第4話 イケナイ娘

 ドクン、ドクン。

 心臓の音が、嫌というほど耳につく。

 まだ心臓は動いているんだな、そんなことを考えながら、自身の胸元へ手を運ぶ。

 じんわりと湿気を帯びた服の感触が、指先から知覚される。

 意を決してその指先へ視線を走らせると――赤くはなかった。その代わり、全身から冷や汗が吹き出している。

「こ…これは……?」

「タマヌキノツルギ」

 問いかける俺に、白石は冷淡な声で返す。は?何を言っているんだこいつは。

「『魂抜剣たまぬきのつるぎ』安心しろ、相手の中の悪しきこころのみを斬る霊剣だ。……まあ、悪しき魂の占める割合が大きい場合、一気に魂の大部分を失う訳だからああして一時的なショック状態になるのだが」

 そう言って、白石は娘の傍で崩れ落ちる村長へ目を向ける。

 呼びかける娘にも返事をせず、ぐったりと、ただなされるがまま身体を揺すられ続ける村長の姿は、どことなく痛々しい。

「さて、さっさと片付けるか」

 青白い刀身を再び構え一歩踏み出す白石を、俺は慌てて呼び止める。

「おい、やめろ!」

「何だ?」

「あんな状態の娘さんの前で、まだ続ける気か?」

 動かぬ父親に必死で呼びかける娘を指差す。

 こちらの会話に気づいたのか、その呼びかける声がぴたりと止んだ。


 張り詰めた沈黙。

「……いいんです」

 それを破ったのは、ユリコと呼ばれる娘の、か細い声だった。

「いいんです、私が招いた事態ですから……」

「お、おい……」

 返答に窮する俺の横で、白石はスタスタとユリコに歩み寄る――手の中の剣を鞘に収めながら。

「そうだな……そうかもしれない」

 白石は机の側で立ち止まると、見上げるユリコへ、机の上の小刀を投げ渡す。

 ユリコはおぼつかない手でそれを掴むと、戸惑いの視線を白石へ向けた。

「これは……」

「だから、あなたの手でけりをつけなさい」

 そう言って白石は目線で促すと、ユリコは頷き小刀を鞘から抜き出す。

 ユリコの手の中で、青白い光が広がった。

「……お父さん、今までごめんなさい」

 大きく振りかぶると、青白い刀身を煌めかせながらそれを父親の胸に突き立てた。



「姫様、ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありません」

「いや、いいんだ。あなたが無事で良かった」

 頭を下げるユリコに、白石は微笑む。

「あ…ありがとうございます」

 感激したようにユリコは俯き、その場に暫く立ち尽くした。

 そんな様子を眺める俺に気づいたのか、やがてユリコはこちらへ歩み寄ると、耳元に口を近づけた。

「変態さんも、ありがとうございます。そして冤罪に巻き込んでしまったみたいですみません」

「お、おい…俺は変態なんかじゃ」

「『ヘンタイで何が悪い?』その言葉に、勇気づけられたんですよ?」

 そう囁くと、ユリコはニカリと笑った。

「ああ、お前も、この件に関しては無実だったな。済まない」

 そう俺に言う白石の表情は、どことなくムスッとしている。

 その時だった。背後で扉の音がしたのは。

「長老!」

「おじいちゃん!」

 ほぼ同時に発せられた二人の声に、俺も慌てて振り向く。

 そこにはいかにもな服装に身を包んだ老人が立っていた。

「おじいちゃん、いろいろとごめんなさい……」

「いや、むしろユリコにはつらい思いをさせてしまって済まなかった」

「ううん、そんなことない……。私が…私が……」

 そこでユリコはハッと思い出したかのように、小刀を長老に差し出す。

「そうだ、おじいちゃん、これ……」

「それはユリコが持っていなさい」

「でも」

「どうせこの村でそれを振るえる人間はいないんだ。それよりはユリコ、あなたがそれを持ってやりたいことをしておいで」

 孫へと向ける優しい眼差しは、どの世界でも共通か。

 その眼差しに応えるように、ユリコは白石へと近寄る。

「姫様、よろしければ私も連れて行っていただけませんか」

「いや、しかし……」

「この小刀も持って行きます。なので決して足手まといにはなりません!」

「わしからもお願いいたします、姫様」

 突然の要望に戸惑う白石に、長老も畳み掛ける。

「この村のことなら、心配はいりませぬ。その霊刀がなくとも、無事治めて参ります」

「……いいのか?ユリコさん。私はこの男を連れて行くのだぞ?」

「いえ、私は大丈夫ですよ」

 キッパリと答えるユリコに、白石は諦めたようだった。

「……わかった。じゃあ、一緒に行こう」

「ありがとうございます!」



「あのー、これは……」

 二人の女の子と共に、村を出る。久々の外の空気は、おいしい。

 しかし両手に花、と喜ぶにはあまりに悲惨な状況だ。むしろ両手に縄だ。

「いつ逃げられるか、分かったもんじゃないからな」

「ヘンタイさんですからねー」

 ユリコは囁き、ニッコリと笑う。

 いや、変態じゃねぇし。

 そう言ってもどうせ聞いてもらえないんだろう、と深く溜息をついた。

「ユリコさんのその小刀も、魂抜剣的な……?」

 手を引っ張られるまま、特に退屈なので隣を歩くユリコに話しかける。

「そうですよ、これも悪しき魂を斬るんです。まあ、姫様の剣ほど霊力は強くないんですが、それでも村で起きる犯罪を斬る程度なら基本事足りるんです」

 そういってユリコは小刀をぶんぶん振る。

 いや、可愛いんだけど、あんまりそういう物騒なものを隣で振り回さないで欲しい……。

「まあでもあなた位の数字になると、この程度の小刀では太刀打ちできませんよ」

 ユリコは小刀をしまいながら、笑みを向ける。

 あなた位の数字……?

「そういえば、人の頭に浮かんでるこの数字って何なんだ?」

 ピクリ、とユリコの動きが止まる。前を歩く白石も、歩みを止めた。

「え、えーっと、いくらヘンタイさんだからって、女性にそんなこと聞きます……?」

 え?え?そんな、モジモジしないでくれ、何か変なことを聞いたみたいじゃないか。

「いや、からかわないでくれ。真面目に知らないんだ」

「えぇー……」

 さっきまで調子の良かったユリコが、急に口ごもる。

 そこへ、白石が殺気のこもった視線を向けてきた。

「おい、お前、いい加減にしろ」

「ちょっと待ってくれ、本当に知らないんだ!俺この世界に飛ばされてきたばっかで……」

 弁明する俺に、白石は眉をひそめる。

「この世界……?そういえばお前、変なことばかり言ってるな」

「そうは言われても、知らないことは知らないんだ」

 白石は小さく溜息をつくと、面倒臭そうに口を開いた。

「……分かった分かった。お前の発言の真偽はともかく、行く先々でそんなこと聞かれたら堪らないから教えておいてやる。頭上の数字はな、変態度を表しているんだ」


「……は?」

 意味が分からなすぎて、言葉が出ない。

「え、変態度?そんなもの見えてて何の意味があるんだよ」

「何を言っている、相手が変態かどうか分からないような状況で、人と会話できる訳ないだろう。危険すぎる」

「いや、そんな変態か変態じゃないか、なんて常に人に開示して生きるような情報じゃないだろ!」

 好き好んで『私は変態です』なんて宣言しながら生きる人間がどこに居る。居たとしたら、それこそ正真正銘の変態だ。

「はぁ……。よく言うな。お前は自分の数字を自分で見たことがないのか?」

 言われてみれば、他人の数字は見えていたが、自分のは確認したことがない。

 そう思って上を見上げると、綺麗な青空が目に映った。

「馬鹿か、頭を動かしたところで数字も一緒に動くに決まってるだろ」

 呆れた口調で言いながら、白石は鏡を取り出しこちらへ向ける。

 見慣れない背景と共に映る、見慣れた自分の顔。その上に浮かぶ数字は――。

「……65535」

 文字通り、桁違いじゃないか。

「……あの、参考までに普通の人はどの程度の数字なんでしょうか」

 恐る恐る、尋ねる。

「基本的には、75。一生の中で最も高くなるといわれる思春期でも最大値は…100程度だな」

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