第五話 「女と泣き出しそうな空と豪徳寺」③

「鶴は千年、亀は万年。長寿の祈念きねんはこの二つを置き、五月の空には鯉のぼり。ウサギはツキをび、財布のなかには白蛇はくじゃがら、店の前にはたぬき信楽しがらき、これは他を抜くから。狐はいけません。これを置くとたたられます」

 翡翠色の屋根と白い石柱せきちゅう欄干らんかんをもつ本堂から、右脇にある杉板で作られた作務所さむしょに向かって歩いた。三人は招き猫を探していた。そのさらに脇に、「駐車場はこちら」と書かれた看板があり、砂利道が駐車場へと向かって延びている。砂利道をふさぐように、屋根もない粗末な屋台があった。そこから声をかけられた。つられるように三人でそちらに向かった。

 屋台は横に倒した数個のトランクの上に薄い杉板をのせた粗末なものだった。杉板の上には小さなものから大きなものまで、背丈順に招き猫が並べられていた。前に立って、三人で招き猫を見ていると、「ちょっと聞いてってちょうだい。今日はニャンニャンニャン、二月二十二日で猫の日なのに、ここはこの通り、閑散かんさんとした有様。おじちゃんを助けると思って聞いてってよ」と言われた。振り向くと本堂のちょうど向かいに小さなお堂がある。こちらから見ると、お堂の逆側の側面に無数の招き猫が並んでいた。小さなお堂の向こうには、石柱がいくつも並ぶ場所がある。

 ここは代々の井伊家の墓が並んでいる。豪徳寺は井伊家と深い関わりがあり、援助を受け続けている寺だ。

 再び男を見る。男は薄青いステテコの上に、法被はっぴを着て、下はビシッと折り目のついたスラックスという出で立ちだった。パンチパーマにねじり鉢巻きを巻いていた。目は丸くて大きい、目尻が下がっている。鼻の下がぷっくりと膨らんでいて目立つ。妙に色白で右頬にシミのような大きな黒いあざがあった。

 男は口上を続けた。

 「日本全国、縁起物は数あれど、ここに取りいだします、この招き猫に勝るものはなし。さあさお嬢さん、ちょっと手に取って見てちょうだい。そこらで売ってる招き猫とどこかが違う。なんとなく本物の猫に似ているでしょ。それもそのはず」

 口上を披露しながら、片手に乗るくらいの招き猫を男はシホの手に載せた。戯画化ぎがかされた招き猫に比べると、本当の招き猫に近い造形であった。白い猫の首に赤い首輪が巻かれ、金色の鈴が付けられていた。

 シホとノリスケは楽しそうに話を聞いていた。

 「その昔、徳川とくせん時代のお話。世田谷のこの辺りは一面の田んぼが拡がる農村だった。この豪徳寺もさびれたでらだった。その和尚は、いたく猫を愛でる方で、自分の粗末な食事を分け与えて、一人と一匹なんとかその日暮らしをしていたそうな。そうして猫に言い聞かせていた。『レンよ』――この名前、仏さんの『はすうてな』から取ったらしい。『レンよ。お前仏縁を知るなら、恩返しせよ』もちろん本気じゃあない。なんにも起こらないから言えた。まあ、ジョークだね。坊さんのジョーク、冗談なのか、本気なのか、レンにもわからない。わからないはずだった」

 持っていた白いハリセンで、粗末な屋台の中央を叩く、陶器の招き猫がグラグラと揺れて、ヒヤヒヤする。

 「さてある日、素寒貧すかんぴんの破れ寺の門前がなんだか騒がしい。なんのことか確かめようと和尚が門前に出てみると、鷹狩りの一行とおぼしきお侍が、五騎、六騎、ちょうど馬から下りるところだった。お侍の一人が門前に出てきた和尚を見て、『和尚、そこなにおった猫は御寺の飼いたる猫か』と尋ねた。『はあ、さようで』恐々としながら和尚は事情を聞いた。

 要するに、レンがお侍さんたちを寺に差し招いていたということだった。面妖めんようだがちょうどいいから休息させてくれろ、と一番偉いお侍が言った。

 和尚、破れ寺でもてなすようなものもございませんが、となけなしのお茶を献じた。

 破れ寺の外で、雨がざぁ~。

 雷がビカビカビカ~。

 瞬く間に嵐のような天気、とても帰れやしない。雨宿りの無聊ぶりょうにでもと、和尚が仏様のありがた~いお話をして差し上げた。このお侍、そこまで来てやっと身許みもとを明かした。

 『我は井伊家当主直孝である。これも仏縁。これよりは深き付き合いをいたしましょうぞ』

 これより寺の運が開ける。ご存じ、井伊家は徳川家康公の御代みよに徳川四天王の一人として名をとどろかせた井伊直政を祖にもつ家系、子孫には高名な井伊直弼もいる。直弼も含めて、この寺はこれより井伊家の菩提所ぼだいしょとなった。結局和尚のジョークがわからない猫がやっちまった、不幸中の幸いね。

 さあ、そこのお兄さんも手に取ってみて、違う。寝かせては分からない。手に載せなさい。重心が前にかかっているのがわかるでしょう。これが本物の証拠。豪徳寺の招き猫はすべて右手を挙げてる。これはここが井伊家の墓所なのと関係している。武士にとって左手は不浄ふじょうなものなんですな。

 とにかく、縁起がいいこの招き猫、さあ、買った、買ったぁ!」

 ハリセンで自分のももをバン、バン、と叩く。

 楽しそうに聞いていたノリスケとシホは群がるように猫を手に取って、自分たちが買う物を決めていた。「お兄さんのが一千円、お姉さんのが三千円ね」と値段を言った途端、二人は僕を見た。納得はいかなかったが、自分の分の八百円の物を足して、支払おうとリュックのなかから財布を出そうとした。

 キャッキャと楽しそうにしていると、本堂の隣の作務所のなかから、おばちゃんがものすごい勢いで飛び出してきた。

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