第12話 贖罪

 辺りは闇に包まれ、アスファルトを川のように流れる水は、自然界とは異なる美しい音を奏でる。

 雨は止むことを知らず、天からのお節介な恵みは、人々の生活に大きな影響を与える。


「……」


 加藤を守るように、荒れ狂う雨粒を傘が払っている。

 所詮はただの高校生である加藤には、頼れる知り合いもいなければ、妖怪の仕業だとかいう超常現象を信じる者もいなかった。


「そうだ……俺が何かしなくても、きっと大丈夫だ……」


 自分の心に言い聞かせるように、加藤は小さく呟く。

 すべてを投げ出したくなる気分を抑え、黙々と歩く。


「騒いだって仕方ない……」


 歩く歩幅はいつもよりも短く、その瞳は地面を見つめている。

 何とかしたいと走り回れば回るほど、自分1人だけが世界から浮き、疎外されているように感じる。


「今日は早く寝よう……」


 走り回って疲れたということもあり、加藤の頭の中は早く休みたいという一心となっていた。

 しかし、そんな思いなど吹き飛んでしまうような光景が目の前に現れる。

 それは、以前にも見た不思議な感覚に襲われる少し古びた鳥居……そして、その場所は普段ならば空き地になっているはずの場所だった。


「まさか……?」


 考えるよりも先に体が動く。

 そんな事があるとは、加藤自身思ってもいなかった。


「華月さん!!」


 目の前に広がるこじんまりとした境内と本殿、そしてその本殿にはムスッとした表情で加藤を見つめる華月の歯型があった。


「……いた! 華月さん、捜しましたよ」

「こんな可愛い少年に捜してもらえるとは、私の存在も捨てたものではないな」


 華月は一歩一歩本殿を降りる。

 その姿は相変わらず美しく、待っていたと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「これは私から人間に接触した訳ではない。人間から私に接触してきたのだ。何も問題あるまい」

「え?」

「最初の出会いと同じように、私は敢えて君のことは観察せず、適当なところに入り口を立てた。まず、その入り口に気付き、入ってくる人間などいるはずがないのだが……」


 何度も見た華月の余裕の笑みが目前に現れる。

 何も考えずに、鳥居の中に飛び込んでしまったのは、知り合いを助けたいため。

 加藤はそう納得したが、華月に向ける視線を外すことはできなかった。


「君は2度もここに迷い込んだ。理由は分からんが、これは運命なのやもしれんな」

「運命……?」

「あぁ、それとも私の事を想っていてくれたのかな?」


 そのイタズラな笑みに、加藤は目が釘付けとなる。

 目の前にいるのは間違いなく妖怪で、加藤自身もいつ襲われてもおかしくない。

 そんな状況であるにも関わらず、加藤はこの上ない安心感を覚えていた。


「ところで、そんな悲痛な顔をしていたのだ。何か嫌な事でもあったのか?」

「あっ、そうだった! 寒川が寝たまま起きないっていうんです! どういう状況か分かりますか?」

「君のお友達が? ふむ、少々奇妙な展開だな。私の予想とは少し違うな」

「どういう意味ですか?」


 顎に手を当て、いかにも考えているという雰囲気を醸し出しながら、片目で加藤を見つめる。


「君の友達が誰かにつけられていると感じたのは、深山神社の神に祟られたせいだ。御神木を折ったのだから自業自得だな」

「神様に?」

「あぁ、神といっても良いモノばかりでは無いからな」


 華月は目を細め空を見つめる。

 何か因縁がある事を察しつつ加藤も空を見つめると、そこには大きな月がコチラを見つめ返していた。


「御神木を折ったことで妖怪のつけ入る隙を与える事になった。現に深山神社の御神木は、折れた枝の断面から侵食され、黒く染まっていたからな」

「あの黒いシミは妖怪の仕業?」

「そうだ。そこに運悪く君がやってきたため、そいつに目をつけられたというわけだ」


 相当運が悪かったのだということが分かったところで、加藤は気になっていたことを尋ねる。


「俺の体っていつでも華月さんの思うままなんですか?」

「あぁ、自由自在だ」

「この間の時みたいになる感じですか?」

「あの時は食われそうだったから仕方なくな」


 華月は袖の中から饅頭を取り出し、かじり始める。

 あまりに急な事に口をパクパクさせていた加藤だが、それが自分も食べたいという合図に見えたのか、華月は加藤にも饅頭を手渡す。


「特別だ」

「あ…ありがとうございます」

「美味いだろ?」

「はいっ! そういえば、あの見渡す限りの校庭は幻覚ですか?」


 加藤は口に広がる甘さに舌鼓を打ちつつ、質問を続ける。


「あれは妖怪の領域に連れ込まれたせいだ」

「領域?」

「君は何故、妖怪が夜に行動するか分かるか?」

「え?」


 その時の華月の表情は、加藤にとって意外なものだった。

 何故なら、どこか悲しげで、ツラさが伝わってくる表情だったからだ。


「人間を油断させて襲いやすくするため?」

「残念、はずれ」

「うーん、分かりません」

「ふっ、正解は人間が怖いからだ」

「怖い?」

「その意味を知るには、遥か昔に遡らなければならない。とはいえ、君には何の得にもならない話だから、ここまでにしておこう」


 気にならなかったといえば嘘になるが、華月はこの話を切り上げたい雰囲気を醸し出していたので、加藤は追求しないことにした。


「だからこそ、人間を妖怪コチラ側に連れ込むことが、下級妖怪のする最初の一手だ。君はそれにまんまとハマったというわけだ」

「なるほど……」

「さぁ、喋っても仕方ない。動き出そう」

「え?」

「友達を助けたいのだろう?」


 加藤はその言葉に何故か心臓を鷲掴みにされたかのように、感銘を受けた。

 華月の領域に連れ込まれたのかもしれない。

 そう思いつつ、加藤は華月の顔を見つめる。

 こうして加藤は、覚悟を決めたのだった。

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