつも暴力をふるわれて、半年もしない間に、あたしは人買いに売り渡された。

 あたしは品定めを受けた。

 ある程度の美観は才能のひとつと取っていいものだろうか、容姿の整ったあたしだからこそ娼婦としての素養があると、すぐに施設に売り渡されて淫靡な艶技を覚えさせられたあたしは、見ず知らずの男たちに胸ぐらをまさぐられ、肉体をモラルなく明けわたすことに抵抗もない、聞きわけの良い道具として生きていた。

 その頃にはすでに、自分は幸せにはなれないという予感があった。

 だからあたしは、幸福の品位を落とすことでフラストレーションを抑えていた。

 バースデースーツで男に抱かれても感じない。

 ただ感じているフリをしているあたしだから、たぶんそう思うのかもしれないが、それを単なる仕事と受けとめ、それをかえって誇らしく思うように努力した。

 その役をかったのは金だった。

 手にするそれを握りしめると、これは自分で稼いだ金なんだと、そう思うことが出来るからだ。

 そんな生活は五年つづいた。

 二年目には、自分が売られた値段の五倍以上の額を稼いでいたのに、そこをでる決心が、なかなか付かなかったからだ。

 でも齢を重ねると、脳の隅に保身という言葉がチラつき始めてくる。

女を売る仕事には賞味期限があるからだ。

 あたしは、これまでに稼いだ金で商売を始めようとショットバーを開いていた。

 まだまだ商品に見切りをつけるには早いかもと思ったが、未来に対する、そこはかとない不安が、あたしにそれをさせたのだ。




「どうしたのよ。

 こんなところで?」

「いや、べつに・・・」

「ひどい雪ね。

 背中がびしょぬれよ」

 その男の背中にあったそれを払ってやった。

 背広にジャケットをひっかけた男は長髪で、見た目は悪かないんだけど、なんか奇妙で不気味に感じた。

「あんたさ、此処で何してんの?」

 店の入り口に背中を向けて座っている男、営業妨害だと、あたしは遠回しに言ってんだ。 そいつは首をカクカクと左右に振って、目蓋を擦りながら笑っていた。

「あんっ、ねてた」

 雪は道路を埋め尽くして、街は人々の夢をのみこんで、その生き血で化粧をほどこすのかと、白銀に夕焼けを重ねあわせた無限の幻想を世界に彩っている。

「死ぬよ」

 無表情で、バカげたことだと笑ったあたし。

 男は、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハと笑っていたけれど、泣いていた。

 それが何だか、見えてたからさぁ。

「なんかちょっと、呑んでかない?

 せっかく此処、店の前だしねぇ」

 男はまだ、笑っているけど。

「金なんざねぇよ」

 と肩をすくめた。

「それ大丈夫。予想してたから」

 男の肩を抱いて、店に招いた。

 彼は酷く、疲労していて、自力で立つほどの気力がなかったので手を貸したあたしは、彼をカウンターの方に座らせた。あたしが酒をつくるのに、そこが都合よかったからだ。

「なに呑みたい?」

「べつに何でも・・・」

「んなのって、いちばん困るんだけど」

「じゃ、ウイスキーをダブルで」

「OK」

 あたしが作ったそれを差しだすと、彼は一息で呑みほして、あたしは退屈な煙草を吸っていた。

「あんたさ、そこで何、していたの?」

「んっ、なにって?」

「だから、何してたのかって、わかんない?」

「ああ、それならシステムの話をしなければいけないな」

 と、彼は奇妙なことを言った。

「知ってるだろうが、地球は一世紀以上も前から機能していない。

自力では自転も公転も不能なのを、科学者のカースティ・ペックハムの理論で機械的に生かされている有様だ」

「あんまり興味ないからかも、よくわかんない」

「街ごとにドームで囲まれているだろ、そのためさ」

「それが?」

「カースティ・ペックハムの属する組織はJudgeという、世界を統括するシステムをすべて牛耳っているのが、それなんだ」

「何のはなしなの、それ?」

「そして俺はJudgeと敵対していたVENOMの人間なんだ。

もはや壊滅され、吸収されているが」

「あんた何かの病気なの。妄想とか、幻想とか、んなのが絡んだやつの」

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ・・・

 男がバカ笑いをあげだした。

「やっぱ病気?」

 呟くと、

「信じられないなら仕方がないな。だが、俺は勝手に俺をやるぜ」

 ガッと、あたしの首を右手でつかむと、その手に握力をいれて締めつけた。

 あたしは意識が遠のぎそうだったけど、それを堪えた。

いや、彼が、その力を配分していたからかもしれない。

「あたしを殺すの。何故?」

「バカな考えをするんじゃねぇよ。べつに俺はあんたを殺す気はないんだぜ。ただな、俺たちと敵対するJudgeの追っ手を払うためには、あんたのチカラが必要なんだ。言うことを聞けば、何もしない。いいか、これは頼んでいるんじゃないんだぜ。脅迫してるんだ。わかるな、理解しているか?」

 あたしは微かに、固定された首を縦にふってみせた。

「良い子だ。おまえは何もしなくていい。ただ嘘をつくだけでいい。あいつを殺すのは、この俺だ。あの、最悪の悪魔の息の根を止めるのは、この俺だ」

 男は、カウンターの中に入ってきて、あたしにピストルを突きつけると同時に、右手を外し、あたしを解放した。

 あたしは喉をつまらせて、咳をきった。

「その人が、此処にはいってくる根拠でも?」

「ああ、ヤツは獣だよ。その嗅覚で、獲物を嗅ぎわけることができる。七つの部隊と三つの都市を、たった一人で破壊したのは伊達じゃないさ。だから、罠をしかけるんだ」

「接近すれば、あなたは嗅ぎわけられて見つかるのに」

「香水でもつけるさ。それに、あんたなら、ヤツは油断するはずだ」

「まさか」

あたしは鼻で嘲笑ったが、彼はそれに構わず話つづけた。

「あいつは今、女なんだが、遺伝子操作を受ける前は男だった。そのとき、あいつが惚れた唯一の女が、あんたにソックリだったんだよ」

「それって、最初から、あたしを利用するつもりだったってこと?」

疑問。

 彼はニタニタと卑らしく笑っていたけれど、その心が震えているのは容易に見てとれていた。

「報酬はくれてやる。あいつを殺した後は、俺もVENOMで幹部クラスに出世できるさ。そしたら望むモノを思いのまま、くれてやろう」

と。




 夜が深くなると、他のバイトの子たちとか、やってくる。

 VENOMを名のる男がいると、彼女たちが不安を抱くので、彼を、別の部屋に隠していた。

「その女が来たとして、あたしに、その人は解らないわ」

彼が、その女の写真すら持っていないことを、あたしは責めていた。

「いや、その心配はいらねぇよ」

「なぜ?」

「あんたもよく知っているからだ」

「なぜ?」

 それは、その女が表の世界ではモデルを生業にしているからだと彼がいった。

「そいつの名は、紫苑比右」

 あたしは、そのネームバリューに吃驚していた。

「なっ、有名だろ?」

 男は得意気に、そういった。

「変装とか、してこないかしら」

 あたしがバカな疑問を抱くと、そんなことはしてこないと男がいった。

「あいつはいつも、等身大で生きているんだ。だから俺たちの恨みをかった」

 と、

 それから三日間は何事もなく過ぎ去った。


 四日目の朝には、あたしは紫苑比右のことなど忘れて、男の緊張を解こうとしていた。

「あなたはたぶん病気なのよ。

そんな妄想に取り憑かれているの、だから、すべてを忘れてしまえばいい」

 あたしはカウンセラーに相談することを勧めていたが、彼は頑として、それを受けつけなかった。

「いっそ夢だったら、と思うこともあるが、あいつの殺戮の光景を思いだすと、身震いが止まらない。俺は、あいつの能力を見てしまったから、殺される。だから、殺られる前に殺らなければ、それが死んでいった者への手向けにもなる」

「友達とか、仲間のためなの?」

「んなんじゃねぇよ。ただ、ときどき夢にみる事がある。本当は俺も、あのとき一緒に死んでいて、今は、現世への未練とか執着とか、んなもんで、自分はもう、このLoopを廻りつづけるしかないのかも、とか」

「そんな心配は、たぶんいらない。だって、あたしという存在は、決して夢でも幻でもないんだから」

と、


 そして、その女がやってきたのは、さらに十日は過ぎた夜更けだった。

 彼女はフライスカラーのシャツにパーカーを羽織った姿で、寒そうにしていたけど、環境設定を肉体に施しているから、それはないと笑っていた。

「あんた修正を施されているの?」

「あんっ、まーねぇー。死にかけたこと、何度かあるよ。まっ、んでも健在だけどさ」

 いくつか四方山の会話をつづけて、彼女はカルアミルクとシュリンプのサンドウィッチをオーダーしていたが、それを食べおわったころ、彼女の方から写真をとりだし、この男、知っている? と訊いてきた。

「さぁ、見たこともないひとね。見てればハンサムだから気がついたかも」

「そっ」

「何者なの?」

「ゼン・ラッセルって男、まっ、どーでもいいさ」

「どーでもいい話を、あなたはするの?」

「そういうこともあるってことさ」

「・・・」

「じゃぁ、また来るさ」

彼女が示した写真には、当然あたしが匿っている男が写っていたが、彼女は、核心とも思えるそれを、はぐらかすように笑いながら出ていった。

 あたしが、そのことを彼にいうと、彼が、ひどく怯えているのは見てわかった。

「殺すの?」

「殺されるかもしれない」

 男の名前が、紫苑比右によって知らされていたが、あたしは、その名を呼ぼうとはしなかった。

 ただ彼と、紫苑比右の、ただならぬ関係に魅とれてしまっているのだと理解していた。

 しかし、ふたりの接触は、まったくと言うほど進展しなかった。

 彼女はいつも同じものをオーダーし、彼女はいつも、あたしと下らない会話をしていただけだ。

「そんなにあたしのこと、好きですか?」

 唐突だが訊いてみた。

「なんのこと?」

 彼女はカルアミルクのんでいた。

「あたしとしか話さないじゃないですか。ほかにも店には勤めている子、いるんですよ」

「そら男じゃないと、女を選り好みしないんじゃない」

「あなた女ですか?」

「くえっへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ・・・

あたしが何に見えてんだよ。

ニューハーフかい?」

 彼女の態度が豹変していったのが解る。

 それまでとは違った悪意で、彼女を取り囲む空間が邪悪に埋め尽くされているようだった。

「紫苑比右ってモデルなのは知ってるわ」

「それで?」

 彼女は舌なめずりをした。

「あんたこそ修正は受けていないの?」

 あたしは有りの儘。

「産まれてから皮膚も顔も、なにひとつ造りかえたパーツはないわ」

「そっ。それが本当なら、たんなる偶然? んんにゃ、違うねぇー」

 彼女は見たこともない煙草を吸っていた。

「あんたがあまりにクスハに似てるってのが怪しすぎるのさ。その眼も、その指も、その唇も、話し方からカクテルの作り方までさぁ」

「妙な匂いね。その煙草」

「けへへへっ、煙草じゃないさ。こいつ媚薬だよ」

 彼女はそれを一吹きした。

「カルマっていうの。むかし、安道全の紫研究所で非合法につくられていた、常人では考えられないほどの集中力を引きだすドラッグなのさ。まっ、普通じゃ耐えられなくてすぐ発狂すんだけど、あたしは修正を受けているから、んな心配はいらないのさ」

「なぜ、そんなこと、あたしに言うの?」

「さぁね、ただのヨッパライの妄想じゃん。夢物語に華さかせてるだけさ。気にすんなって」

 いつのまにか、彼女の殺気めいたものが無くなっていた。

「こういうのって、あんま言いたくないんだけどさ。

あんた、あたしの昔の友人に似ているんだよ」

 そういう彼女、どこか嬉しそうに、楽しげだった。

「だからさ。なんか懐かしいんだよ」




 彼女のことは、すべて話した。

 ゼン・ラッセルの言ってきたことは、紫苑比右と話せば裏づけられる。でも、彼は、恐怖で押しつぶされないように必死で、その必死さが解るがために、あたしは彼を哀れに想っていた。

「なつかしい? ヤツがそう、言ったのか」

「彼女は本当にあなたを狙っているのかしら。あたしにはバカンスを楽しんでいるようにしか見えない。エターナルの街にはカラダを休めにきたって言ってたから」

「はんっ、おまえ何も解っちゃいないんだな」

「それは、あなたが説明しないからでしょ」

「説明つったって俺は当人じゃないから」

 と弁解しながら彼は、彼の知る紫苑比右の話をした。




「あいつは、誰よりも孤独で、誰よりも修練な悲しみを背負って生きているんだ」




 紫苑比右。

 それはモデルのための名前で本名ではない。

 彼女の本名はヒューイット・ヴァライアンスという男の名前で、Judgeの配下で暗殺を主とした任務に携わっていた。

彼女にはクスハ・マイラという片想いの女がいた。

 彼にとっての任務とは与えられたターゲットを何の感情もなく殺すことである。が、盲目的にクスハ・マイラに恋心を抱いていた彼は、自身のイズムに障害もなく、あらゆる他人を無惨に殺し続けていた。

 それが、彼女の眼を自分に向けるための最良の手段と信じていたからだ。が、彼女の心は動かなかった。

彼女には、どうしても特別な異性としてヒューイットを見ることができなかったことに、彼女自身が結論を見いだすことはなかったが、それは彼女の個性とは違った、多くの周囲の評が、ヒューイットを男として見ることに、あまりに否定的すぎたため、彼女が心の片隅でヒューイットのことを侮り、自分の価値をヒューイットと結びつけることに抵抗を感じていたからだった。

「恋の始まりには、流動的な理由が必要なの。フレーズとか、キスだとか」

 彼女は断りの口実を彼に告げていたのだが、それに疎い彼は、彼女に瞬間くちづけした。 彼女の脳裏にイメージがうごめいた。

ムリヤリ自分をおしつけた彼に、

 彼の殺戮のイメージが、ヴィジョンとなって屈折した。

「残酷すぎるあんたになんて、あたしの愛は育たない」

 彼の胸を両手でおして、遠ざけた彼女をみて、それが拒絶だと、悲しみにくれた。

「なぜ、だって、俺になら・・・」

 自分をフォローしようと必死で言葉をさがしていたのに、彼女はそれさえも遮って、

「んなとこが重いんだって」

 と退けた。

 それは、ヒューイットにとって全身を微塵切りにされる事よりも苦痛で、彼女のためと信じて生きた彼にとっては存在を否定されたようなものだった。

 現世に、悪夢を見るようになった。

 自分が今まで殺してきた名もない亡者たちの苦痛、嗚咽に絶望の表情が、彼を地獄に引きずりこもうとしているかのようで、人を殺すことに怯えを隠せなくなった。

「これまではクスハの手を、血に汚したくなくて人を殺してきた。だから信念が、すべての悪夢を薙ぎはらっていたんだと思う。でも、ホントの俺なんか、たいしたことが無かったんだ。これっぽっちの、自分という存在の重さにすら耐えきれないでいるなんて」


 戸惑い、迷い、葛藤、苦痛、嗚咽、絶望、狂気、悪夢。

 まるで死にゆく亡者の如く、悲しみが生きる希望を掻き消した。

 と、同時に、

 自分が彼女に支えられてきたことを知る。


 そして、自分よりも強い、灰色の皮膚をもつ少女と出会ったのだ。


「兄弟がいるんだよ。父も、母も、ボクが働かなくっちゃ誰も明日をみることができないんだ。だからボクが」


少女はクローン人間で、彼女の記憶は刷りこまれた嘘の記憶だったのだが、そのプログラムを現実にあった自分の体験として生き抜こうとした彼女に、人生に絶望して死を望んでいた彼は勝てなかった。

 しかし死には至らなかった。

 彼は命を救われたのだ。

 うすれた意識のなかで彼はクスハの声を何度も聴いたような錯覚をおぼえ、そのたびに息を吹きかえそうと生にたいする執着をみせた。


「夢のようだよ」


 彼はまだ、組織の医務室のベッドでよこたわっていた。


「また、クスハに会えるなんてさ」


 彼が彼女に笑いかけると、


「安心しなよ、夢だからさ」


 笑いかけてくれるクスハを見ながら、彼女とはもう一緒に幸せにはなれないんだと実感した彼は、泣いていた。 


「もう絶対に、俺とは、考えられないのか?」


 眼前で、椅子に足をくんで座っている彼女は笑っていたが、そのまま、応えないまま席をたった。

 そして一度は振り返ったのだが、何も言わずに部屋を出ていった。


 そう、彼がずっと見つづけていた、その扉から、彼の知らない世界の果てまで。




 生命の灯火や、生命の価値について彼が考えたのは、たぶん、その時がはじめてだったのではないだろうか。


 すべてのものに始まりがあり、終わりがある。

 それは時空の歪みだろうが、信仰であろうが、変わりはない。

 生ある時間をその限り、精一杯たのしんで、天寿をまっとうしたというならば諦めもするが、その終局を第三者によって前触れもなく、とつぜんシャットダウンされた女性のことを思うと、彼はいつも悔やんでいた。


 彼女は、謂われのない罪で組織に反逆者として殺されたから・・・


「なぜクスハが殺されなければならなかったんだ?」


 彼は、当時、クスハの上役だった幹部の一人に抗議し、楯突いたが、その者はまるで取りあわなかった。そして、組織の笑い者となる侮辱をうけた彼は、やるせなさと苛立ちが極限にまで募っていって、結果、その幹部を殺害すると、自らは組織を逃亡し、追われる運命を選んだのであった。

 その後、幾星霜かけぬけた彼を、科学者としての知的探求心を優先させたマッドサイエンティストの安道全博士は味方だと言って、自身の研究にモルモットとして引き込んでいった。


「真実は常に闇に埋もれている。

 真実を掘り起こすには、そのための墓守を葬っても地獄のマグマの奥底までも突き進む強靱な精神と肉体をもたねばならん」


 初老の男で、小太りのつるっぱげが、人類の叡智について語っていた。

 博士は、灰色の皮膚をもつ少女に五体を引きちぎられて、バラバラになった彼に再生手術をおこなった科学者でもある。

「ヒューイット、おまえの怒りも悲しみも憎しみも、すべて当然の、なるべくしてなった感情ではあるが、細胞の一端では、おまえに逆らっている無干渉の感情があることに、おまえがまだ気づいていないということが、最大の罪であると、事実を知る儂は思うのじゃよ」


 憎悪。


「そのおまえの中にある、ひどく汚れた浅ましい感情、それはおまえの肉体に、儂が接ぎ木した肉片が、おまえの精神に影響を少なからず与えているのだと、儂は思う」

「なにを言っているんだ?」

「こういえば、わかるか?」

 博士は、幾度も咳をきって唾を吐いた。

「おまえの肉体は、世界の破壊者と呼ばれる三津木あやねの遺体から接ぎ木しているものなのだと」

「わからない。いったい、どういう事だ?」

「ではコアという名は、聞いたことがあるか?」

「いや、ない」

「ではコアの説明から始めようか?」


 その名は、もう歴史の、あらゆる文献から消えてしまったが、たとえ事実を歪曲し、歴史を塗りかえたとしても、人々の記憶から意図的な操作を施して、外的にデリートしつくしたにしろ、その現実を書き換えた当人たちは、その事実を悪夢のように、今も思いだすことがある。

 それは完全無欠な地球に無害なエネルギーであった。

 人々は神の奇跡と、その発明を絶賛し、すべてのエネルギーは、その発明、コアへと置きかえられていった。

 コア。

 すべての資源として生き、すべての燃料に変換されたそれは、あるときは光となり、あるときは命となり、あらゆる生命の拠り所として、発明から十数年で、すっかり人類の生活習慣の一部として取りこまれていった。

 そのものは、ナノミリ領域で意志をもつ機械で、メカニカルな種類は、いくつかの構造に分けられており、ただ消費されるエネルギーとはちがい消耗が少ない、のみならず、産まれつき言葉をもたないものに、その気管をコアによって代用し、言葉を与えることも、腕をもたないものに腕を、機械的にではあるが、ほとんど視覚では見極めることが不可能なほど精巧に与えることができたのだ。

 その効果、障害をすべて取り除くという画期的な商品が手軽に、人々の生活に取りこまれていた時代。コアは、地球自体が放つ解明されていなかったシューマン共鳴などの幾つかの能力、それを奪いつづけていたことが解明され、このままでは地球が活動をしなくなることを知りながらも、人々はコアに頼ることを止めなかった。

 そんなある日、それは地球からの最後の警告だったのだろう。

 コアが機能を失うことになる七日前、空から赤い雨が降りだした。

自らの死を予感したコアの開発者である雨月洪一博士の仕業であった。

彼はそもそも自分の生命と共に世界を滅ぼそうと画策してコアを世界に拡散していたのだった。

 そして運命のとき、科学者たちの祭典がおこなわれるメトロクロスの都市、バビロニアにある塔の地下に、ひとりの女性がいた。

 彼女は、人々の不安な予感を確実にある現実として、コアの静止という手段で、全世界の生命の危険と同時に突きつけた。

 あらゆる交通手段は遮断され、医療機関は停止され、人々は燃料をうしなって、血も、肉も、骨も、皮も、眼も、耳も、鼻も、口も、自分の肉体すらも無くしていく、生命線すら見つからず、一点の光すら差さなくなった闇の世界から、ようやく復興した一月後、人々は、自らの造りだした世界の現実に絶望し、その世界の破壊者の命を奪おうとしたが、決して彼女は見つからなかった。


 以後、コアは歴史から姿を消し、何者もコアをあやつる人間はいなくなっていた。


「世界の破壊者と呼ばれる三津木あやねが死んで、遺体は姉である榎本優子の興した宗教に預けられていたが、そこでは、あまりに使い道がなかったために、優子の友人である人物から、儂が遺体を高価な額で買い入れて、ある瀕死の人物に移植した。

 なぜなら、彼女が流出させた、大気に混じり浸食するウィルスの被害は、震源地にいた彼女にまで届かなかったため、彼女の肉体は唯一、正常に動作するコアを保有していたからだ。そう、一度、交通事故で両足をうしなった彼女の足は、コアそのものだったからである。

儂は、コアによって想像も出来ない副作用がおきないかと期待して、彼女の細胞を生かしておき、おまえの肉体に移植したが、何も起こりはしなかった。だが、なにも慨嘆なんぞしてはいない。

 長きにわたる研究の成果で、その理由がわかったからだ。

 そう、天地をゆるがす大発明の手がかりとなる、その手段と方法がな。

・・・

 どうだろうか?

 もし、おまえにその気があるのなら、もういちど手術を受けてみる気はないだろうか?」


「あんたの綺麗事や、偽善的な言葉に惑わされたり、暗示にかけられたりするほどバカじゃないんだけど。もしもクスハを俺にくれるなら、俺の心も命もくれてやるさ。

 俺は、嘖まれているんだからさ」




 そのとき、安道全が改造手術を行ったという人間以外には、もう誰も・・・




 たったひとりの女性を、ただ純粋に愛することで、自己満足ではあるが、不幸に耐えてみせていたんだね。

 そのヒューイットという男は。

 だったら、愛するひとに似たあたしなら、彼の心の隙間を埋めることも、隙間に滑り込むこともできるかもしれない。

 とくに、今のあたしの立場からすれば、紫苑比右を殺すということの方が、現実を否定するようで鼓動が鳴った。


「あたしなら、紫苑比右を殺せるかも。

 どんなに強靱で残酷な人間だって、心の奥底で、すべてを晒けだしても構わないと愛している人間の姿をした者を、たやすく殺すなんて出来ないと、そう思うから」


 恐ろしいことを口走ったと、あわてて口をふさぐが遅かった。

 男は瞳に期待をのせて、そう言ってくれると心強いと、今までに見たこともないような優しい顔で笑んでくれていた。

「そうね、やってみる。

 恐ろしいことだとは、解ってはいるんだけど」



 あたしは不安を未来に、歪みを過去に背負って生きているから、あなたが悲しいというのなら、あたしはそれ以上の悲しみに打ちのめされて、今日を明日に希望を紡いでいるんだから、と、右手を振りかざして、白い光を遮ろうと天にかざすと、浸透する煌めきが、虹色にまぶしく、輝いた。

「それが?」

 あたしの呼び出しに応じた彼女が、国立博物館を背景にして、静かに、強弱のない声で、そうきいた。

「憎悪を憎しみに生きているあたしを、あなたは、果たして愛しつづけることができるかしら」

 心からではない表層的な作り笑いをした不気味な彼女を、視覚から覆いかぶさるように発した言葉は彼女から。

「あたしがあんたに惚れてるとでも、思ってんの?」

 そう、証拠にあなたは此処にやってきた。

 あたしの呼び出しを受け入れた時点で、あたしには確信ができたんだ。

 なんの呵責もなく殺しを計画しているあたしの申し出を、あなたは決して拒まないと。

「ちがう?」

「まっ、どーでもいいさ。あんた、out of 眼中だからさぁ」

 眼中にない?

「つよがってるの」

「んじゃないよ」

 彼女はカルマを吸っていた。

「以前、あたしが何者なのか聞いたよね。

 以前、あたしが、あなたのこと知っているのか、聞いたわよね。

 ヒューイット?」

 あたしは、彼女が男であったときの名で呼んだ。

「そっ」

 彼女はカルマを吸っている。

「どーでもいいさ。

 あんた、あたしのコードネームすら知んないじゃん」

「あたしに似た女を愛していた。

 そのすべてを、あたしは知りつくしたのよ」




 コードネームは、ヒュー・ザ・ヴァイオレット。

 安道全博士のヴァイオレット研究所でおこなわれた非合法な実験により産まれた、科学の枠を超越した、この宇宙にある、すべての生物を凌駕した新生命体。


 地上に舞い降りた最後の天使。




 ガッ、ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・


 かすかな音が小さな地響きをよんで、とぎれる事なく、去来してきたのは慨嘆ではなく、散弾するマシンガンの咆吼だった。

 白銀の平面に木霊する。

 彼が、おもいのたけ撃ちならしているのだと知った。


ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・


 あの雪の降る日に、あたしの店のまえで拾った男。

 たしかゼン・ラッセルとかいった、彼があたしを裏切っている。

 いや、そもそも仲間じゃなかったんだ。

 ただ、ずっと傍にいたからか、そんな錯覚をおぼえて、思いこんでいただけなのかも知れない。


 あたし、バカだ・・・



ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・




それはメグという女性を抱きしめたとき、あたしが感じた彼女の主観、産まれてからこれまで、彼女が体験したその記憶、その余波だった。


 それが、その娘の感性。

 理屈で片づけられる感情なんて、あんま、あたしにはないからさぁ。


「そうでもないさ」


気やすめを言わないではいられなかった。


 こんな才能なんていらないし、あたしにすれば酷なだけなんだけど、他人の心の痛みなんか知りたくなんかないんだって。


「感情移入したりすっとさ、心が言葉をはなすんだって、夢が現実に近づくんだって、信じられる? そういうの」




 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・


 携帯電話に流行りの曲を入れんのはミーハー臭くて好きくない。

あたしが抱きかかえているメグって娘は、たしかにクスハに似てはいるんだけど、ヒトの価値は心にあって見た目じゃないんだってのがあんだよね。

 あのとき、孤独に耐えきれなかったあたしを癒してくれたのはクスハであって、あんたじゃないんだよ。美観によっちゃ生理的にどーこーってのは有るけどね。

思いこみ過ぎちゃって自己満足なんか、あたしに押しつけても、あたしの心は其処にはなくて、だから構ってらんないんだよねー。


 あたしは愛銃のシックスシューターを握りしめていた。


 あたしは無傷で彼女に覆いかぶさるように建物の影に隠れたけど、躊躇していたメグは、あたしの良いなりになる意志がなかったせいか、左膝に銃弾をうけている。

 傷ついたら置いていく。

 それがあたしのポリシーだから、彼女を放って弾丸つきるまで好き勝手したヤツを始末してやろうと思っていたらさぁ。

「・・・ごめんなさい」

 かすれた声で、メグは呟いていた。

 あたしの背後から、そのナイフを突きつけていたことを。

「ボーカーナイフ。んなの今、流行りなわけ?」

 彼女の記憶が、彼女の感性と同時に流れ込んでくる。

 ゼン・ラッセルの声が、彼女の心に平静と安らぎを与えていたのだと分かる。

「こいつはな、以前、あの女に殺されたグラウチュア・ブラウンという女が愛用していたものだ。あいつへの恨みがたっぷり籠もっているんだ」

「柄には、愛するミーシャへ、って書いてあるけど」

「その事情を俺は知らねーが、ブラウン神父の信者だったからな。本名とはちがっていたのかもしれないな。グラウチュア・ブラウンって名前・・・」


 そっか、ダグラス・ブラウンの信者か。

どおりで、あたしを狙ってくるはずさ。

心の拠り所をうしなった恨みが、どこかにあんのかもしんないなぁ。


 あたしはメグを突き放すと、背中に右手をまわしてナイフを抜いた。


「なんか今、血がドバッて出た感触があんだけど」


ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・


 耳をすませば、音がきこえる。

 乱打する足音は必死で遠のいているようだが、あたしを殺せなかったことは認識している。このままでは自分が殺されることを理解しているが、我を忘れているわけではない。ルートに迷いが感じられない。目標を持って、それに向かって駆けている。

 あたしは、たしかにヤツの銃弾をかわして博物館の影に逃げたんだけど、もしかしたらそれは、偶然ではなくヤツの目論見だったのかもしんない。

 メグをダシに呼びだしたのも目論見なら、銃弾で追い込んだのも目論見、あたしは罠にかかって、ヤツらの作戦のなかで踊らされていたのかも・・・

 だとしたらハッキリしている。

 此処に居てはいけないと、ヤツが距離をとっているのは、あたしから、というよりも、此処からなのだ。


 ぐぉう、ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご・・・


「どっかーーーーんっ。

 ひゃっ、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、ひゃーっ。

 いくらヒュー・ザ・ヴァイオレットであろうと、

 いくらコアを細胞に組みこまれていようと、ハッパで吹き飛ばされても生きてられるかっていうんだ。これで生きてりゃ、それこそ本物の化け物だぜ」


ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・


 死に対する不安なんでしょ。

 その、あんたが言ってるソコハカトナイってのは。

 だったら何処に逃げても、環境を変えても、その恐怖はなくならないよ。

 だからさ、あたしなんかがしてあげられんのは、知んないままに巻きこまれた者に安息を与えてあげること。


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・


絶望よりもふかく、よどんだ感情に心を食いやぶられて廃人となったとき、自分はすでに負け犬だった。

「こんなに悲しいなら、こんなに苦しいのなら、こんな感情なんか、もういらない」

 と、心を殺すことを選択し、だのに命を絶つことには抵抗をする矛盾こそ、そもそも感情が作用した理屈ではない要素だったのかもしれないが。

「世界の破壊者である三津木あやねのメモリーを移植することで、おまえは、このうえもなく強靱な精神を得ることができる。だがしかし、おまえが、おまえでいられる保証はないんだぞ」

 あたしを壊したくないといった安道全、彼も嘖んでいたのだと思う。

 人を捨てて、狂喜のなかに夢をみていたのだろうから。


「なんで女になって帰ってきたの?」

 自分を慕ってくれていた唯一の親友にそんなことを言われて、彼女の涙を避けるように、「あたしには、あやねがいるからさ」と、メモリーを口実に言い逃れした。

 殺戮の為には卑怯に動揺なんか感じないのに、対人関係だと肉体以外の何処かに歪みが生じて、鏡の中の自分が見窄らしく感じられたり、精神的な痛みに耐えられなくなったり、強靱なメモリーでも拭いきれない何かがあるのだと振動する。

 親友に、気持ちで卑怯をしたと悔やんでしまったこともある。


 もう戻れない場所が幾つもある。

 それと同じくらい、自分では届かない場所もあるんだってこと、知ったんだよ。


 経験は人を前進させる。

 とても言葉では語り尽くせないし、困難なくして自分の成長はありえなかった。

 試練を乗りこえるということは熾烈で過酷、なんども逃げだして、それでも胸の奥で燻って、どうしても振りかえってしまい、自然と、それは自分の意志なのか、なんらかの外的な作用なのかも解らないのにやってきてしまう。

 それはたぶん、あらたなる未来を切りひらくために、

困難を試練と受けいれ前進するためにある。


・・・野望。


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・ピッ。


「あたしは幸せなんだと思うよ。

 世界は悲しみに満ちあふれている中でさ。

 あたしはいつまでも、好きな女のために、そいつのことだけを想って生きていられたんだからさ」


 あたしは銃を突きつけていた。


 その男、ゼン・ラッセルに。


「おっおっおっ・・・」

言葉にならないほど怯えている男が、あまりにチッポケに見えるんだけど、大抵パターン化してるリアクションのひとつなんで、こいつには何の感情もわいてこない。

「とっとっと」

 ジョークで、ヤツの言葉に下の句をつけたりしたりして。

「おまえ不死身か?」

「バカじゃねぇの」

 んな博物館みたいなデカイもん吹っ飛ばす爆発のなかにいて、網の目をくぐるようにして逃げられんのか、爆弾うけとめて生きてられんのか、残念だけど、あたしはんなモンスターでもビーストでもないかんね。

「らら、グッバイ」

 あたしはヤツの頭に照準をあわせてトリガーを引いていた。


 ガガッ。


「ん?」

 そいつの頭が無くなっていた。

 弾丸で頭がふっとんだわけじゃない、頭のあるべき場所に、頭がなくなっていたってことだ。

「くくくくくくくくくくくくく・・・」

「いやな含み笑いするんだね」

 言葉どおりの感じかたをした。

「ほーほーほー」

 変なおとこ。

「フクロウか?」

 チャラケてんのは、そのトリックが解っているからなんだけど。

「あわてず、あせらず、さすがに地上に舞い降りた最後の天使と呼ばれるだけはあるんだな」


 意味わからんわ。


「んな、あたしに、あたしの宣伝してどーすんのさ。観客がいるわけでもなし、まっ、美しいあたしがいれば観衆なんざ、すぐに群れることだろうけど」

「ステータスの存在を知っているとは、おまえの、あの能力がそうなのか?」

 くだらない質問だねぇー。

 そのまえに必要な相槌がサッキの科白にはあったと思うんだけど。

「その身で思いしるがいいさ」

 あたしは、もう二発。

 しかし結果は同じで、ヤツにはカスリもしなかった。

「あくまで銃で勝負するつもりなのか、だったら勝負は決したようなものさ」

 こいつ。

 ステータスを所持して日が浅いんだ。

 その特性も、能力の価値も解っていない。

「安道全は、すでに他界している。

 この手術が出来るのは雨月の助手をしていたシュバルツ・ハインぐらいだけど、あいつなら金もらえば手術くらいするか、それも、あたしが創りあげられたときよりも、純度の高い改造を、今のシュバルツなら、やってんだろーなー」

 

 ガガッ。


全弾うちつくして補充をしているあたしは、ゆっくりと相手を見くだしながら、

「あんた、よく解ってないんだろうけど、ステータス所持者の先輩として教えたげるよ」 ステータスってのは遺伝子操作を受けた者が、そのもの固有のある一部を強化することにより獲得した超能力で、人間ってのは歴史と環境に適応して今の進化にいたったわけで、そのカタチを、神ならざる第三者が、己の利益のみのために操作することにはムリがあんだよ。

 それは諸刃の剣で、普通の人間が無知にそれを扱って無事でいられるなんて有りえない。

 めたらやたらに能力を使えば、巨大な馬力を消費するマシンのようで、つかうエネルギーも並みじゃないから、肉体にかかる負荷も軽くはないんだって、駆逐されんのってシャレになんないって考えていないんだー。

「とくに、あんたはコアを施されていないんだから」


 ダンッ。


 左腕の上腕二頭筋をえぐられて、シックスシューターを手放しそうになっていた。

「ステータスってのは、それ自体が強みだけど、特性を見破られれば、長所でありながら短所にもなる。それ、教えてあげんだよ」

 ひるみはしない。

 その傷ついた腕で発砲した。

 しかし男の体は歪曲し、またも弾丸がヤツに突きささることはなかった。

「学習能力がねぇのか、てめぇー」

 男の肉体は、全部が凶器で、ヤツのタックルに重量の少ないあたしは容易に数メートルは吹っ飛ばされた。

 発光し、ゴムまりのようにフニャフニャ変形すると思えば、鋼のように力強く、研ぎすまされた拳は、ヤイバの如く、あたしの四肢に、みにくい傷を刻みこんできた。


 ガンッ。


 どこまでも広い空と、広い平面、みわたすかぎり真白の現実は、気怠い夜の夢を見ているようで、此処が何処なのかも解らなくなる。

 誰も通りすがることすらないんだから、チカラのかぎり暴れられる筈なんだけど。

「なんだろう、なんか朦朧としてるんだ」

 足元がおぼつかず、ふらふらした。

 視界はモヤが掛かったように虚ろで、自力で立っていることすらできず、転がると、顔面を痛打して額から血を流していた。

「ひゃっ、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、

 依然、運はこっちに向いているようだな。

おまえ、あの女にナイフで傷つけられてきたんだろ。毒がまわって、もう俺を見れてはいないんだろう?」

 下卑た笑いだ。

「ゲスめ・・・」

 これまでに屈辱とよべることは幾らも経験してきたさ。

「このウェルズの火星人が」

 減らず口、負け犬の遠吠えが空しく響いた。

 あたしの精神は朦朧として、命を奪われようと殺してやると、すがるように男の方に手をのばしたが、ヤツは不敵に笑うだけで、あたしは、そろそろ年貢の納めどきかな、なんて、無意識だけどバカのように笑いが、胸の奥から溢れてくるのが堪らなくなんか、切なかった。




 クスハも、よくそれを責めていたっけか。




「なんで笑ってんのさ、あんた」

 なんでだろう、ときどき知らずに笑みがこぼれる。

 それは無意識なんだけど、自分が窮地に立たされるときは常にそうだ。

「笑いが、悪夢を殺意に塗りかえるからかなぁ」

「愛が憎しみを肯定している以上、今日も悪夢に嘖まれることになるんだよ、あんた」

「そだね、クスハの言うとおりかもさ」

「あんたにとって、あたしは良い恋人にはなれないし、

 あたしにとって、あんたは良い恋人にはなれないんだよ」

「べつに、誰かが決めた不幸の定義に身をおくことは、悲しくもないし、寂しくもない」

「それは、あたしが、あんたのすべてだと言いたいの?」


 You are everything to me.


「まっ、そだね」

「バカバカしいとは思っている。

 けど、本当は、あんたを愛していたいと思うあたしもいるの。

・・・

 でも、それは欺瞞なの。

 嘘なの。

 ぜったいに幸福にはなれないし、明日、死ぬかもしれないし、食うことにすら憎しみを抱く、希薄な生命に執着する、どうしようもないあんたと、幸せになんてなれないと思うから」

「ほんとは愛してみたい?」

「どうしようもなく不可能で、それは有りえない決断なんだけど、ね」


 彼女が笑ってさえいてくれていれば、いや、その笑みによる安らぎが枯れ果てても、一緒にいてさえいてくれれば、こんなにツラくはなかったんだ。


 でも、すべてはうつろいゆく時代の流れのままに霞んで、消えて・・・




「くたばれーーーーー。

 このドグサレアマがぁぁぁぁぁーーーーーーー」

 男は、あたしの喉元を左足で踏みつけて、もう一方で、あたしの頭蓋骨をカチ割ろうと振りあげたが、

「ハッ」

 瞬間、払いのけたあたしは我にかえって、どうやら気を失っていたのは一瞬にすぎなかったと納得し、シックスシューターを再度、握りしめてたが、ヤツは反応速度も異常にはやく、すぐさま反転すると、あたしの首に右手をあてて絞めつけた。

「死ねぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーー」

 もう片方を突きたててくるのは、あくまで、あたしの首を飛ばそうとしているからだ。


 ガッ。


 あたしは、それを見極めて紙一重でかわしていた。

「俺は絶望していたんだぜ。あんたの能力を見た、あの日から。いつか、あんたが最悪の殺戮者として、おれの前に現れることを予期していたんだ。とうぜん、俺では、あんたに勝てないと気が狂いそうな、あんたの存在という恐怖に、俺は負けてはならなかった。

 負けてはならないと、おまえが俺を追い込んだから、おまえという障害をのりこえることができたんだ。おまえが、俺を進化に引きいれたんだぜ。

 おいっ、さっき言っていたな。

 俺の能力の弱点と本質を見極めると、見極められたか、やれるというなら、やってみろよぉぉぉぉ。

 このドクサレぐぅぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーー」

「あんた、うざいよ」

 あたしは岩場を背にしていた。

 男は絞めつける、あたしの首を。

 背にした岩場の雪を利用して、腰から滑らせたあたしは、その反動、膝でヤツの手首を蹴とばして、ひるんだ男が、その絞めるチカラを緩めると、その手を引っぱって蹴とばした膝をピンと張って、カカトを相手のうなじにフックさせて引きよせた。

 左手にはシックスシューター、太股と脹ら脛でヤツの頭を固定した。

「撃ってもピストルは俺には通用しないぜ」

「そっ、かしら?」


 ダダンッ。


 硝煙の匂い、彼の頭部に直撃させたのは、あたしが自分のリズムを崩して彼を狙ったからだ。

 爆発し、背もたれしていた岩場が削れるほどの反射と、うねり。

 そいつはまるで、無傷だった。

「残念だったな。それがラストチャンスだったんだぜ」

 あたしは無意識に笑っていた。

 それが余裕にみえたのか、気にくわないと男が、あたしの首をへしおろうと執着してか切りかえすと、ギロチンぎみに、あたしの首を両の腕で挟んできた。




「You make me laugh」




 すべての現実を否定してまで、あたしが手にした幻想の光は、世界を埋めつくす光であり、おおくの影を宿していた。

 とびかう肉片、血しぶき、ドス黒い、暗黒のタマシイを地獄へと誘う叫び声。または破壊に夢想する悲鳴が、嗚咽と混じりあって悪夢を呼ぶのかとウンザリする。


 カサカサと煌めく、金色の翼。

 互いの視界に覆いかぶさって、五体をバラバラに引き裂かれた男はまだ、なぜ自分がそうなったのかも解っていない。

「夢でも見てんじゃないの、あんた」

 粉々に霧散していても、彼のタマシイはまだ、肉体に縛りつけられているようだった。

「あたしに勝てるとでも、思ってた?」

 そのもののカタチを留めることが出来なくなった物体は、息もきれぎれで、それでも何かを伝えようと、言葉にならない言葉を吐いていた。

『わかってたのさ。俺ではあんたに敵わないと。俺は組織でも、たいした地位にたってない、鼻つまみ者だったんだから、伝説のヒュー・ザ・ヴァイオレットにゃ敵わないと。

 だがな、おまえは俺に傷を負わされたんだ。神にも背くことができるあんたが、俺みたいなチンケな虫けらに手こずったんだ。

 おまえだって、すぐにこっちにやってくるぜ』

「・・・」

『・・・地獄にな』

「あー、そーかい」

『待っていてやるよ。

 おまえを殺したいと願う人間は、数かぎりなくいるんだからな』

 あたしを呪ってやると苦言してんだ。

「そっ」

あたしの背中には翼がある。

そう見られるが、実は翼なんか存在しない。

自分の周囲に卵のようなシールドを一瞬だが張ることができるだけで、万能でもなく意思で操作できるものでもない。

 安道全の叡智と、三津木あやねのメモリーと、人類が失ってしまった過去の遺産であるコアにより天地をゆるがす神のチカラ。

「たしかに、あたしの翼に破壊できないものなんてないし、この存在を警戒されると苦労するのよ。あたし自身が、すっげー疲れちゃうんだかんね。

 かといって、あたしはステータスの秘密をみられたくらいで人殺しはしないんだよ」

 あたしはカルマを吸っていった。

「あんたに娘を殺されたマチュアって母親がさ。あんたを殺してくれってウチの国家機構に依頼してさ。宋江の命令で、それ調べていただけなのさ。でも裏とってたから、結局あんたを殺すことになったと思うから、同情なんかしないんだよ。さっさと死にな。

 小娘を襲ってレイプしちゃって、欲望のかぎりに娘の尊厳と生命を略奪したあんたに同情する価値はないってね。

 メグのことだって同じなのさ。

 無知で無垢で無力なものを、自分の欲望で利用したあんたにはヘドがでるのさ。

それと、もう一つ。

 あんたなんざ、いつでも殺せたから、あんたの殺り方に合わせただけさ。あんたのステータスの弱点を探そうと。ごめん、あたし余裕ぶっこいてたからピンチだったよ。まっ、ゲームとしては楽しめた方だからさ。いいよ、地獄で、あたしに殺された亡者どもと仲良く雀卓でもかこんで自慢するがいいさ。

 まっ、長話しちゃったけどさ、さっさと死ねよ」


 あたしはカルマを吸っている。


その男は、譫言をいって息絶えていた。

あたしは、戯言をいって背をむけていた。


 すぎたことは現実と切り離してしまわないと、フラッシュバックにすぎないんだから、像としても、あたしの心には永遠にかかることがなくなるんだ。


 あたしは、さっきからコールしてきてた仕事のパートナーに事の解決を告げ、おちあうことにした。

 待ちあわせ場所はAlone。

 メグという女の店だ。

「彼女死んだの?」

 きいてみたら、エヘヘヘッと満面の笑みで、教えて欲しいんですかーと間延びした口調で焦らすだけで、それに彼女は応えなかった。

「生きてんだろ?」

 カウンターでカルアミルクをオーダーしてたあたし、店内を見回していたがメグの姿は見当たらなかった。

「エヘヘヘッ」

 あどけなさが残る少女のように、ホッペを真っ赤な林檎のように染めあげた女は白人で、肌のツヤも若々しくてツルツルしてた。

「はなせよ」

 あたしは無表情に命令してた。

「仕方ないっすねぇーーー」

 国際警察機構の一流エージェントの筈のクィーン・クィーンは、笑顔の灯火を消さない女で、実際の年よりもかなり幼い外見をしている。ホントは組織のなかでも凄腕だと聞いているが、あたしは彼女の、そういった仕事を見たことがない。たぶん、平和ボケした連中の認識では、そうなのだといった程度なのだろう。あたしとは部署が違うんだけど、彼女の情報収集能力をかって、彼女を手なずけている最中なんだけど、

「昨日、彼氏とキスしてて抱きあって暇つぶしてたらヤッちゃうじゃないですか。でっ、彼氏のアレ舐めてたら、こっちも何か変な気になっちゃって、だから挿れてっつうんだけど、なかなか挿れてくんなくて、それでもベラ咬みあったりしてっから、お互い、その気になってる癖に、なんか焦らして、焦らされると余計、ほしくなるっつうか、そいで腰をグラインドさせちゃって自分の気持ちのいいトコにあてるじゃないですか。そしたら、ぐちゅぐちゅべちゃべちゃで、っで、たまんなくなっちって、お願い、挿れて、って相手の身体中ベタベタに舐めまわして色んなテク駆使して自分を表現しちゃうんっすよーーーー、したら向こうも堪らなくなったっつうか、そいでもういちど挿れて、つったら漸く挿れてくれて、そしたら全身に電気がはしったみたいにビリビリバリバリで爪の先まで伸びきっちゃうよな衝撃でアヘアヘで、ものすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく気持ち良くなっちゃって、そいで最後までイッチャウわけなんすけど、それ四・五回してたらもう、足腰たたなくなるっつうんですかーーーーーーーーーー」

・・・


 ガヂッ。


 とりあえず、彼女の頭を右手でつかむと、左手で思いっきりのチカラでエルボーした。


「っでーーーー。

 ってててて、痛ぅーーーーー。

ヒトの頭なぐんないでくれますぅーーー。バカになったらどーすんですかーーーー」

 安心していいさ。

 そんな心配しなくても、充分あんたバカだから。

「誰が、んな話しろっつった?」

「えーーーーーーー。だって、さっき話せよっつうから、言ったのに」

「べつにクィーンのプライベートなんか聞きたかねぇよ」

「って、またまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまーーーーーーーーーーーー」

「さて、今またまたって何回いったでしょ?」

「・・・」

「指おって数えてんじゃないさ」

「マタで切るんですかーーーーーーーーーーーーーーーーー?

 マタマタで切るんですかーーーーーーーーーーーーーーーーー?」

「・・・バカ?」

「まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 わたしのこと愛してるって、ちゃーーーんと顔にでてますよーーーーーーっだ」

 あーーーーー、なんかもー殺したくなってきちまったよ。

 まっ、いつものことなんだけど。

「あんたさ。あたしが訊いてんのはメグって娘の容態なのよ。って、わかる?」

「エヘヘヘッ。ぬわぁーーーんっだ。だったらはやく言ってくれれば、よかったのにーーーーーーーー」

「ふぅー」

あたしは深い溜息をついていた。

最初っから言ってんだろうが。

「あたしとあんたの会話のなかで、あたしがあんたの夜の生活おしえてなんてセガむ科白なんか無かったと思うけど?」

「だから急に訊きたくなったのかと思って、わたしもビックリなんですよーーーー」

「こっちもビックリさ」

「ですよねーーーーーー」

 あんたのバカさ加減にな。

「っで、容態?」

「あい、そーーーですねーー。瀕死の重体で、ここ二・三日がヤマだそうですよーーー。これ死ぬわ、たぶん」


 ゴギッ。


 無責任なクィーンの科白にムカツキが衝動を抑えきれずに、あたしはエルボーを彼女の頭にクラッシュさせていた。


「頭がヘコむから、やめてください」

「いやいやいやいやいやいや、大丈夫。ぜんぜんハタ目じゃ解んないからさ」

「んなことないですよーーー」

「あんた、彼女を収容して保護しといたって言ってなかったっけ」

「そーーーですけどねーーー」

 んだよ。

 彼女は含みのあるニュアンスで、笑っていた。

「あたしが助けにいったわけでもなし。なーーーんか、自力で張って逃げだしてきたっていうかーーーーー。紫苑さんを追っかけて、たまたま意識をうしなったのが爆発の射程ギリチョンだったっつうかーーーーーーー」

「あんた、あたしに何のために電話してたのさ。あたしは何のために、あんたに指示だしてたのさ」

「無駄でしたよねーーーー」

 あのなー。

「まっ。どっちみち、あたしじゃ、あんだけのダイナマイトが爆発したなかで、彼女を探しだして安全な場所まで連れ出すなんてムリなんですよーーーー」

「これまでパートナー組んだなかで、ここまで現場で使えないのは、あんたが初めてだよ」

彼女は、諸手をあげて喜んでいた。

「やったーーーーーー。史上初」 

でも、

 たぶん、あたしは褒めてなかったと思うんだー。

「もしかしてーーーーー。喜ぶとこ、ちゃいますかーーー」

「あん、よかったよ、認識してくれて」

・・・

「いえ、紫苑さんの表情みて、なんとなく」

 ふー。

 あたしはカルアミルクのんでいる。

「あんたと喋ってると話すすまないから、逆にあたしが進行するんだよね」

「これを機会に、脳みそだけでも真っ当になりましょうよ、ねーーーーーー」

「あんたに言われたかないよ」

「そーーーですかーーー?」

「でっ、どだった?」

「なにがですぅーーーーー?」

「おまえなー。

 メグに会って来たんじゃなかったの」

「あーーーーあーーーーー会ってきましたよーーーーーー」

「んで、どだったかって訊いてんだけど?」

「そんなに、あたしの情事が知りたいなんてーーー。ドスケベですよねーーーー。紫苑さん?」

いったい何を話そうとしてるのか、予想はつくけど聞くのは嫌だ。

 すっっっっっっっっごく気怠くなるからさぁー。

「おまえ、マジ、殺すぞ」

と、凄んで脅すと、

「ったくぅ、冗談ですよ。会ってきましたよ。そーーーですねーーー。感想ですかーーー。

いいっすよーーー。あっりまっすよーーーだっ」

と調子を変えないマイペースの女が、まだ笑っていた。

「さっさと言えよ」

「気持ち悪かったっすよーーー。

 わたし、あまりの気持ち悪さにゲロ吐きだしちゃったんですもん。

 ホント、いるもんですよねーーーー。

 ドッペルゲンガーなんて」




 その十日後、あたしは私立病院の二階で、足の骨折と、胸から下の左半身を火傷した女性が入院している、ある一室に見舞いにきてた。

女性はベッドに横たわって、寝間着のまま下半身を布団の下に置いていた。

 あたしは、付近に設置されていた椅子に座って彼女にむかって、へろーっとか挨拶してた。

「あたしのこと好きなんですか?」

その場から、動じず、ただ窓の外を見つめている女は、すこし髪を切ったみたいで、ゆったりとして、それでいてなんか緊張感のある部屋の雰囲気。

 みどりがかった病室で、彼女は焦点の定まらない瞳、放心しているようだった。

 そのメグ。

あたしが扉を開いた音に反応したのか、ゆっくりとあたしを見つけると、恍惚という表情を永遠にむけているのだとゾクッとしたのは、あたしの思い過ごしかもしれないけど、クィーンが言うには、人生に絶望して誰とも面会したがらず、ときどき思い起こしたかのように、あたしが載っているファッション雑誌に眼をとおしているとか。

 あんま興味はなかったけど、引っかかるものが何処かにあって、彼女に会いたいと主張したら、メグは予想外にあっけなくOKしたんだ。

「ここには、あたししか居ませんからね」

 あはははっ。

 と、不器用なつくり笑いをしたんだけど、ブサイクだった。

「あんたが呼んでいるような気がしたんだよ」

 彼女は、愛想なく無表情で、

「呼んでいませんよ」

 と退けたが、

「あんたがさ、あたしの愛した人のこと知ってるって、いったじゃない? っで、あんたは、その、クスハが、あんたに似てるって?」

 あたしは何となくの接触でコミュニケーションして続けていた。

「にてないよ、全然。

 つうか、だってさ。

 あんた、ミズガルドって、海に面した砂漠の都市しってる? あいつ、そこで産まれてさ。両親いないで育っちゃったからさ。根本的な他人との接し方って知らないからさ。いつも遠慮して暮らしていたんだよ。でっ、くだんない男に騙されて子供を産んで、養っていけなくて子供を捨てて、金持ちに体売って暮らしてたんだけど、そいつが酷い暴力をふるう野郎で、逃げて、それからも何回か恋して、惚れっぽくて、バカで、どうしようもなく放っておけない感じがする。ダメな女だったんだもん。あたしはさ、そのダメッぽさとクスハの、なんか異常なまでのマジメさと集中力に眼をとられて、心のバランスをくずして、気が付いてたら心を奪われて、そいつのことしか考えられなくなっちって、って、なに話てるかというとさ」

 そのとき、メグの携帯が鳴りだした。

 メールが届いたんだと彼女は言った。

「へぇー、店でバイトしてる子からとか?」

 あたしが送信者を訪ねると、彼女は携帯をあたしの方に放っていった。

「紫苑さん宛に、ここ数日、毎日メールが来るんですよ」

「だれから?」

「アイラ・メイヤ」

・・・

「だれ?」

「さぁ、紫苑さんなら、おわかりだと思ったんですけども」


 そのメールには、こうあった。


『紫苑比右さん。

 あなたも、はやく此処にくればいいのに』


『数多くの夢を奪い続けてきた、あなたが』


『魂を奪われた冷めた眼で、このまま、すべて失っていくくらいなら、いっそ・・・』


 なにさ、これ。

 勧誘?


「スパム?」

「あたしには解りませんけど」

「なんで直接あたしじゃなくて、あんたの携帯に?」

「もしかしたら彼なのかも?」

「だれ?」

「ほんとはあたしも死んでいて、この世への未練とか執着とかで、このLoopをまわっているのかもしれないから」

「それ何の話なのさ」

「あたしはそのとき、間違いなく生きているといったけれど、ほんとうは死んでいたのじゃないかしら。あたし、もう死んでいるんじゃ・・・」

「あんたさ、そのメール送った相手に返事やったことあんの?」

「いいえ、彼はもう死んでいるから返事なんか・・・」

「その彼が、あたしには解んないからさ」

「そんなことないでしょう、あなたは自分が殺した相手も覚えていないんですか?」

「うん、いちいち覚えてらんないからさ」

「彼はもう、あなたに取り憑いているんです」

「あたしに取り憑くのはクィーンだけで充分なのにさ」

「クィーン?」

「あってんでしょ。あのとき、動けないあんたを助けたのはクィーンの筈さ。あいつは否定してたけどさ」

「あのひと、あたしによく似ていた」

「そーかい」

「ってことはクスハ・マイラにも」

「似てるってなんのかい?」

「なりませんか?」

「クスハは、容姿の整った女だったけどさ、女としては幸せを感じなかったってクチグセのように言ってたんだよ。なぜだと思う?」

「わかりません」

「彼女、眼球の色が赤かったんだよ。

 赤い瞳のクスハ・マイラってね。

 だからターゲットに怖れられ、男たちに逃げられた。

 それが美観を損なっていたからなんだよ。

 あんたたちは違うでしょ。

 きれいなセリジアンブルーは、ひとの心を惹きつけるから。そういうことさ」

「それは、あなたが、あたしにさして関心を抱かなかった理由にもなるんですよね」

「んなこたーないよ。

 だってさ、クスハとは違っても、クィーンとは区別がつかないんだからさ」

 そして、また下手くそな作り笑いを不器用にした。

「あの、こんなこと言って、嫌な女だとは思うけど、彼女は、キケンだと思います。あのひとが、あたしにしたこと、瓦礫に足止めされて、絶望していたあたしにピストルを向けて撃ったんです。そのときの、彼女の不敵な笑い声と、心の奥底まで響いてきそうな凍てついた悪意の衝動、あたしは恐怖で、声も出なくなって、それで正気を保てなくなって、だから気を失ってしまったんです。彼女の、あたしに吐きすてたその言葉を、あたしは決して忘れないでしょう」

「彼女、なんって言ったのさ」

「いえません。いいたくないんです」

「そっ、まぁいいさ。

 あんたがクィーンに言いしれぬ恐怖を感じたというのなら、そうなんだろうさ。

 けどね、大切なのは感情よりも結果じゃない? 彼女がいたから、あんたは救われて生きている。彼女が判断しなければ、あんた死んでいたんだよ。生命ってさ、尊いもんじゃないかなー。

 生きてさえいれば野望も生きる。

その手があれば、なんだって手に入るかもしれないんだよ。

 不可能な現実にだって、不幸を受け入れるくらいなら反抗する勇気があってもいいんじゃないかと、あたしは思うんだよ」

「あなたは強いんですよ。

 でも、世の中の大半は弱者で成りたっているんですよ」

「だからって、自分から弱者に成り下がることはないつってんだよ。すこしはさ、起きてしまったことを後悔したり、現実に対応しきれないで悩んだりとか足踏みすることに慣れていないで、これからの自分を見つめ直してみるといいよ」

「未来が解っていれば、生きてなんかいないのに・・・」

「未来が解らないから、生きてられるんじゃない。

 また、来年にはエターナルにはやってくるさ。

 そんときはさ、店には顔だすからさ」

「店が潰れてなければ、ですけど」

「あたしの好み、忘れないでね」

あたしは席をたつと、彼女に軽く手をさしだした。

「シュリンプのハンバーガーにカルアミルク」

こたえながら握手に応じるメグは、すこし物思いに耽っているようでもあったが、

「そっ、かならず又、くっからね」

これ以上は彼女の問題と、それに気づかぬフリをした。

 あたしは、彼女に頷いてみせると、そのまま背を向けて部屋をでた。

 みおくる彼女の視線を感じながらに。


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピッピッ。


あたしの携帯が鳴っている。

 みるとメールが届いていた。


『その気になった?

 その気になったみたいだね。

 こっちはとっくに、その気だよ。

 君を迎える用意ならとっくに出来てる。

 さぁ、おいで、なんでこっちに来ないんだよ』


「デートの誘いがビッシビシなんだけど、いいよ。

 こっちも興味が湧いてるからさ。

 少しくらいなら相手してやってもいいさ」


 自分に対するオダテや賛美には飽き飽きしているあたしだからだろうか、こうして挑戦してくる輩は後をたたない。

 幸福への近道なんて何処にも見つからないから、せめて一瞬でも幸福を手にいれられたら、あたしは満足してしまうのだろうか。

 そのためにも、たちどまってなんかいられないってね。

 あたしは野望実現のために生きているんだからさ。

 ・・・それはクスハ。

 あんたと一緒に見ていたい夢なんだよ。

 あんたは、ちっとも興味がないのかもしんないけどさ。




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