introduction

   A・G2016

(イーストサイド ディシプリン 運命の律)




   main character〈片桐脩〉





運命の律


またか。

と思ってしまうのは仕方がない事かもしれなかった。


聴こえてくる。

アルビーノのアダージュ。

白銀のピアノを弾いているあの女。

透けるような金髪の女性はショートヘヤーで白いドレス。

いつも見たことのない文字の楽譜。

旧世界の言葉で、その曲のタイトルを書いているのだと、その女は言っていたけれど・・・


「わりぃ。

ついてけない」

「そっか」

彼女はカルマをやっている。

非合法な活動が慌ただしい製薬会社でつくられた煙草のようなものだが、不穏当なので、それについて深く語らない。

「あんた苦痛がたりないんじゃない?」

「これでも、けっこー苦しんでいるんだぜ」

「そうは見えない」

彼女はカルアミルクを呑んでいた。

このライト&シャドウというバーは一時期、問題をおこし、潰れていたが、今ではそれに資金をだし復旧させた彼女のもので、経営は彼女ではなくダラー・プラッチフォードという男にすべて任せられていた。

ダラー・プラッチフォードは寡黙で無骨な男で、何の取り柄らしいものはないのだが、それでも仕事はソツなくこなし、彼女に対して干渉しないから、彼女は気に入っているようだった。

「まっ、あんたに比べれば、たいしたことないかもしれないな」

「そうやって、すぐ自堕落する。

人はね。

自分を乗り越えなければ未来に幸せを描くことなどできないのさ」

「そっか」

俺はジンをロックでやっていた。

「自分を乗り越えるって、いい言葉だよね。

あんたが自分を乗り越えたら言ってよね。

あたし、慰めたげる」

「なにをだよ?」

「すぁーーーーーーーーーーーーてね」

「この酔っぱらい」

彼女はモデルをしているだけあってプロポーションはいいのだが、さして人目を引くような美人ではなく、ファッションも地味なものを好むため、心に残る容姿でもなかったが、その透明感に人は魅了されていくのであろうことは理解できた。

「くえっへへへへへへへへへへへ。

それがどーわりぃのさ」

そういうと、彼女は俺に息を吹きかけた。

「よせよ。

 比右」

 女の名は紫苑比右。

 地上に舞い降りた最後の天使と呼ばれ、たった一人で、犯罪組織JUDGEの支配にある七つの部隊と三つの都市を滅ぼしたために、世界中から恐れられている。

 そして、少しでも街の暗部に触れる者ならば、彼女の裏世界での名前、ヒュー・ザ・ヴァイオレットの事を知る者はいない。

 それほどの脅威が彼女の中にある筈なのだが、彼女といると俺はなぜか安心できた。

「似たような境遇だからさ」

 と、彼女はいうが、俺には、その理解がなく、彼女の何気ない仕草にドギマギする事もある。

「あたしの言葉が解らないって事は、あんたには素質があんのさ」

「大半の人間が理解できないんじゃないのか?」

 俺の耳朶に、彼女は唇を近づけてきた。

 迫ってくる。

 それを恐怖に思うのは、彼女に安心する事で、彼女の唇は上下に割れて言葉を吐き出して言った。

「言葉の意味って事よ」

「おなじ返答を繰り返すが、大半の人間が理解できない。

「・・・」

「・・・」

「おい、どういう意味か説明しろよ」

「あんたも不幸って言ってるだけさ」


絶望しているんだね。

君が閉じ込められえているのは、自分自身の心の殻だ。


「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 もう、何も考えたくない。

 信じたくない。

 もう、誰にも会いたくない。

 あたしは・・・

 あたしは・・・」


 そう言って泣き伏せる少女の肩を抱くと全身に衝撃が、電気のように駆けめぐった。

 みると、俺の右手が溶けてなくなっている。


 君はいったい誰なんだ?

 どうして・・・


 記憶の中に夢みる俺。

 俺は自分の存在が理解できない。

 俺は何のために生きているんだろう?

 何のために此処にいるんだ?


 教会のチャベルが煩わしかった。


 どうして受けいれてくれないんだ?」


 救われぬ魂が燻っている。

 胸の中につかえた想いが吐きだせない。


「君は・・・」

「ムリよ。

 あなたは、あたしを女の子だと思っているもの。

本当のあたしが見えていないの」


草原を抜けて、いくつの景色を過ぎたか思い出せない。

あたしは断崖の前にたっていた。

降車した男の腕にしがみつくと愛しているわと譫言をいった。

「いつかあたしも・・・」

 そういって語った夢も、今では何だか思いだせない。

 あたしの隣にいる彼も、あたしと同じ景色を見てたんだ。

「ほらっ、滝がある。

 あるような気がしてたのよ」

「此処は昔から自殺の名所でね。

 何十・・・

 何百かもしれない。

 多くの、人生を諦めたヤツらが死んでいったんだ」

「あたしたちには不要な景色よね。

 もう此処はいいわ。

 あたしにはだって、夢があるもの」


 ・・・夢。

 記憶の中の夢は、いつも他人でしかない。


「あなたは知らないのよ。

 あたしの痛み、苦しみ、悲しみ、切なさ、すべて。

 何も知らない」


 俺は知らない?

 君が存在している事すらも・・・


「だから?」

「なによ?」

「君も俺を知らないだろう?」

「そうよ。

 だって、あなたは・・・」

「バケモノにでも見えるのか。

 君とおなじ人間だ。

 そして、俺には君が見えてきた。

 なかなかの美人じゃないか。

 君はもう、少女の姿をしていない。

 成熟した大人の女性だ」

「やめてよ。

 そんな言い方?」

「君のイメージが入ってくる。

 俺の脳裏に侵食してくるんだ。

 だから解るようになったんだ」

「どういうこと?」

「人は運命すらも乗り越えることが出来るんだ」

「どういうこと?」

「君はいま、むかし置き去りにしたものを取り戻す必要に迫られている」

「それは何なの?」

「君が取り戻すものだ」


 あたしの霊魂。

 これはどこから来て、

    どこへ巣立っていくものなのだろう?


 朦朧とする意識。

 あたしは薬物を投与されて、訳のわからないまま裸でベッドに転がされていた。

 もう、声を出すことも、ままならない。

「澪」

 と、その人が呼んだから、あたしは名前を思い出したんだ。


 その人。


 恋人?


 ・・・


 あたしは見知らぬ複数の男に輪姦されていたが、朦朧とした意識では抵抗もできず。

 いや、抵抗しようなど、あたしの選択肢の一部にも見当たらない有様だったんだ。


「この女、俺たちに犯されて気持ちがいいってよ」


殺したかった。

その想いで心が満たされる。 

 欲望が胸から溢れ出す。

 あたしが愛していた筈の、名前も思い出せない彼が、彼が目の前で破壊されていく。


 ・・・右腕を刃物で・・・右脚を銃弾で・・・胴体をチェーンソーで・・・

 血みどろの、愛していた彼を見て、あたしの理性はプロテクトし、本能が絶叫させていたんだと・・・


 思わず目を覆ってしまう。


「あたし、卑怯なの。

 彼が殺されるのを見て、次にリンチされるのは自分だと思ったの。

 次に殺される。

 怖くて、男たちにレイプされているのに、そんなことはどうでも良くなってきて、自分のことばかり考えていて、彼のこと、振り返りもしなかったのよ」

「でっ?」

「どうして、あのとき?」

「あのときって、いつだ?」

「もしも過去に戻れるのなら?」

「戻れるとしたら」

「でも、無理なのよね。

 あたし、解っているもの」

「可能だ。

 これは俺が見ている未来の夢で、現実には、まだ時間は、そこまで進行していないんだ」

「だったら」

「それ以前の問題があるね。

 どんなに言葉を尽くして君に説明をしたとしても、君は同じ結末にむかっていく。

 君には逃れる術がなかったから、そんな死を迎えるんだ」

「結局、殺されてしまうのね」

「運命からは逃れることができたかもしれないが」

「どういうこと?」

「選択肢はあったんだ。

 ただ君は回避を望まない」

「どういうこと?」

「運命を受け入れた魂は消滅する。

 君は・・・」

「あたしはもう一度、やり直したい」

「戻れるさ。

 まだ始まっていないから」

「彼も、救われるの?」

「彼は、もういない」

「・・・」

「君の恋人は重要な男じゃない。

 君が縋るのは、そうだな。

 ライト&シャドウってバーにいるあの女がいい」

「・・・」

「もう一度、眼を閉じて、自分の歴史を振り返るんだ。

 君を待ってくれる人がいる。

 君のために涙を流してくれる人もいる。

 それに運命はまだ手遅れじゃない」

「あたしを待ってる?」

「ちゃんと待っている」

「あたしの名前、覚えていて。

 あたしは此処での全てを忘れてしまっても、あなたが忘れないって言うのなら、覚えていて欲しいのよ」

「ああ、いいぜ」

「あたしの名前は・・・」


 ・・・

「あんたも不幸って言ってんのさ」

「あっそ」

 俺は椅子から立ち上がった。

「また、そうやって聞きながす」

「人生に急いでいるだけだ」

「あんたの幸運って、つづかないわけよ」

「知っている」

「それとは意味が違うのさ」

「どういうことだ?」

「見なよ。

 あの柱の影にいる、おさげの女。

 前にあったこと、あんだよねー」

ゴシップ屋でウザくって」

「フリーのジャーナリストだな」

「パパラッチって言うのよ」

「スクープされてんのか」

「御愁傷様」

「あんたの男に見られるかもな」

「迷惑?

 裏世界の顔を情報屋にでも売るんじゃないの」

「ちょっと忠告してくるか」

「脅しの間違いじゃない?

 あたしの眼の届かないとこでやってたよね」

「あるか、ンなとこ」

 そうして俺は、柱の影に隠れている女の傍へ。


「おこんばんは。

 なにか用かしら?」

 女は右手をあげて挨拶した。

 目障りなカメラのレンズが煌めいた。

「よぉ」

「よぉって、挨拶くらいはキッチリほしいわ」

「よぉってのは簡略した挨拶だろ。

 問題があるのか」

「ンなことないけど」

「グッドモーニングとハローの違いくらいだろ」

「意味するところは同じ?」

「だろ?」

「まっ、それもそうか。

 ちょいごめん、もっと近づいてカメラにむかって隠すみたいなリアクションとって見せてよ」

「なんのために」

「あたしのニーズに応えるために」

「俺なんか撮っても写真の無駄だ」

「あんたじゃなくて紫苑さんが欲しいのよ」

「あいつに頼めよ」

「・・・」

「・・・」

「それもそうね」

 そういうと女は、オレが元いた場所まで歩いて、俺の席に着席した。

 何してんだ俺は、俺もアイツを追わないと、後で比右に何を言われるか解らない。

「・・・というわけで写真を一枚」

 手遅れだったが。

「脩。

 あんたねー」

 責めるような口調を遮りながら、

「安心しろ。

 揉め事は起こしていない」

「あたしの前に連れてきてどうすんのさ」

「勝手に会いにいったんだ。

 勝手に写真を撮られるよりマシだろ」

「どうでもいいよ。

 ただ面倒に巻き込まれなければね」

「素敵ですよね。

 紫苑さんって」

「これは面倒なのよ。

 自分自身にたいするオダテやお世辞には飽き飽きしているあたしにいうその言葉は拷問だよ」

「じゃ、素敵じゃないです」

「・・・」

「・・・」

「変な写真をださないでよね」

「怒りました?」

「呆れただけさ」

「比右が、ンな挑発にのるかよ」

「お願いしますよ。

 今度、彼氏が一週間の休暇をとるんで、どっか二人で旅行に行きたいじゃないですか。

 そのための旅費がいるんです。

「他人の不幸をダシに幸福を食べるって」

「よくある話ですよ」

「だからって正義じゃないわ」

 そういうと比右はカルマを吸っていた。

「あたしに信じてもらうには、それなりの覚悟を見せて欲しいわね」

「覚悟って?

「たとえば身近にある些細なことでいいよ。

 自分は他人とは違うってものが見たいものね。

 つまり・・・」

「特技ですか?

 あたし酒は強いです」

「試してみるかい?」

「もち、望むところです」

 ・・・

 ・・・

 ・・・

「なるほど、強いね」

 ウィスキー、ジン、ロック、ドンペリ、カクテル全種、種々雑多に様々と呑んだことを彼女は褒めていたのだが、褒められた方は、その実感がなさそうだった。

 一緒に同じ量のアルコールを呑んでいた比右はシャンとしているが、ジャーナリストの女は呂律がまわらず伏してしまった。

「何者よ、あんた」

「知ってるでしょ。

 紫苑比右だよ」

「普通なら、こんな量呑まないわ」

「お酒は嗜む程度が最適なのよ」

「あんたがいっていいセリフじゃないわ」

「さぁな。

 脩、送ってやんな」

「あんた、いつから酒が強くてなったんだ」

「そもそも酔えない体なのよ。

 だから教えてあげるけど、酒に酔えるだけ幸せだなのよ。

 あなたたちはね」

「そうか」

「介抱してやんな」

「邪魔だから連れて帰れと聞こえるが」

「勝手に解釈すればいいじゃないさ」

「まぁ、いっか」

 そういうと俺は女を背負って店を出た。


 ・・・

「そっ、そこを曲がるの」

「意識はあんのか」

「あるよーな、ないよーな。

 マジ吐きそ」

「眠っちまえ」

「じゃぁ、揺らさないでよ。

 快適じゃないとね」

「近くのホテルにでも入るか」

「コールガールと勘違いしていない?

 恋人のいる男が言う話じゃないわ。

 それにあたし、結婚するんだよ、

「知るかよ」

「ついたわ。

 そこよ」

「何処だよ」

「何処まで行きたい?」

「地獄かな」

「バカ。

 ついたから此処がゴールよ。

 あたし、此処で妹と一緒に住んでんだ」

「俺も泊まっていこうか」

「絶対イヤ」

「そっか」

「降りなよ」

「無理よ。

 自分でたてなくて」

「おぶってやろうか」

「やむなくね」

「偉そうに言うなよ。

 曲がりなりにも仕方なく俺は送っているんだ」

「そのわりにはニヤついてたわよ。

 イヤらしい」

「かなり気分を害してきた。

 嫌な女だな」

「相手の態度によって演じわけているだけよ」

「俺の前では飾らない自分でいられる訳か?

 にしても、その本性は隠し通した方がいいんじゃないのか」

「あんたも、人のこと言えないくらい無礼だと思うけど」

「そっかぁ」

「気にしないでね。

 悪気で言ってんじゃないんだから」

「気にしてないよ。

 もっと無礼な奴なら知ってるだけでも五十人はリストアップできるんだからな」

「そんなにいないわよ」

「おまえには、そうかもな。

 でも、俺は一般よりは低俗な世界に生きているからな」

「そっ。

 まぁ、んな感じはするわよね」

「否定してくれよ。

 今のは謙遜ってやつなんだぜ」

「ぜんぜん」

「わかってくれたか」

「その逆よ」

「そら悲しいな」

「見てる側は笑うだけだけどね」

「喜劇か?」

「一生演じているわけにはいかない舞台よね」




 けっこー裕福な家系にあったことは、その家の造りをみれば理解できた。

「北欧のスタイルを模写しているのだと、おじいさまは言っていたわ。

 興味あるの?」

「いや、ない」

「つまんない男ね」

「広い家だ」

「子供のころ両親が死んで、高校をでた頃には祖父が死んだの。祖父が資産家だったせいで不自由はなかったわ。あたしも妹も、もうひとりで生きていけるのだから」

「そっか」

「紫苑比右さんは?」

「・・・」

「あなたの恋人ではないの?」

「あいつが聞けば笑うだろうな」

「あなたは、笑わないのね」

「不器用に生きているからな。

 何に笑えるのか見当もつかなくなった」

「そんな自分に笑うといいのよ」

「そっか」

「・・・泊まっていく?」

「妹がいるんだろう?」

「もう帰っているわ。

 玄関に靴があったもの」

「じゃ、尚更・・・」

「此処にいて」

「俺といると不幸になるぞ」

「一度くらいは不幸な自分を経験してみたいものだわ」

「おまえ、名前は?」

「澪よ。

 佐伯澪っていうの」

 そういいながら、女は俺の項に手をのばしていった。

「・・・」

 そして唇を・・・

「・・・」

「よせよ。

 俺は、そんな男じゃない」

「男なんて、みんな一緒よ」

「おまえの周りは、そんなのばかりか」

「そうよ。

 あなたも例外じゃない」

「そりゃ心外だな」

・・・




 いつも憂鬱な微睡みのなかにいる。

 自分が起きているのか寝ているのかも曖昧なんだ。

 だからといって、年がら年中眠っている訳じゃない。

 むしろ日に数時間ほどしか睡眠なんて取っちゃいない。

 それが俺という生き物なんだが、昨日はちっとも眠らなかった。

 女を抱いていたからだ。

 彼女は頭痛が酷いといって別室へ。

 俺はベッドのうえで滅多に吸わない煙草をやっている。

 ・・・

 女は、なかなか帰ってこなかった。

 俺は暇をもてあまし、女の後を追って部屋を抜けだした。

 すると、女はすぐに見つかった。

 ダイニングキッチンに立ちつくしているようだった。

 俺は、彼女に声をかけた。

「おいっ、どうした?」

「・・・」

 しかし女に返答はない。

 何かに気を取られているようだった。

「どうかしたのか?」

「・・・」

 澪の肩に手をおいて、彼女が見ているものを確認すると、それは頭蓋骨まで頭の半分がえぐりとられて、ひんむいた眼がそのまま抜け落ちたような、脳みそをぶちまけた女の死体だったんだ。

 俺は宥めようと思ったが、言葉を吐きだすことができなかった。

「・・・」

 彼女が先に、俺にそのことを伝えたからだった。


「・・・妹が、ここで死んでいるのよ」

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