第9話 綱渡りの日常生活

「おっはよーございまーす!」


 精密機械を扱うように慎重に、かといって意識し過ぎず、俺は教室のドアをガラリと開ける。


「おっ! なんだよリューイチ! お前一体何処ほっつき歩いてたんだよ!」

「はっはー、ちょっと自分探しの旅にな!」


 ダチからの突っ込みを勢いで誤魔化す。

 一応ストーリーは決めてあるが、演技や記憶力に自信がある方では無い。諦める所はスパッと諦め、開き直るのが吉だ。


「はっはー、俺はてっきり話題の異世界にでも行ったのかと思ったぜ」

「はっ、俺みたいなナイスガイにお呼びがかかる訳ねぇだろ」

「まーな、お前はどっちかって言うと、リア充サイドだからな」

「なーに言ってんだ、チェリーボーイなリア充なんて居るわきゃねぇだろ」


 悪友どもはそう言って笑う。

 バカに済んなよ、俺は選択肢次第ではハーレム生活送ってたんだぞ?


「ちょっと工藤くどう君! 貴方一体何をしてたのか分かってるの!」

「うっ、委員長……」


 俺たちが馬鹿騒ぎを続けていると、クラス委員長である宮藤遥みやふじ はるかが眼鏡を光らせつつやって来た。


「いやほんとすみません、つい出来心で」

「つい、じゃないわよ! 一体どれだけ心配したと思ってるのよ!」

「えっ……心配してくださったのでしょうか」


 俺と委員長はそう仲がいい間柄では無かった筈だ、どちらかというと嫌われていると思っていたのだが。


「そっ、そんなことないわよ! 私はクラス委員長として形式上心配してただけよ!」


 攻撃色の表れだろうか、委員長は顔を真っ赤にしながら眉を吊り上げそう言った。


「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、宮藤みやふじのやつ、お前の手配書配りを毎日手伝ってたんだぜ」

「そこうるさい! 余計な事言うな!」


 委員長の秘密を暴露した末藤すえどうは、彼女にガシガシと脛を蹴られていた。


「はっはっは、けど、クラスの皆心配してたのは本当だぜ」


 地に付した末藤すえどうの代わりに、加藤かとうが落ち着いた声でそう言った。


「あーなんだ。マジごめんなさい」


 不可抗力の出来事といえ、大勢の人に心配や迷惑をかけてしまったのは事実。俺は誠心誠意頭を下げる。


「ふん! なによそんなに改まって、そんな事なら、最初からするんじゃないわよ!」

「そうそう、今度は私も連れてってぅおごろわ!」


 こりずに不用意な発言をした末藤すえどうのみぞおちに、委員長の裏拳がめり込んだ。彼女は空手の有段者だ、そんな拳を素人に振るうのは如何なものかと思うが。


 そうこうしている内に、担当の秋月あきづき先生がやってくる。

 俺は先生に促され、改めてクラスの皆に詫びた後、今日の授業が始まったのだ。


 ★


「うーん、辛い」


 一月の遅れというのはかなりのものだ。授業内容にさっぱりとついていけない。


「はっ、当たり前でしょ。貴方がほっつき歩いている間世間は待ってくれないのよ」


 委員長はそう言うなり、ドサドサとノートの山を俺の机に築き上げた。


「……これは?」

「貴方がサボっていた間の授業をまとめたものよ、感謝しなさい」

「おお! 恩に着るぜ委員長!」


 俺は委員長の手を取り――かけた所で咄嗟に手を引いた。

 今のは危なかった、ついつい勢いで彼女の手を握りつぶしてしまう所だった。


「なっ……なによ」


 俺の突飛な行動に、彼女は怪訝な顔をする。


「いや、ありがとうな、委員長」


 今度は慎重に、彼女の体を壊さないように、俺は細心の注意を払って彼女を抱きしめた。


「ひきゃ!」

「あれ?」


 今までに聞いたことのない声が委員長より発せられる。何かおかしなことをしたかな?


「ちょっちょっと! 離しなさいよこの変態!」

「あっ……あー、すまんすまん」


 ポカポカと俺の脇を殴る委員長を解放する。

 うーん、失敗した。あのコロニーでの開放的な生活が染み付いてしまっていたようだ。


 委員長は顔を真っ赤にしながら、自分の胸をかき抱いて俺から一歩距離を取る。

 いや、ホントごめんなさい。


「あーなんだ、つい癖で」

『癖で?』


 一連の奇行を見ていたクラスメイトが一斉に声を上げる。


「癖ってお前一体この一月ホントは何やってたの?」


 どよめくクラスメイト代表して、末藤すえどうがそう尋ねて来る。


「いやー、一時期外国の方にお世話になってて」


 嘘は言ってない、嘘は。

 すると末藤すえどうは何かを察したのか、眼光鋭くこう聞いて来た。


「その外人とやらは、女じゃあるまいな?」

「えーあー、まぁ女性もいたけど」

「ふざけんなてめぇ! 学校サボって外人美女と同棲生活だと!?」


 末藤すえどうは血涙を流しながら、俺の襟首を締めて来た。


「はっはっは、まぁそのあたりはご想像にお任せするよ」


 エミさん達との日々は、感謝と後悔に満ちた言葉にできない大切なものだ。

 けして取り戻すことのできない日々を、俺は胸にしまいながらそう誤魔化した。


「ふーん、そうなんだ」


 平常心を取り戻した委員長は、俺をジト目で睨みつけながら訝しげにそう言った。


「そんな不真面目な人に、私は頑張ってこのノートを準備したんだ」


 彼女はそう言ってトントンと机上のノートを叩く。


「あっ、いや、色々ありまして、マジホント許してください」


 このノートは死活品だ、出席日数がチキンレースをしている今、これ無くして俺の未来は無いとも言える。


「えー、どうしよっかなー」


 彼女はそう言って、ノートを手元に引き寄せる。


「いやいやいや」


 俺は机を壊してしまわないように、細心の注意を払いつつも、全力でそれに抵抗する。


「え?」

「ん?」


 委員長は俺を不思議そうに眺めた後、ノートから手を離して、自分の手を確認した。


「まっ、まあいいわ。委員長としてこのクラスから落第者なんて出す訳にはいかないもの。

 工藤くどう君。今度から心を入れ替えてしっかりと勉学に励みなさいよ」

「ははー、肝に銘じます」


 平身低頭。俺は委員長めがみの計らいに、心から感謝の意を述べた。


 ★


 まぁ座学はいい、座学は。授業内容についていけなくてもごく自然に振る舞える。

 問題は体育の時間だった。


「リューイチ!」

「おっおう」


 俺は末藤すえどうの鋭いパスを――


「っつ!」


 無様に弾いて取りこぼす。


「ノーーー! 何やってんだリューイチ!?」

「すまん!」


 俺が取り損ねたボールを目ざとくキャッチした加藤かとうは、華麗な足さばきでディフェンダーをスイスイ突破していき見事ゴールを決めたのだった。


 駄目だ、やはり駄目だった。

 俺が本気を出したら、サッカーボール程度紙風船のように破裂させてしまう。

 かと言って細心の注意を払って動いていては、とてもじゃないがゲームにならない。


「どしたの? 調子悪そうじゃない」


 加藤かとうの言葉に俺は曖昧な表情で頷いた。


「だよなー、お前があの程度のボールを取りこぼすなんて珍しい」

「疲れがたまってるんじゃないの?」

「そうかもな」


 疲れは確かに貯まっている。体力的にでは無く精神的に。

 力の制御がまだまだ不十分な俺は、日常生活を送る事さえ一苦労。ましてや激しい運動なんてもってのほかという訳だ。


 それからも俺はチームメイトの足を思う存分引っ張りつつ、時間が過ぎるのを待ちわびていた。

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