第3話 Top Secret

 ○


コアが破壊されたあの日。

それはまさしく世界最後の一日だった。

だが、その状況を明確に説明できる人間は今は少ない。


滅亡の道を進みゆく人類とはそういうものなのだろう。


多くの人々はなぜ死んでいくのか、なぜこうなったのかを考えることもできずに今の状況に落ち着いてしまっている。


そして、その元凶。

ウイルスの開発者・ルミニ・コナーは行方知れず。


そのウイルスを世界中に開放した三津木あやねは地下シェルターで病に犯された支倉望を救うために助けを求めて地上に現れたものの、彼女とルミニ・コナーの会話はコナーによって外部に放送されていたため、彼女の行為を知る人々たちに暴行をうけて亡くなったということにされている。


彼女は頭蓋骨を叩き割られた状態で廃墟に放り出されたのを発見されたとも。


それで物語を完結させようとした連中がいたということだろう。


しかし、当事者に責任を押しつけたとしても、人類の困難は終わらない。


一切のライフラインが一瞬で途絶えた静寂の世界。

ウイルスに感染した生物は闇に吸い込まれるように死に絶えた。


血液が沸騰しつづけて止まらず体中から煙を吹き出したり、薄紫色の血を吐いたり、体色を緑に変形させて溶け出したりと、その症状は様々だが、ウイルスに感染したものは一人のこらず変死を遂げたのだが、そのどれにも共通して言えることは、誰もが苦しんで死んだということだ。


その凄まじい惨状の中。

たすかった人類は僅か数百。


雨月博士が予測し、極秘に作動することに成功したシェルターの中で暮らしていたイーストサイドの住人だけだった。


しかも、シェルター内とはいえ、ウイルスの実質的な被害はあり、それ以前にコアにかかわったもの、あるいはコアを肉体に移植したものは、そのコアによる恩恵を受けることができなくなっていたのだ。


とはいえ何事にも例外は付きものということだろうか。


あたしは唯一、コアを自在に扱うことができている。


それは、あたしが当時ヒューイット・ヴァライアンスという男として生きていた事が関係している。


十八年前。


あたしが彼女に出会ったのは偶然だった。


「何を見てんだ?」


 問いかけると、

 その女性はあたしの方を見て、それから、


「あなたがヒューイット?

 ヒューイット・ヴァライアンスって言うんでしょ?」


「・・・」


 言葉もなかった。


あたしの眼には『奇跡の少女』というようなフレーズが浮かぶほど、一目で彼女から眼が逸らせない想いが魂の叫びとして溢れ出しそうになる。


 そんな熱い想いに駆られるのを感じたからだった。


 これを一目惚れと呼ぶのだろうか。


 たしかに、これは一瞬の出来事なのだけど、誰にも愛された試しがなく、誰かを愛したこともなかったあたしが他人に心惹かれるとは、自分にとっては画期的な事だった。


 彼女の名はクスハ・マイラ。

 なぜあたしを頼ってきたのか、どうして其処にいたのかは解らない。


 彼女は紫苑比右という女性の紹介でやってきたと説明したが、当時のあたしには面識もなく、意味の解らない謎だったが、おそらく、どんな境遇であったとしても、あたしが彼女を見捨てることがなかったということは断言ができる。

 

 それほど、あたしは彼女に魅了されていたから。


 彼女は自分の事が嫌いで、自分の話を殆どしない。

 それでも紫苑比右の自慢話をよくあたしに話してくれた。


 彼女は紫苑比右を尊敬していたようで、よく彼女はあたしに似ていると話をしていた。


 だから、あたしは今、紫苑比右を名乗っているんだろうな。


 半年間の同居生活。

 彼女は二十代後半で、見た目よりかは年をとっていた。


 だから、あたしの方がどうかしていたのかもしれない。

 彼女の事を、まるで人形のように愛でるだけで、恋愛感情を一度も抱こうとしなかった。

 というより、恋愛を経験したことがないあたしは、その感情の表現に慣れていなくて、なにも言えなくて、なにもできないだけだった。


「あなたがもしも望むのなら、わたしの心は決まっているのに」


 彼女の言葉が胸に突き刺さる。


 あたしは彼女に愛されていいような人間ではなかったから。


 あたしは生活に困って、頼まれれば人を殺すことも辞さないような虫けらだった。


 とくにライト&シャドウというバーでは傭兵あがりで今は右足を失い松葉杖の店主、ダラー・プラッチフォードと、彼の妹分で女給のティンカー・ベルと親交が深かったあたしは、ふたりが影で営んでいた『やっかいごとよろず引きうけ業』を手伝っていたから、いまさら真っ当な生活を送る自信などはなかった。


 でも、そこから足を抜けたいと願う俺に反対することは誰もしない。

 むしろ幸福になってほしいとコソバユイ言葉をなげかけるだけだったのだが、それを簡単に許せないのは、やはり自分が、自分自身を許せなかったからなのかもしれない。


 でも、彼女のために変わりたいと想う気持ちが本物だから。


 彼女に気持ちを伝えようと決意したんだ。


 プレゼントを買って、ガラにはないプロポーズのセリフなんかも考えて・・・


 すべては二人の未来のために。


 だけど、それが簡単ではなくなった。


 ティンカー・ベルからの電話を受け取ったからだった。


『あなたにしかできないことなの。

 だから、世界を救ってちょうだい』


 と、

 芝居がかったセリフをリアリストの彼女から聞けるとは思わなかったあたしは、世界の破壊をふせぐため。

 もしくは、三津木あやねを救うために、あの塔の地下へと潜入していたのだった。


   ○


 その男はたぶん自分が受け入れられることがないことを解ってもいたのだと思う。

 だけど、その運命を否定したい想いの方が強かった。


「君に選べるのは一つだけだよ。

 彼の命か、それとも世界の命運か?」


 愚問だった。

 あたしは運命に従事するもの。


「さぁね」


 目前の男は、カプセルの中で眠っている支倉望の命を掌中においている。

 彼の名はルミニ・コナー。

 人の中にある衝動にゆだねた恋を理解しない男。

 だから、あたしの心が解らなかったのね。


 「君の決断ひとつで、僕たちが生きているこの、ほんのちっぽけな宇宙が破壊されるかもしれないのだよ」


「はんっ」


 あたしは、ある友人から受け渡されたシックスシューターというピストルをある装置に向けていった。


「それって命乞い?」


 その装置は一瞬で世界中の大気とコンピューターにウィルスをバラまいて、それこそ世界を、人類を破壊に導くことはコナーから聞いていた。

 彼が嘘を言っていないことは解る。 

 科学者のルミニ・コナーという男は、そういう男なのだ。


「Is not it right?」


 あたしはピストルのセーフティーをはずして、トリガーをひいた。


 ・・・

 ・・・

 ・・・


 空間が歪曲する。

 地軸に引き込まれていく。

 あたしは不乱に望のカプセルへ。

 それに届くと胸に抱きしめ、あたしはグッとカプセルに頬をおしつけた。

 あたしの眼球に投影している彼の顔、その安らかさは現実のものとは、かけはなれた、死後の世界を連想させる。


「おそれないで。

 大丈夫だよ。

 君は死ぬことはない。

 この塔の地下まではウィルスは入ってはこないんだ。

 そして、約束だ。

 その男を連れていくといい。

 君たちはアダムとイブになる。

 世界中で、君たち以外だれも生きているモノのいない世界で、孤独と絶望をおもいしるのだね」

「あんたは?」

 あたしは、彼を許してはいない。

 彼にシックスシューターを向けていった。

「僕かい?

 君に見限られ、どうやって、この窮屈な世界で生きていなければならないんだ。

 どうして、生きていることができるんだ」

「そーかい」

「君には、重荷だったんだね。

 君を愛しつづけている男が邪魔だったんだ」

「想う人を変えれば、もしくは幸せになれたかもしんないね」

「僕の決断がはやすぎたということかい?」

「繰りごとさ。

 それができないのは、あたしも解っているんだからさ。

 せめて・・・」


 あたしは彼に発砲した。


 愛しているというあたしの手で、あんたを地獄におくってやるよ。


 幸福に生きたかった。

 命を粗末に扱わなければ、それも叶う願いだったのかも知れないけれど、君は背をむけて立ち去るんだ。

 君の心に巣くう彼が、ただ一人、真実の愛情を向けられる相手だと盲信して・・・


 いや、それは僕にも同じことか・・・


亡骸を睥睨したとき、哀れむ感情なんて一切なかった。

彼は世界を破滅に追いやったのだ。

最後のトリガーを引いたのは確かに自分自身のこの手によるものなのかもしれないが、彼は自らの理想を、あたしに見て、其処に住む世界の住人にまで気をやらなかったんだ。

そして拒絶されたとき、己の命さえも省みることをしなかった。

 そして、


「わかっているわ。

 もう死んでいるんだよ」


 あたしは自分を納得させるために、その言葉を呟いていた。


 アカデミーのメッカである都市メトロクロスにあるバビロニアの塔は人類の叡智と努力の結晶であると、ある歴史学者は言っていた。

 あたしは今、その地下室にひとり、無数の無機質な壁と機械的なカプセルに阻まれて夢想することしかできず、いずれやってくるであろう死を、刻一刻と、汗ばむ掌の重圧とおなじくらいに認識していることを感じていた。


 どうせ生きのびられるわけがないだろう。

 いいや、しかし死ぬ訳にはいかないんだ。


 夕べ、わずかに耳にした祈り。

 風のせせらぎ、光の魂。

 遠ざかって近くなる、眼に見えないけど、ささやかな歌声。


 夢に想う。

 神々しい未来。

 あたしは思い描いていた。


 あたしの中にある、まだ見ぬ我が子が命として、優しさの中で自分を貫き息づいてくれる筈だということを・・・


「眼を背けてはいけない」


 もう一度、あたしは自分自身に言い聞かせた。

 無駄玉は使っていないが予備はない。

 シックスシューターには弾丸が五発、充分だとはいえないが、何もないよりはマシということだ。


 あたしは・・・


 最初から解っていたわ。

 コナーは悪党なんだもの。

 あたしのためにフェアな条件なんて提案してくる筈がない。

 望は最初から死んでいたんだよ。


 それをただ、カプセルの中で水につけておいただけ・・・


 解っていたのよ。


 彼は、もっと前に殺されていて、あたしにはどうすることもできないってね。


 それでも破滅を望んだのは、何もかもどうでもよくなったからではない。

 ただ、奴のいいなりになるのが癪だっただけ。


 そんな男が、あたしを無事に生かしておくわけがないじゃない。きっと刺客がいる筈よ。


 だから覚悟を決めなくては。

 他人を自らの手で殺めても、あたしは未来を掴まなければならないんだから。


 それは、これから産まれる子供のために。


 色々と確認しなければならないことがある。

 先ず本当にウィルスは作動したのかということ。

 あたしは科学者ではないが、多少のキー操作の経験はあるつもりだ。幾つかの機械を叩いて調べてみるが、情報と呼べるものは掴めないまま、あたしは次の思考回路を回転させる。そう、もしも本当にウィルスが作動しているというのならコナー本人の逃げ道というものはないのだろうか。いや、無かったのかもしれない。彼も、その時は死のうと考えていた節がある。


 あたしは、とにかく前へ。

 実行の中から血路を見いだすことにした。 


 君は忘れているだけさ。

 太陽はいつも近くにある。

 僕には、それが見えないんだ。

 もちろん太陽からも僕は見えない。

 僕はいつも一つ処にとどまってはいないからだ。

 

 だけど光は此処にある。

 こうして此処に届いている。

 恐怖なんていらないよ。

 君だって信じているんだろう。

 僕たち二人なら何でもできる。

 不可能なんてないってね。


 似たような研究室を三つ抜けたのに誰ともすれ違うことがなかった。そして広間。

 あたしは自動販売機で缶コーヒーを買って喉の渇きを癒して望のことを考えていた。

 彼はコナーと同僚の科学者で、ふたりは親友だったという。互いに同じ道を目指し、対等の地位につき、信頼しあっていた彼ら。

 彼らの絆を引き裂いたのは他ならぬあたしだったのかもしれない。


 だがしかし、もっと別の結果があってもよかったのではないだろうか。


 ガンッ。 


 咄嗟に地面が揺らいだので足を滑らせてしまう。自販機が倒れ込むほどの地震だったのだ。あと少しであたしの方にもたれかかってくるところだった。


 命を守ると言うことは、危機管理の問題だ。

 憂鬱な呪縛で心が乱れている人間には儘ならない。


 そういえば手紙が。

 あたしはポケットからクシャクシャになった紙切れと煙草、それにライターを取りだしていた。

 手紙は、望に会ったら渡しておいてと頼まれたものだった。

 彼はもういないけど、あたしはその手紙の内容を見ずに、ライターで燃やしている。

 あたしが見る必要のないものだった。

 彼の妹からの手紙。


 物心ついた頃から両親はいなかったし、唯一の肉親だったから、お互いに助け合って今日まで生きてきたんだよって大袈裟かな。


「ああ、そうだよ。

 バカみたい。

 あたしだって一人きりさ。

 血縁なんて解りゃしない」


 煙草を吸って独り言。

 あたしは何かにつけられている気がして仕方がない。何度も背中を振り返り、不安と焦燥で苛立っていた。


 しかし、それも無駄ではない。


 眼に見えなくても・・・

 手に掴めなくても・・・


 それは無限の宇宙意識をもってやってくるはずだと、バカなように意固地な感情が訴えてきたのだが、あまりに気を張りつめなくてもあたしは、その存在を察知することができていた。


「大丈夫?」


 陳腐だが、それ以上に妥当な言葉なんてない。


 壁に背もたれして座っている男は、あたしよりも十は若い。

金髪に翡翠色の瞳、憂いがあり潤いもあるその瞳で、彼は何かの意志をもって何者かと戦っていたのだろう。両腕がボクシンググローブのように血にまみれて腫れている。横っ腹の肉はえぐられていて、いささか骨も削り取られているようで、思わず嘔吐感に襲われて、あたしは唇に添えた手の平に少量の汚物を吐きだすが、すぐにそれを払い落とす。

臭いが不気味で気味悪く、あたしは疲労感も重なって目眩をおこすが、それを察したのか「君こそ」と、僅かに聞き取れるほどの小声で彼はあたしに聞いてきた。


「なんでも・・・」


 と、意味の解らない返事のあとに。


「問題ないわ」


 と、付け加える。

 不安を悟られたくはない気丈夫で負けず嫌いな性格だからそんなことを言ってみたが、彼も何やら意味の解らないと言った表情で、


「君は下から?

 この上には生きている人間なんて誰もいない」


 と、かすれた小声。


「生きていない人間。

 もしくは人間ではない何かがいるということ?」


 ちょっと挑発的に語尾をあげて訪ねてみると、彼は笑う。


「その通りだ」


 につづけて不明な科白。


「君が過去を今に生きているとしたら、この先の未来に光がさすことは決してないが。

 もしも君が運命を受け入れて挫折や苦悩に裏切られずに生きてきたのだとすれば、懺悔の時間などは遠の昔に終わっている。

 君は神をも凌駕する」


 と。

 そうかしら?

 人は、人を越えられない。

 肉体も思念も叡智も情熱も工作も大河も憂鬱も奇異も地位も状況も環境もすべてはMEMEX。記憶の拡大構想として判されるものだけど・・・


「あんたと哲学論争する気はないわ。

 いったい何を見てきたの?

 その手は何かを殴りつづけた傷だろうけど、それは壁みたいにゴツゴツのものじゃないんでしょうね。だって皮のはげる位置が変だもの。これってたぶん、いいえ間違いなく」

「人間を素手で相手してきたんだ」

「それも一人じゃないみたい」

「さぁな、数なんか問題じゃない。

 だが、その中に桁外れに非情な男がいた。

 いや、あいつは人間を捨てていた。

 まるで殺戮が好物の獣のように」

「つまりは神ね。

 たぶん、あんたの言葉を使うのなら」

「いいや、悪魔だ」

「あんた、カトリックの人でしょ?

 永遠の愛とかを信じるタイプ。

 自分の心に神が住んでいるとか、いつも神が見ているとか言っているような感じがするよ」

「聖書なら持っている。

 だが俺の人生で、今この場では何の役にもたちはしない」

「だったら死んでいけばいいじゃない。

 アーメンとかカーメンとか言ってそうしたらいいわ」

「慰めの言葉もしらないんだな。

 見ての通り今の俺の状態はよくないんだ。

 ショックで死ぬことだって有り得るぜ」

「それはスットボケもいいとこね。

 あんただけが不幸なわけじゃないんだよ。

 世の中にはあんたよりも不幸な人間は一杯いる。・・・いたかも? もう世界がどうなっているのかも解らないわ。どうなってるの? 見てきたんじゃないのかしら」


 息も絶え絶えの彼に何を期待してきいているのかしら。友達でもない癖に。こんな馴れ馴れしい口調でなんて、らしくない。


「さっきも言ったが・・・」

「そうね。

 誰もいないのよね。

・・・でも見てくるわ。

 自分の目で見たものしかあたし信じない奴だから」

「そうか・・・リアリストなんだな」


 と、どうでもいい言葉を背中に受け流し、無言で、あたしは先を急いだ。

 無論、戻ってくる気があるわけでもなし、彼に同情の言葉をかける気力も更々ない。

 あたしはただ、一人っきりでも生きてみたいだけ。

 それから、ほんの数秒後、背後で断末魔の叫び。あたしは咄嗟に振り向くと煙が立ち上っている。

 ちょうど彼が座っていた場所に。なんだろう? 何か焦げ臭いと嗅覚が感じている。壁に黒い炭の痕? 人体発火でもしたの? なんて嘘、彼は異常体温によって脱皮したに違いない。と、そう推測した。いや、そう認識せざるをえないのは、およそ人間とは思えない生物が天井の上に四肢を這ってへばりついていたからだ。


「これが人間ではない何かの正体ね」


 あたしはピストルで牽制しながら相手よりも目線を下にして、それを刺激しないように摺り足で逃げながら考えてみる。

 この先にはこんな連中が蠢いているのであろうことと、それが人間にとって、決して好意的とはいえないことくらいは理解しているが、それよりも優先的に、あたしの行動理念となり突き動かすものは唯一、この上にあるという空の存在だけだった。


 動転していたから気にならなかった。

 本当に、それだけなんだろうか。


 まるで虚空をまさぐる手の平は、誰にも理解されることのない夢の途中に置き去りになったまま・・・気がつくと・・・


 あたしは呼吸をとめていた。

 

 それがなんだか・・・しあわせだった。


「想えば、誰にも愛されずに生きてきたわ。

 いいえ、たぶんそうじゃない。

 そうじゃないことは解っているのよ。

 そうね、たぶんそうじゃなくて、あたしが認めていなかっただけのことなのよ。

 本当は、愛しても愛されない切なさから眼を背けて、ただ駄々をこねていただけなんだ」


 べつに独り言でなかったのは、其処に何かが潜んでいると思ったから。

 いいえ、たぶんそうじゃなくて・・・


「あたし、もう終わりなんだよね」


 そうすると、其処にいる人は、あたしの現実が此処にはないんだというような意味のことをおそらくジェスチャーで教えてくれて、だけどその素振りからは何も想像できなくて、その意味はたぶん、あたしが頭の中で勝手に描いた想像の賜にすぎないのだろうと無意味に納得していたところ。

 影法師が長く、そしてニタニタと笑っているような気がするのだ。


 あたしはまだ生きているのだろうか。

 それとも死んでいるのだろうか。

 真っ白な空間を漂っていて、自分がよく解らない。

 そういえば・・・さっき背後から飛びかかってきた何者かに、あたしは胴体を真っ二つにされてしまったような。

 だから、あたしはもう既に、死んでしまっているのかもしれない。


「おねがい。

 たすけてよ。

 あたしの命なんかどうでもいい。

 彼のためなら何だってするから」

「本当に?」

「ううん、嘘。

 だってあたし、彼と一緒じゃないと駄目だもん。

 あんたについてなんて、生きていけない。

 ひとりっきりだってそうなのよ。

 あたしはね、彼がいないと死んじゃう生き物なんだもん」


 どうしたら忘れられるのだろう?


 そうすれば楽になれるのだろうか?


「悲しいと思うのは、この体にまだ執着しているからだ。肉体を捨てれば楽になれるんだよ、君はまだ渋っているようだけど」


 そんなことはないよ。

 それにもう、そんな心配もいらないよ。

 あたしの体は半分が精神の支配から逃れたあとで、もう一つに戻れそうにない。


「あたし、やっぱ駄目だよね」

 あたしは人に会っていた。

「そっ。

 駄目かもしんないね」

「あはっ。

 やっぱ、慰めてもくんないんだ。

 あんた、そういう人なんだね」

「そういう言葉には疎くてね。

 というよりボキャブラリーが貧困なんだ。

 話していても解るだろ?

 語意なんか全然少ないし」

「そうね。

 あんたはバカだと思っているわ」

「そっ。

 まぁ、慰めを知らないのはお互い様だろ」

「そうね。

 人のことは言えないかもね」

「そんなことより雨月教授から借りてきたシックスシューターは役にたったのかな」

「ええ、そうね。

 そう言えるわね。

 なんせ世界を破壊する一撃になったんだもん、って凄いっしょ?」

「って又、んなデマを・・・

 いったい誰に吹き込まれた話やら」

「ちがうの?」

「ああ、もちろん。

 気やすめなんかじゃないぜ。いや、ここは慰めというべきかな。とにかく俺がそういった言葉が苦手なのは解っているだろう」

「ええ、そうね。

 それが唯一の慰めだわ。

 あたしの方は自業自得でしかないから、死んでも仕方がないんだけれど」

「そんな言い方しなくてもいい。

 君は充分たたかったんだ」

「ありがとう。

 ついでに一つだけ言ってもいいかなぁ。

 たぶん、最後の言葉になるとおもうんだけど」

「ああ、かまわないよ。

 どうせ今は暇だしな」

「あんたって・・・」



   ○



 息も絶え絶えの女性を抱いて、そこに色恋を感じることがない俺を、この女性が軽蔑しているのではないかと余計な妄想をしてしまったが、彼女には不要の気遣いだったのにと悩んでしまう。


「あんたって、嘘をつくのが上手なのね」


 もっと早くに駆けつけてあげられれば、彼女は死なずにすんだのかも知れないのに。


『ヒューイット???

 感傷は不要よ。

 私たちには任務があるわ』

「ああ、解っているよ」


 本当に?


 今、肉体から解き放たれた魂の叫びを感じた心地になった。


「本当に?」


 しかし、その言葉は幻聴なんかではなくパートナーのティンカー・ベル。

彼女の言葉だと気がついた。

「わかっている。

 もちろんだ」

 と、それは裏腹な科白だった。

 おまえこそ解っていない。

 組織そのものが崩壊しているかもしれない状況で、任務の遂行なんて意味はないんだ。


 じゃぁ、あんたにとって意味のあるものっていうものは、なんなの?


 残像のように脳裏に訴えかけてくる。

 まるで彼女の思念に取り憑かれてでもいるようだ。


「ヒューイット!!!」


 金切り声と同時に俺の右腕にまとわりつくティンク。


「あんた何やってんだよ」


 と怒号。

 眼を凝らすと、俺は自分自身の頭に銃口を添えていた。そしてトリガーは起こしてある。

 俺は自殺するところだったらしい。


「いや、なにも。

 だがどうやら、催眠作用か暗示みたいなものにかかっていたみたいだな。心配はない。

 亡くなった彼女も、それにかかっていたようだった。おそらく持ち物に何か」


 俺は遺留品を調べてみた。

 携帯電話に財布だけ。

 財布の中身にはカードが五枚に運転免許書が一枚。それに小銭が幾らか。札束は一枚も入っていない。


「おいっ、これ」

 俺は携帯をさしだしてティンクに聞いた。

「どうして圏外になってないんだ。

 俺のものはそうなっているのにさ」

「って、べつに気にすることでもなくないかしら。単に高性能ってだけじゃない?」

「いや、俺のとメーカーも機種も一緒だぜ。

 なにか気にならないか」

「そうね。

 言われてみれば気になるわね。

 なぜ?」

「わからないから聞いているんだ。

 それに彼女が手にしていたピストルだが、三発の弾丸を発射している。彼女は一発だけ使ったと言っていた。そして、それはおそらくウィルスの作動スイッチに向けて発射したのだと思うが、あとの二発は?」

「見えていないの?

 その通路の角に腑をえぐられた死体があるわ。きっと彼女が殺したのよ」

「いいや、あれは銃で撃たれた傷じゃない。

 わかるだろ」

「トドメの一撃って言う奴よ。

 それで銃を撃ち込んだの。

 まともな精神状態ではなかったって、あなたにだって、わかるでしょ」

「まぁな。

 それは言えてるが、それは近寄って見るとハッキリするんじゃないか」

 と、俺はティンクを促して死体を見る。

「若いな。

 二十歳やそこらだ。

 重要な任務をおった諜報員にしては若すぎる。所持品はなさそうだ。一見、白人のように見えるが断言はできないな。

 でっ、見ての通り銃弾は撃ちこまれていないようだぜ」

「じゃぁ、誰か居たのよ。

 もうひとり此処にいない誰かがね」

「だろうな。

 彼女の持ち物に何か呪術的な細工があったとすれば、彼女自身が無意識の内に壁を傷つけたりしたのかも知れないが、それもハッキリは解らない」

「だけど、わからないことばかりではないはずよ。

 私たちの任務。

 当然よね」


 当然?

 そんなことに縛られて生きることが?


「数値に縛られて生きることに意味なんてあるのか。俺たちは誰かに評価されていないと存在してはいけないのか」

「ヒュー。

 あなた何を言ってんの?」

「形式なんかに捕らわれることはない。

 絶対的なものにはさ。

 無駄だと解っていても逆らってみたくはなるもんだ」

「どういうことよ。

 まるで世界の救済でもしようって意気込みね。

まだ、世界が救われるとでも信じているの。

あの崩壊した街並みを見てきてもあなたは、まだ夢を終わらせてはいない儘なの」

「きれい事を言っているのは解っているんだ。だけどそれだけじゃない」

「もう御託は充分だわ。

 急ぎましょ」


 はやくワクチンを手に入れるために。


 抗体によって生きのびることができれば、その者たちの手によって人類は再興することができるのだと。


「正気かよ。

 今更、ふたりっきりの人類に未来を託すなんてありえないぜ。そもそも俺は・・・」


 他に愛した女がいるんだ。


「ねぇ、これ見てみてよ。

 さっきの彼女の携帯電話なんだけど、便利かなって持ってきたらほら、メールが届いたのよ」

「メールが届いたって、どういうことだ」

「少なくとも、あたしたち以外にも全滅していない人類がいるということになるわよね。

だけどこれ、変だわよ」

「んっ?」


 俺は、そのメールの中身に眼を通した。

 それには、こんな言葉が入っていた。


『空の青さを知りなさい。


 海の深さを知りなさい。


 風の暖かさを知りなさい。


 世界の広さを知りなさい。


 人の優しさに触れなさい。



 しあわせになりなさい。    


    』


 と。


「リダイアルは?

 誰かと話していた形跡は」

「ないわ。

 このメールは今届いたもの。

 送信者の名前もないわ」

「不丁寧な案内人だな。

 ・・・案内人なのか?」

「しらないわよ!!!

 とにかく死者からのメッセージでないことは確かな筈よ」

「本当に、そうなのか」

「当たり前でしょ?

 だって今とどいたメールじゃない」

「いや、俺たちが知らない間に幻を見せられていないとは言い切れないと言っているんだ」

「そんな・・・疑っていたらキリがないわ。

それに返信すればハッキリすることじゃない? 好きなんでしょ? 白黒つけるって言うことが」

「いや、もうハッキリしているさ。

 それともこれは俺の妄想なのか」


 通路に埋まりきらないほどに蠢いている肉塊が、徐々に道を埋め尽くし、どんどん押し寄せてくる。

 まるで俺たちの道をふさいでいるかのよう。だから俺は使命にかられて、こう言ったんだ。


「どちらにしろ、進まなければ道はない」

 と。

「同感ね。

 あの得体のしれない肉塊は、どうやら化け物と認識していいものらしいわね」

 二発の銃弾を撃ちこんで、その行為に意味がないと気がついたクスハは、それから逃げだそうとしているようだ。しかし、

「おそらく彼女も同じことをした筈だ。

 覚えていようといまいと、その形跡は伺える。が同時に、そんなトラップを残しておく以上、その先には何かが隠されているのではないかと考えるのは、あながち飛躍した思考とも言い切れないだろう」

「行くのね。

 私はついていかないわよ」

「もちろんだ。

 自殺行為に二人もいらない。

 おまえは命を大事にすればいい」


 その言葉を言い切るまで待ちきれず、俺は肉塊の中へと走り込む。

 黒、赤、紫に緑・・・照明の採光もあって視野が定まらないことも現実だが、足場も沼のように固定しない。それが足首から這い上がってくる。肉を締めこむ痛みを感じるのは、靴下のゴムがキツイからだと思っていたが、それが不自由な現状の理由ではないことは時間の経過によって判明する。


・・・五分。


・・・十分。


・・・十五分。


・・・三十分と。


 そして俺がもう一歩も踏み出すことが出来なくなったとき、下半身が血まみれで、綺麗に化け物に喰われたあとだった。


「とどかなかったか・・・」


 貧血で、たわいもない独り言。

 それはらしくもない弱音だった。

 しかし、それに覆い被さって聞こえる声。


「そうでもないよ。

 君はちゃんと此処まで来た。

 こんな人間は、はじめただよ。

 君は運命を乗り越えたんだ」

「それはどうも」

「お世辞ではないよ。

 君には命を捨ててまでも守りたいものがある。その覚悟は、其処に生きてきた人々に希望を与えることだろう」

「戯れ言なら間に合っているよ。

 見ての通り、俺にはもう時間がない」

「君は僕の顔を知っているね。

 そして僕が生きていたと言うことも」

「ああ、忘れたくても忘れられない顔になる。

 おまえがロイドを殺したからだ」

「かつて僕の助手をしてくれていたロイド。

 彼は優秀な科学者だった。

 他人を人体実験に巻き込みたくはないと、自ら志願して果てたのだ」

「それは都合のいい解釈をしているな。

 命を粗末に扱う夢想家にはありがちだ」

「復讐のためにやってきたのかい?

 弟のため、家族のため、そして未来や街や世界のために、そういうのかい」

「ああ。

 ヤツは俺の弟だった」


 その残像。


 彼を・・・

 博士をとめて・・・あの人は愛に飢えているだけなんだ。

 ほんのささいな悪も見逃せない、本当は優しく温かい人なんだ。だけど、誰にも認められてはいないから、孤立感によって孤独を感じているだけなんだ。

 本当は、人を殺めたりできるような人じゃないんだよ。


「ちょっと違うな。

 復讐というのならば、その言葉に異論はないが、これは俺自身の望み。

 俺の恨みをはらすためにルミニ・コナー。

 おまえには死んでもらうんだ」


自慢にもならない必死な形相ではあったが、それは目の前にいる男の嘲笑の的。

 かまいはしない。

 自分には恐れなんてない。

 死ぬことだって例外ではない。

 もとより俺は死に場所に飢えていた。

 みっともない命乞いなんて有り得ないから、毅然とした態度と、その気迫を込めて。


「汚れた世界に救いの手を・・・しかし、君の手も汚れている。洗い落とすことなどできないんだ。だから破滅は神聖な神々の手による運命だと受け入れればいい」

「わりぃな。

・・・俺は聞き分けがよくないんだ。

 輝きよりも脆いものなんて星の数ほどにもある。だが、この星もそうだとは思わない」

「死んでも未来があると夢想しているんだね」


 撃っても無駄だとは思わなかった。

 たとえ何某らの仕掛けがあるとして、その謎を解くキッカケになりさえすればいいのだから俺は・・・


「いつまでも変わらない君が、いつまでも変わらずに生きていてくれればそれだけでいいんだよ」


 涙ながらにクスハの言葉・・・


 俺が死んでもクスハがいるさ。

 そしてクスハが死んでも、何処かに誰かがいる筈さ。


俺はトリガーを引いていた。

きっと無駄にはならないから。

あらゆる祈りを未来に託して。


   ○


 あたしの体は三津木あやねとヒューイット・ヴァライアンスという二人の人間から足りてない部品を組みあわされて造られてある。

 内臓器官の殆どはコアで形成されていて、精神は意識の生きていたヒューイットがベース。

 そして三津木あやねの腹にいた当時の赤ん坊は、三津木れいらという名前で元気に生きている。どうやらあやねは、れいらを産みおとした直後に精神錯乱し、産んだことさえ忘れてしまったのだという。


 あたしを救ってくれたのはティンカー・ベルで、彼女が粉々のヒューイットとコナーとあやねと望の亡骸を運びださせたのだという。


「博士は喜んで協力してくれたわ。

 あなたには、どうしても死んで欲しくなかったから」


 と、ティンク。

 再生したあたしとの面会でそう言うと、涙ながらに縋りついた。


「気持ち悪い」


 あたしは吐き気。

 肉体が馴染まないからだとシュバルツ・ハインが説明した。

 あたしが十数年間、目覚めなかったという事を。


 そして、世界の惨状を・・・


 しかし、あたしの興味はそこにはなくて、


「クスハは?

 彼女はどうしているんだ?」


 と聞くと、ティンクは言いにくい事なんだけど、あなたもプロの暗殺者だと思っているからと彼女はあたしに、その後のクスハについて教えてくれた。


   ○


 わたしはいつも待っていたから。

 それでもずっと待っているから。


 紫苑比右という女性はわたしにとって憧れの女性。

 彼女は病魔に犯され、わたしの今後を按じながらに彼の事を教えてくれた。

 面識はなくて、ただ知っているというだけの男だけど、かならず、わたしを幸せにしようと努力してくれる。

 不器用で感情の表現は下手くそだけど、彼の行為はすべてあなたのためだけを考えてのことだからと、彼の住所へ。


 なんだろう?


 初対面だけど、すぐにわかった。


比右が言っていたのは、この人だって。


 不器用っていうのも当たっていて、わたしといるだけでも彼はいつも緊張していた。

 普段はロクでもない職業を生業にしているっていうけれど、わたしにとってはどうでもよかった。彼がホルスターを吊っている姿だって見たことあるし、どんなに悪党でも構わなかった。


 でも、そうじゃなかったのかもしれないと思ったら安堵した。


 矛盾している感情かしら。

 わたしは彼の友人だというダラー・プラッチフォードという大男の話を聞いていた。

 彼は今、ウエストサイドのメトロクロスという国に世界を救うための任務についているらしい。


「いま、イーストサイドの周りをシェルターが覆っていて、このシェルターの中まではウイルスが侵攻してはいないようなのだが、その外の状況が解らない。

 だから、ヒューイットとティンクの二人に防護服をきせて調査に向かってもらったんだが」


 と言葉に渋る。


 その様子で状況が芳しくないのが理解できた。

 だから言葉では聞きたくはないと拒否をした。


「どんなことがあっても大丈夫です。

 わたしはいつも待っていたから」


 と答えると、大男は事態は好転しないかもしれないし、わたしの幸せのためにならないとガラにもなく説得めいたことを言っていたけれど、わたしは相手にしなかった。


 わたしの幸せは、あの人のことを考えることだから、彼がいなくなっても変わらないからと、たとえそれが他人目には不幸に見えたとしても構わない。


「どんなに過酷な運命だとしても構わない。

 それでもずっと待っているから」


   ○


 予想だにできぬ不幸に直面したとき、人間は人を超えるものらしい。


 人格が変わるほどに復讐に心を塗り替えられて、善悪の判断はおろか、世界の行く末にさえも眼を向けることができなくなってしまう。


 その時のあたしがそうだった。


 クスハ・マイラは、ずっとあたしの帰りを待っていてくれたというが、彼女は見ず知らずの男に惨殺されたことを知らされた。

 容疑者の情報を握っていた地方警察のヴァイパーに接触していたあたしに彼は、容易に情報をリークしてくれていた。

 彼にはクスハと同年代の亡くなった娘がいたため、この犯行に対して許せないと義憤にかられてのことだと主張していたが、あたしにとってはどうでもよかった。

 あたしはただ、クスハの仇を討ちたかっただけだから。


 容疑者は、数年の間にある国の官僚となっていて、ヴァイパーは手出しができないと聞いていたけれど、あたしには世の中の仕組みなんてどうでもよくて、国がそいつを守るというのなら、あたしは国ごと潰してやればいいと単純に結論をだしていた。


「レインダースの死刑場でこれから処刑される囚人が笑って断罪の十三階段を上っていったんだと、そいで執行人が最後に言い残すことはないかときいたらクソッタレと毒づきやがった」


それは三年も前のあたしの事だ。

 七つの都市と三つの国を壊滅させたあと、あたしは自首して処罰を受けた。


「ふるい話だわ」


 名前を聞かれたから比右と答えた。

 そのとき初めて紫苑比右と。

 もちろんクスハの昔話で聞いていた名前だからってのと、やっぱ女の外見だから、女の名前を名のらなけらばと思ったのだが、ヒューって名前と紫を結びつけられて勝手に悪魔の遺伝子と結びつけられて、まぁ、あたしが名乗ってのことではないが。


「そいつが百万ボルトの電気椅子でも死なねぇで釈放されてんだから、くさった世の中だぜ」


彼はジンをロックで一気に呑みほした。


「んなの、いまに始まったことでもないでしょ」


唇の片端をつりあげ笑ってみせる。 



   ○



 目が覚めると、一切合切が嫌になった。

 あたしはため息。

 いつも鉛を腹に据えていて、それが重すぎるせいか、あたしには行動力というものがない。

 いや、たぶん、そうじゃなかったはずだ。

 記憶が正しければ過去に。

 そう、あたしが化物になるまえの過去には・・・


「随分、まわりくどい真似をしてくれるじゃないの」


 あたしは両手両足に枷をハメられていた。

 こんなものは容易に粉々にできるのだけれど、あたしにその意思はない。


「君には容易に会うことができないからね」


 白衣の男。

 科学者と名乗る。

 シュバルツ・ハイン。

 雨月博士の助手のひとり。

 クレスの同僚だった男という。


「ヴァイパーの死さえも想定の範疇ってこと?」

「君が彼を殺すことは予測していたよ。

 君が天邪鬼な性格だとはエイルから聞いていたし」

「それもあんたが仕向けたことかい」

 そんなことは幼子でも容易に想像ができる。


「ヴァイパーもエイルも協力者だよ。

 君を説得してくれていた」


 それにアルバートも三津木れいらもそうなのだろう。

 おもえば不自然な事は幾らもあった。


「説得?

 いったい何をさ。

 心当たりもねぇんだけれど」


 だからシラをきってしまう。

 なるほど、あたしは天邪鬼だ。


「君に世界を救ってほしいと」


 その話。

 実は予め知っていた。

雨月博士が作動させたシェルターは間に合せの試作品で完全なものではなく、いつかは機能を失い、やがては世界が闇に葬られると。

そんな噂。


「それは別に興味がないよ」

「もうすぐシェルターがもたなくなる。

 その後の世界を生き残ることができる人類は最早、君をおいて他にはいない」

「だから何さ。

 まるで興味がないんだけれど」


 あたしは不貞腐れていった。

 彼らは、あたしを屈服させていいなりにさせようとしている。

 それをあたしが察知してしまっているからそうなのだ。


「ヴァイパーの娘は、ウエストサイドで世界最後の日に結婚式をあげる予定だったが、できなかった」


 今度は人情論なのか。

 そもそも、あたしの感情には響かないが。


「世界が崩壊しちまったからね」

「未来を変えてもらいたい」

「タイムパラドックスを引き起こせってぇの」

「まぁ、だが、私の言葉ではなびかないだろう。

 だから、強制的な処置をとることにした」

「若い連中が店をメチャクチャにしてたけど、それも?」

「それもだよ。

 君を捕獲しようとしたんだ」

「ヴァイパーもねぇ」

「そもそもウイルスが蔓延しなければ世界はこうはならなかった」


 他人の尻拭いをするのは本意じゃないよ。

 たとえ身に迫る危機と理解していてもさぁ。


「なんであたしがなのさ」

「コアが君の中にしか存在しない。

 それが最も重大な理由だな」


わってるよ。

それしかないぐらいのことは。


「しらねぇって」

「君だって人間だ」

「キメラだよ」

「人間だったろ」

「そらそうさ」

「だから後悔くらいあるだろう。

 過去をやり直してみる気はないかい」

「わりぃが、後悔はしてきてないよ。

 いつでも借りは返す主義だからさ」

「では、クスハのこともそうなのか」


 そう、その名を当然言うだろう。

 誰もが、彼女の復讐のために大量殺戮をしたあたしの過去を知っているから。

 本来は、犯人を見つけ、仇をとればすむ筈なのに、そいつに味方するすべてを殺し尽くしたのだから。

 でも、それも後悔していない。

 あたしは死を決意していたんだから。


「ああ、あいつのことも含めてさ。

 んなもんダシにしねぇと、あたしを説得できねぇって、どいつもこいつも」

「ああ、だから奥の手だよ。

 それをグラウチュアとヴァイパーが果たしてくれた。

 文字通り、その命をかけて」

「なるほど。

 血液に仕掛けをしていたってことか。

 それを浴びてから、やけに意識が朦朧としていた。

 あたしを拘束するために?」

「そうでもしなければ君を捕獲することができなかった。

 これは人類の存亡をかけた正義の戦い。

 君がいなければ戦うことさえもできないのだから」

「あたしの人権を無視してまでかい」

「この際、君の人権は考慮の範疇にないよ。

 それほど世界は切迫しているのだから」

「どうしても無理だよ。

 あたしは世界もろとも滅んでしまいたい。

 ずっと、その願望をもっていたんだから。

 ただ自分で自らを葬るような、そんな勇気がなかっただけで」

「世界と一緒に心中はさせないよ」

「あたしが招いた事態じゃねぇだろ」



『でも、あなたがやるべきことなのよ』


   ○


 一次元は点、二次元は線、三次元は奥行きをもった立体で四次元とは時間を概念として含んでいるもの。

 四次元帯は、あたしという像を存在から消滅まで司っているものをいう。

 だれが?

「神様」

 Who are you?

 んなの知んない。

 んな漠然としたものに自分を委ねるなら、あたしはいつでもやってやるよ。

 それが神でも、悪魔でも。

 自分のためなら。

 此処にたったひとつの、かけがえのない、何者も気やすく触れることなど許されない、

大切なあたし自身があるんだから。

 ねぇ、わかるでしょ。


 Why am I.So great!


しかし、そんな単純なものじゃない。

 人生と、生活は。


スピア。

 それを恐怖と受け入れた。



   ○



 シュバルツも十数年を無駄に過ごしてきたわけではなく、シェルターの研究は続けていたし、Judgeの壊滅も目論んではいたのだが、ある日、過去に遡って、ウイルスをつくらせなければいいと考えた。

 過去にはカースティ・ペックハムが時空間移動を行った過去があるのだから、不可能ではないと、あたしよりも聞き分けのいい被験者を見つけ出して過去への調査に向かわせた、

 その少女の名前はルキフェル。そう自称していたらしいが、後日、シュバルツは彼女が偽名を名乗っていたことに気がついた。

 彼女の名は、アイラ・メイヤ。

 ヒューイットと三津木あやねが合成される切欠は彼女によるものだった。

 あらゆる科学者たちの叡智の結晶とまで言われていた正体のよくわからないアンドロイドらしき創造物とは言われているが、


「我々が根本的に理解していなかったのは、我々のみがコアを持つものを過去へと送り込む技術をもっていたことを彼女が利用したということだった」

「どういうことさ」

「彼女こそが十世紀も前の時代であらゆる未来を策謀して、世界の破滅を仕組んだ張本人だったのだ」

「三津木あやねと支倉望。そしてルミニ・コナーの存在さえも?」

「その出会いさえも彼女の意図したものかもしれない」

「それが十世紀もの間、シナリオ通りに動かされていたというのなら、今更どうにもならないんじゃない」

「だからこそだろ?」

「あん?」

「聞く耳を持たない君に聞かせてやりたい言葉だよ」

「それは失敬な物言いでない?」

「そうかもしれない。

でも、勝ち目のない勝負だからこそ、その絶対的な何かに抗おうとたちむかってくれる。

それが君だろ」

「かもね。

 特権を振りかざす人間が嫌いだからんなこと言ってたんだけど。

 まぁいいよ。

 あたしも退屈で壁にブツかるよりは、たとえ瓦礫で砂利まみれでも、あたしは道を進む方がなれているからさ」


 それは性に合わないんだけれどね。



   ○



スピア。

 それを恐怖と受け入れた。


 まだ彼女のことを忘れられないということが。


 彼女の屍があたしの心を吸いこんで、今もその翼に欲望という災いを封じこめている。 

 

 誰も当てにはできないから、


 誰もが信用できないから、


 孤立している自分は闇に喰い殺されていくだろう、いつか。


 きっとアイラも死を意識しているから、無力な自分が許せず憤りを感じているんだろうね。


 ・・・あたしと一緒だ。

どうしても抜け出せない孤独の殻をひき剥がそうと足掻いているんだ。



   ○



喧騒は掻き消され、視界はかすむ。

存在は削り落とされていく。この手も、足も爪先も、かかとも髪の毛も。

 この街は誰一人として救おうとはしないんだ。

 だけどみんな此処で暮らしている。

 痛みや弱さを隠して格闘しながら、朝をむかえて、闇にとりこまれ恍惚となり、そして自分をうしなって、それでも此処から出ていこうとしない貧しい子供たちが住む街の犯罪者と死刑執行人たち、

 あたしもその一部だ。

闇はふかく、夜もふかく、やはりあたしは辿りつけない。

 もう若くはないから一生たどりつけないかも、なんだけど。

 

「あなたは何も知らされていなかったのね。

 あたしはただ、降りかかってくる火の粉を振りはらっているだけだってことすらも」


 あたしの両手首には手錠の痕がある。

 罪人として捕らわれた時のものだ。


「説明なんていらない。

 どうせ聞きはしないんだから」


 千年前の人間に、あたしは名前と記憶をつくりかえられる。

 もちろん外見も、当時、存在していた人間がもっていたものと同じように。


 そして彼女のすべてを、あたしが所有するかわりに。


「あたしの記憶も消えちまうんだ」

「ある目的だけを君は心に植えつけられる。

 真相に近づけば、紫苑比右の記憶も蘇るのさ」

「そっ、少し安心したわ」

「簡単ではないかもしれないが。

 もちろん、私は君を信じている」

「自業自得だとは公表しないの?

 あんたがアイラの道標になったのよ。

 だから世界が壊された」

「その責任を君に背負わさせるのは心苦しい」

「三津木あやねは、それでも世界の破滅を選んだ。

 あたしのためにも、あいつはそんな選択肢を用意しているんじゃない。

 コナーを利用したのがアイラだというのなら」

「それでも、大丈夫だと信じている。

 人類は進化してきた生き物だから」


 その最終形態にあたしがある。

 そういうとシュバルツはあたしに高月美里という名前を教えてくれた。

 彼女の写真も。


「随分、いい女じゃないさ」

「君にふさわしい女性をさがしたのさ」


 あがいているあたし。

 それは見苦しいのかもしれないけれど、道が在るのならば歩みをとめるわけにはいかない。


 苦難も困難も受け入れる。


 その先にはケジメをつけなければならないあたしの未来があるのだから、


 屈辱に耐えることさえも何でもない。


 自分が求めている本当のもの、過去に失ったかもしんない、その気持ち。


 今も求めて・・・


Now let,s get started with・・・


・・・success stories.


 ひたむきな眼差しで投射するあたしがいる。


「そうね、

 冥土のみやげに教えてるよ。


 それはあたしが、まだ彼女を愛しているからさ」


 それはみんなにあてた言葉なの。

 あたしにかかわる人、あたしを知る人、すべてにたいして、警告の鐘を鳴らしているの。



『 ・・・Buy.new age』

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