第五話 「女と泣き出しそうな空と豪徳寺」①

 二月の末、風の強い日曜日だった。空は今にも泣き出しそうな厚い雲がおおっていた。

 シホはぶつぶつ言いながら、熱心にお祈りをしていた。すでに参拝を終えた僕は少しだけ下ぶくれなシホの横顔を眺めていた。豪徳寺の賽銭さいせん箱は本堂のなかにあった。拳一つがちょうど入るくらいの小窓がガラス戸の一部にしつらえてあって、その木枠をスライドさせ、お賽銭を入れるようになっていた。そして、仏式のお参りをする。

 僕は幼少時、「神様や仏様は、わざわざお願いをしなくても全部お見通しだから、念じなくてもいい」とどこかで教わった気がして、誰よりも早く参拝を終えてしまう。それにしてもシホは長い。なんという強欲なオンナなのだと呆れ、ノリスケと僕は顔を合わせる。

 二人で向後に咳払いをした。「はやくしろよ」という責めが半分、からかう気分が半分だった。それでもシホは僕たちを無視して、祈りを捧げている。やがて、ノリスケが悪戯いたずらっぽい笑顔を浮かべ、声を出さずに笑い出した。シホをよく見ると指を組んで祈っている。教会じゃないんだから。

 その様子をノリスケに身振りだけで伝えた。指の組まれた手を指さし、本堂を指さして、『どうして』というように手を広げ、肩をすくめた。本堂のなかでは寺男が掃除機をかけていた。掃除機はダイソンだった。

 意味を察したノリスケが弾けるように笑い出した。この男雄弁ではないが別に引っ込み思案ともいえない。寡黙ではあるが、腹に百万言ひゃくまんげんたぎっているわけでもない。腹にイチモツ隠し持っているという感じだ。一言で表すと捉えどころのない人物で、どこまでも腹をのぞきたくなる魅力があった。

 「うるさい」

 眉根をひそめてシホが抗議するが、下ぶくれのぷっくりしたほほが愛嬌がありすぎて僕とノリスケの更なる笑いを誘ってしまう。

 「どうして笑うの。アタシが必死なのどうしてかわかってるでしょ」と僕を睨む。どうしてコイツは世界中のすべてのものが自分の味方に付くと思っているのか。「で、アンタは誰だよ」と自分とあまり背丈の変わらないノリスケの肩を押した。バランスを崩したノリスケは、本堂の石の階段から落ちそうになった。


 昨晩のこと、ノリスケから電話があった。頻繁に会う間柄ではあったが、あまり電話で話したという記憶はない。スマホの着信画面を見ながら少々困惑した。

「――――――――――」

 かけてきて、「もしもし」と出ると、そのまま黙り込んだ。

 「なんだよ」とこちらが言う羽目になる。

 そうこっちからうながしてもノリスケはなにも言わない。

「もう切るよ」

 どうせいつものイタズラだと決め込んだ。数分待ってそう切り出すと、やっと話し始めた。

「あのう――明日なんですすケトぉ」

 なぜか声はひっくり返り、「けど」は「ケト」になっているが、どうせわざとなので、なにも気にしない体で放置した。

「女の子をぉ、紹介していただけるとぉ、聞いたんですよぉ」

 どうしてそういう話し方をするのか聞くと長くなるので放置した。

「誰から」

 どうやらエイジらしかった。

「あのね、君に紹介したいほどの女なら、僕が付き合うよ」

 と言った途端、シホの顔が頭に浮かんだ。ノリスケとシホのカレシであるケンジとは一面識もない。

 例によって、シホのお守りを引き受けてしまったのだ。例によって、泥酔したシホのカレシであるケンジに説得を受け、情にほだされた結果だった。

「紹介はできないけれど、女と遊びには行くよ」と口を滑らせてしまった。

「俺も行く、俺も行く、俺も行く・・・・・・」

 とノリスケは連呼した。

 あまりにもしつこいので、了承してしまった。なんとなくイヤな予感がした。

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