第11話 妖というもの

 今日は日曜日とあって、朝まで眠れる。

 加藤は昨日の出来事を思い出しながら、ベッドで横になる。

 昨日は妖怪に襲われ、妖怪に助けられ、陰陽師と相対した。

 恐らくこれまでの短い人生の中でも、1,2を争うほど濃い1日だっただろう。


「華月さん……良い人だと思ったのになぁ……」


 加藤の脳裏には、自分の体を利用することを楽しんでいるかのような華月の笑みが焼き付いている。

 もしかしたら、今この瞬間に憑依されて勝手なことをされるかもしれない。

 それこそ、無抵抗な母や妹に刃を向けられるかもしれない。

 そう考えるとなかなか寝付くことができなかった。


「もう昼かよ……」


 昼過ぎまでぐっすり眠った加藤は、やっとの事で起き上がり、部屋を後にする。

 1階では母親が座って、編み物をしている。

 加藤の母親は、マフラーなどを手作りで作るほど器用であり、妹は毎年そのマフラーを巻いて学校に通っている。


「まずは寒川の家に行かないと……大丈夫かな……」


 自称大妖怪である華月が、寒川には何かが取り憑いていると語っていた。

 もし本当だとするなら、もしかしたらもう食べられてしまっているかもしれない。

 加藤の不安は最高潮に達していた。


「でも、怖い……」


 ポツリと口から出た言葉は、正しく加藤の本音だった。

 何と言っても、この2日間は妖怪による襲撃を受けてばかりで、心が休まる間さえなかったのだから、仕方ない。


「駿、今日は何処かに行くの?」

「え……寒川さんの家に行ってくる」

「あら、何か約束してるの?」

「体調悪いみたいで、2日連続で休んでたから、そのお見舞いだよ」

「寒川さんの娘さんが? 大丈夫なのかしら」


 加藤の母親がそう言うのも無理はない。

 加藤の前の席の小森も言っていたように、寒川が2日連続で休むのは珍しいことなのだ。


「確かめてくるよ。行ってきます」

「気をつけてね」


 加藤は家を出ようとした時、小降りの雨が降っていることに気付く。

 この地域では、今の時期に雪が降ることは多々あるが、雨が降る事は少ない。

 雨と言えども、冬の寒さは健在で肌が痛い。

 それだけでなく、曇天の空は気分を落ち込ませ、周囲だけでなく雰囲気まで暗くさせる。


「最悪……傘なんて久し振りにさすなぁ……」


 寒川の家に向かう途中、加藤は深山神社に立ち寄る。

 そこは紛れもなく深山神社であり、銀髪で蒼い目の巫女さんは見当たらない。

 御神木には囲いがされており、折れた枝の断面にあった黒いシミは、跡形もなく消えていた。


「華月さん……」


 加藤の消え入りそうな小さな声は、目の前の御神木にさえ届かず、空気中に溶ける。

 気を取り直して、加藤は寒川の家へと向かう。


「あ!」


 加藤は思わず大きな声をあげてしまう。

 というのも、寒川の母親がちょうど家から出てくるところだったためだ。


「あの、すみません」

「あら? あなたは……加藤さん家の息子さん?」

「あっ、はい。加藤駿です。ご無沙汰してます」

「もしかして、わざわざ見舞いに来てくれたの?」

「はい。体調は悪いままなんですか?」


 しばらくの沈黙が続く。

 この沈黙は、芳しくない状況を間接的に示していた。


「あの子、ずっと寝たままで……お医者様も原案不明で分からないって……」

「え……」


 今にも泣き出しそうな声の震えを殺し、平常心を心がけようとしているのが、加藤には痛々しく思えた。

 寒川を助けたい……その思いは強いはずだった。

 しかし、加藤は成すすべもなく立ち尽くす事しか出来ない。


「せっかく来てくれたのにごめんなさいね。また目が覚めたら、遊んであげてね」

「はい……」


 寒川の家を後にした加藤は、蛍雪山へと向かう。

 初めて華月と出会った場所である蛍雪山……加藤はそこに向かうことしかできなかった。


「どうすればいいんだ……」


 蛍雪山の中へと分け入るが、正確な場所など覚えているわけもなく、鳥居を見つけることができなかった。


「頼む……助けてくれ……」


 加藤の叫びは、周囲の木々に吸収される。

 幸い、山の奥まで来たため、誰かに通報されることはない。


「俺の体を好きにしていいから、助けてくれよ……」


 加藤の悲痛な叫びは、ただただ山の中にこだまする。

 しばらく、山の中で加藤はうなだれていた。

 次の瞬間、背後に人の気配を感じる。


「よぉ、あの時の人間じゃねぇか」

「昨日の陰陽師の人……?」

「どうしたよ? こんな山奥で、首吊りでもすんのか? ハッハッハッ」

「俺は友達を助けたいんです」

「友達ぃ? ハッ、バカバカしい悩みだなぁ」


 人のことを馬鹿にする態度は、根っからの正確なのだろう。

 加藤は反応するのにも疲れ、目を伏せる。


「その友達は病気か何かなのか?」

「分からないんです。ずっと寝たきりで、起きないみたいで」

「へぇ、妖怪か?」


 陰陽師は先ほどまでの適当な返事が嘘のように、低い声で問い詰める。

 妖怪となると人が変わるということなのだろうか?


「御神木を折ってから、変なことが周りで起こるって言ってたけど……」

「御神木ぅ?」


 これまでのおちゃらけた話し方に戻る。

 これは妖怪の仕業ではないことを如実に表していた。


「助けられませんか?」

「興味ないねぇ。悪く思わないでね。他を当たりな」

「そんな……」

「妖怪絡みじゃないと、俺は動かねぇ」


 自分ではどうすることもできないという無力感だけが加藤を支配していた。


「じゃあな、ぼくぅ」


 陰陽師はこの場を後にし、再び静寂が訪れる。

 辺りは赤く染まりつつあり、もう夕方であることを示していた。

 そして、それは共に妖怪の活動する時間になることを意味していたのだった。

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