第5話 妖怪

 放課後となり、通学路は部活に行かない生徒たちによって埋め尽くされる。

 普段であれば、テニス部や野球部の張り上げられた声が聞こえるが、加藤はその声を聴く余裕がなかった。

 ホームルーム終了直後、可能な限り最速で教室を出たが、担任の悠長な喋り方のせいで他クラスの生徒たちに、完全に出遅れてしまった。

 全力疾走で向かう先は寒川の家だ。

 彼女の家は、蛍雪山を下りて深山神社を通り過ぎた先に存在する。


「俺の考えすぎならいいんだけど……心配だ……」


 心なしか空気が重い……そう思うのは、普段なら人通りが激しい道なのに、人っ子1人見当たらないためであろう。

 闇夜に浮かぶ光る孤島は、人々の存在を暗示しているにも関わらず、狐につままれたかのような不思議さを感じる。

 

「はぁ……はぁ……着いたぁ……」


 特に問題なく走り続けたことで、早い時間で辿り着くことができた。

 寒川の家は立派な一軒家であり、彼女の部屋は2階の端に位置している。

 周囲の家々と同じように部屋から漏れ出る明かりを見つめ、加藤はホッと一安心する。

 このまま家を訪ねても良いかとも思ったが、入院のような重症ではないため、無理に押し入らないことにした。

 正確には家まで来たのはいいが、家に入る勇気がなかったというのも大きい。

 危機的状況なら、勢いで突っ込んでいったかもしれないと加藤は自分自身を納得させる。


「とりあえず、あの巫女さんに聞いてみるか」


 ふと昨日のことを思い出した加藤は、華月に会うために深山神社に向かう。

 高校での1日が終わり、夕暮れ直後に寒川の家まで辿り着いたにも関わらず、周囲はすでに昨日よりも暗く感じた。

 その暗さは、辺りが重苦しい雰囲気に満たされていたことによるのだろう。


「深山神社……だよな……」


 自分でも何を言っているのか疑いたくなる言葉ではあるが、蒼銀の巫女"華月"のいた神社とは明らかに違う。

 やはり夢だったのか? それとも道を間違えていたのか?

 とりあえず、後ほど白銀神社について調べてみようと思いつつ、加藤は寒川が枝を折ったと言っていた御神木へと向かう。


「これか……」


 ポッキリと折れた最も太い枝が痛々しい。

 よく見てみると折れた断面は、黒いシミのようなものに侵食されており、その異様さが見て取れる。

 触れようと伸ばした手を思わず引っ込め、そのシミを見つめる。

 いくら観察しても、それ以上のことは分からないのだが、それでも立ち尽くすことしかできなかった。

 呆然と枝を見つめていた加藤は、不意に黒いシミと同じ禍々しさを背後から感じた。


「美味しそうな人間だなぁ……」

「え……」


 背後から聞こえる人間とは全く異なる不気味な声と、後頭部に感じる生暖かい感覚に身動きがとれなくなっていた。

 頭では分かってはいても体が動かない……金縛りという言葉がピッタリかもしれない。


「何だよ……これ……」

「俺ぁ、今凄く気分がいいんだぁ。舌の上で十分に転がしてから食ってやるから、安心するがいぃ」

「あ……あぁ」


 加藤は振り返ることもできず、声の主の姿を確認することもできない。

 そして、禍々しさを醸し出す化け物の言葉を理解できず、もはや加藤は思考することも忘れた人形と化していた。

 

『やれやれ仕方ないやつだ』


 どこからともなく、美しい声が響く。

 その瞬間、加藤の目前に古めかしい鳥居が現れる。

 目前というのは、まさしく目と鼻の先という表現が正しいだろう。

 聞き覚えのある声に全身の強張りが溶け、倒れ込むように鳥居をくぐる。


「逃がすと思うかぁ?」


 鳥居を抜けた後も、背後から化け物の声が耳に響く。

 今の加藤の精神状態では、この声を聴くだけで恐怖に支配されてしまうほどのトラウマだ。

 しかし、次の瞬間に辺りを支配した音は、耳をつんざくような爆音と化け物の叫び声であった。


「貴様如きの下級妖怪では、ここに入ることすらできまい」

「てめぇ……人の獲物を盗むたぁ、この恥さらしが!」

「何とでも言うが良い」


 見上げると、美しい銀髪をなびかせ、華月が仁王立ちして鳥居の方を見つめていた。

 その懐かしくも美しい顔に、加藤は安心しきってしまった。

 しばらくの後、鳥居の向こうで威嚇していた謎の化け物は姿を消し、境内には静寂が訪れていた。

 心に余裕が戻り、一連の出来事について説明してもらうため、加藤は華月へと質問し始める。


「何だったんだよ……」

「あいつは妖だ。妖怪というやつだな」

「妖怪……?」

「闇に紛れて暮らす人ならざる者といったところだな」


 華月は鳥居から目を離すことなく、加藤の疑問に答える。

 先ほどまでは気付かなかったが、華月の手にはほうきが握られていた。

 これだけ見ると、普通の巫女にしか見えないだろう。

 しかし、加藤にはただの巫女として見ることは不可能となっていた。

 というのも、いきなり目の前に鳥居が現れることも然り、蛍雪山や深山神社等に一瞬にして建物ごと移動するなど、どう考えてもおかしな現象に立て続けにあっているのだから仕方がない。


「えと……巫女って妖怪倒せたりするんですか?」

「ん?」

「えと……妖怪を倒せるのって陰陽師だと思ってたから……」

「まぁ、間違いではないな」


 華月は鳥居から視線を外し、片目を閉じながら加藤の方を見つめる。

 その温和な雰囲気は、先ほどの妖怪と相対していた時とは全く異なっていた。


「さっきの妖怪が、寒川さんをつけ狙っていた犯人……」

「ん? 寒川というには、君の友達のことか?」

「あ……はい、寒川さんっていう女の子なんだ」

「ほぉ……だが残念ながら、犯人はあやつではない」

「え……?」

「あやつはただの妖怪……君の友達を狙っているのは、また別だ。まぁ、この事象が君の友達の起こした騒ぎとは無関係ではないがな」


 それだけ言うと、華月は鳥居の方に向かい歩き始める。

 加藤がその動きに釘付けとなっていると、華月は掌を上にして、まるでバスガイドのように鳥居に視線を促す。


「とりあえず、今日は帰って休め。特別に家まで送ってやろう」


 鳥居から見える景色は、いつの間にか加藤の家の玄関に変わっていた。

 あまりのことに驚愕する加藤を他所に、華月は片目を閉じながら人差し指を口に当て呟く


「詳しくは、また後日だ」


 こうして、加藤は帰路へと着いたのであった。

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