第6話 不安を伴う日常
今日は土曜日ということもあり、家で羽を休める者も多くいるだろう。
しかし、加藤の通う蛍雪高校は土曜日であれ授業はキッチリと行う。
「午前中だけとはいえ、土曜日も学校というのは面倒だ……」
目覚めは良かったが、昨日の件での疲れが溜まり、加藤はなかなか起き上がることができなかった。
鳥の囀りは、朝の訪れを知らせてくれるが、冬の寒さは怠惰を生む。
「寒っ……」
ようやく起き上がった加藤は、凍える腕を擦りながらクローゼットへと向かう。
蛍雪高校の冬服に変わってから早2か月、寒さに慣れてきた者もいるだろう。
しかし、寒さに弱い加藤は、未だにこの寒さに打ち勝つことができずにいた。
学校指定のコートを羽織り、中学から愛用しているマフラーを巻く。
「行ってきます」
台所から顔を覗かせる母親に挨拶して、加藤はいつもどおりの通路を通り高校へと向かう。
アニメや漫画の世界では、高校内で色々な出来事が起こり、読者を飽きさせない。
しかし、そんな愉快で目が離せないような出来事が起こるわけもなく、高校生活は授業と宿題だけが記憶に残る退屈な日々だ。
加藤が寒川の相談に親身なのも、心配しているのに加え、そういう非日常的な出来事として捉え、期待していたという部分もあるのだろう。
「もっと声を出さんか!」
「はいっ」
陸上部の中のマラソン一派は、自主的に朝早く集まり、近くを流れる神絵川にかかる橋を往復して戻ってくるというルートを走っている。
最後の難関が、蛍雪高校に続くこの山道で、別名心臓破りの坂だ。
暑苦しい運動部の声援に押され、走り出してしまいそうになる加藤だったが、別の意味で汗が吹き出る感覚に襲われ、顔をしかめる。
「やめてほしい……」
やっとの事で玄関まで辿り着き、靴箱を開けると見覚えのある手紙が入っていることに気付く。
加藤にとって、その手紙を見るだけで誰が差出人かを推測することは造作もないことだ。
「三木か……」
しぶしぶと手紙を広げて見ると、いつも加藤が見ているお馴染みの小さい文字が書き連ねられていた。
『放課後、1年2組で待つ!』
加藤はサッと手紙を折りたたんだかと思うと、すぐ背後に並ぶ1年生の靴箱へと移動し、慣れた手つきで三木と書かれた靴箱へと滑り込ませる。
「いや、何で俺からお前の教室に出向かにゃならんのだ」
おそらく昨日の通話の件だろうと推測するが、わざわざ会いに行くまでもないので、無視することに決めた。
こうして、時間に余裕を持って自分の教室である2年3組に到着した加藤は、真っ先に自席の後ろを確認する。
「寒川は今日も来てないのか……」
昨日の朝、寒川が休むと知ってから、実際に寒川の家まで向かった放課後までの間、先生にも確認とった加藤だったが、体調が悪いの一点張りで、詳細を得ることはできないでいた。
「本当に大丈夫なのか……」
不安を募らせる加藤だったが、今はどうすることもできない。
教室から見渡せる蛍雪市の街並みを見渡し、時間が過ぎるのを待つ。
ゲームをしている時はあっという間に過ぎ行く時間が、何故か自分だけが時間に縛り付けられたのかと思うほど、加藤には遅く感じられた。
幾度となく流れる始まりと終わりを知らせる鐘の音は、時間の流れを感じさせる。
午前授業というだけあり、意外と早く放課後の時間がやってくる。
「皆さん、気をつけて帰るように」
定年が間近に迫った田村先生の声が教室に響く。
本来の担任は、鋭い眼光で生徒を管理する女教師"立花貴美"先生だが、今日は急用があるからと副担任が代わりにホームルームを行った。
「時間にルーズとはいえ、立花先生が来ないなんて珍しいよな……」
加藤の小声を聞き、前に座る中学からの大親友"小森純"は振り返る。
「もしかしたら、寒川さんのことかもね。アイツああ見えてヤンチャで風邪なんて滅多に引かねぇってのに、2日連続で休むなんてどうかしてるぜ」
「確かに…」
「まっ、俺からすると、2日連続遅刻ギリギリだったお前ぇもどうかしてるけどな」
「てめぇ……」
一言で表すなら、小森と加藤は悪ガキ仲間といったところだろうか。
同じく昔からの馴染みである寒川については、加藤と同じくよく知っている。
「今日も家まで行ってみるつもりだ」
「いいねぇ。試験前なのに、そんな余裕のある天才は、本当に羨ましい限りだよ」
「あのな……」
定期的に行われる試験が迫り、校内は慌ただしくなる。
勉学は苦手としている加藤は、本来ならば勉強に精を出し始めなければならない時期に来ていた。
「まぁ、俺も心配だから、何か分かったらよろしくな」
それだけ言うと、小森は教室を後にする。
小森は昔から運動神経が良く、今では陸上部の次期部長候補とまで言われる人物だ。
とはいえ、人格面では優れているとは言えないので、加藤は内心陸上部の先行きに不安を感じていた。
「さて、俺も行くか……」
教室の外は真冬の寒さであると言う事実に臆し、安寧を求める体に鞭を打ち、何とか加藤は立ち上がる。
しかし、次の瞬間に何者かに肩を叩かれ、腕を拘束される。
「加藤く〜ん? 今日は日直だよ?」
日直であることを思い出した加藤は、苦笑いしながら相方である黒川美香の方を見つめる。
「ごめんなさい」
こうして加藤はしばらくの間、拘束されることになったのであった。
***
薄暗い境内に明かりが灯る。
その明かりに照らされ、白銀神社の文字が強調される。
「懐かしい匂いだ」
本殿に座る華月は、いつもと変わらない無表情で鳥居の方を見る。
鳥居から漏れ出るロウソクの明かりが、来訪者の存在を知らせていた。
「匂いでわかるものなのですか?」
境内に響く少し低めの声とは裏腹に、小柄で細身人物が境内に足を踏み入れてくる。
鳥居から現れたのは、白い装束に身を包み、首元で一度髪を結んでいる20代初めくらいの女性だ。
「何か用かな?」
「貴殿に差し入れを持って参りました」
「ほぉ、何の差し入れだ?」
華月の言葉を聞き、その女性は大きく息を吸い込み、その口から言葉を紡ぐ。
「崇仁様がお亡くなりになりました」
「崇仁? あのヤンチャ坊主か。それもまた懐かしいな」
「齢116でした。最期の時まで貴殿のお話をされておりましたよ」
「ふむ……そうか」
華月にとって、時間の流れは些細なことであり、100年という時間が過ぎていることに気付くこともなかった。
崇仁は、以前にも白銀神社を訪れたことがある要人であり、華月はよくその世話をしていた。
「それで、遺言として、コチラのものを貴方にと」
そう言うと白い装束の女は、袖に手を入れ小さな箱を取り出す。
何も知らない一般人がこの光景を見たら中性の顔立ちをした白装束の男性が、巫女さんにプロポーズしていると勘違いしたことだろう。
それくらい白装束の女性は凛々しく、蒼銀の巫女は美しい。
「なかなか凝った代物だな」
「開け方は我々も分かりません。貴方なら分かるからと教えてはくださいませんでした」
「ほぉ、開けようとしたのか?」
「少しだけですが」
ちょっとした罪悪感はあったのか、軽く咳払いし先ほどよりも小さな声で答える。
その姿を、少し口角を上げ白い装束の女性を見つめる。
「ふむ、とりあえず本殿に飾ろう」
「開けないのですか?」
「いつ開けるかは私が決める」
華月はそれだけ言うと、箱を片手に本殿に入る。
箱を持って歩く姿を、その場から動くことなく見つめていた白装束の女性に対して、華月は振り返えずに尋ねる。
「それはそうと、外は今も平和か?」
「……ええ」
ワンテンポ遅れたその返事は、境内に重い空気を漂わせる。
不意にロウソクが消えかけ、暗闇が訪れるが、消えたかのように見えたロウソクの明かりは再び息を吹き返し、周囲を照らす。
「では私はこれで」
「また来るとよい」
それだけ2人の会話は終わり、辺りは再び静寂の中に落ちて行った。
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