第2話「雑踏」1

 有楽町のホームに山手線が滑り込んだ。ホームに一歩踏み出すと、内外の温度差に一瞬身体が驚く。が、慣れてしまえばたいしたことはない。先日は低気圧の影響で、今年一番の寒さだったが、今日は少しぬるい。山手線を右手に見つつ、一階にある改札口に続く階段へと歩を進める。ホームから眺めると、左手にはビックカメラと国際フォーラム、右手には交通会館の建物が見える。建物の間や屋根の上は群青色に染められている。建物の際はほんのり白い。

 

 今は『逢魔が刻』である。

 

 もっともこの町はそんな情緒とは無縁であるし、四六時中『魔』と出会える町でもある。知らないうちにホームに転落防止の柵が設置されていた。

 

 冬の『逢魔が刻』なんてものは寸時に終わる。これもこの町とは無縁の闇夜が始まる。階段を降りるとすぐに銀座口があり、改札を出た。

 

 改札の右手にはこれから忘年会だという感じのサラリーマン、十人足らずが集っている。先輩が談笑するのをよそに、数人の若手が話に無関心に、熱心にスマホをいじっていた。帰りたいんだろうなと思うと少し不憫だ。マスクをした中年女性と待ち合わせていた、若いマスクをした女性が出会えた喜びからハグをしようと、両手を広げて近寄ろうとする。二人の中を割くように眼鏡をかけたサラリーマンが無表情で歩いてゆく。僕は左に曲がり集合場所に向かう。血流が悪くなることでうなじの辺りになにかが溜まり、むくんでいく感じがした。エレキバンを貼ってくればと後悔した。いつの日からかプレッシャーがかかると、首筋と肩が凝ってむくんだようになった。昨日の夜のことを思い出した。

 

 

 

 昨晩、僕はケンジの自宅に呼び出された。二人でしこたま焼酎を呑んだ。酒に溺れ、泣きそうになりながら、ケンジは僕に頼んだ。

 

 『頼むからシホについて行ってくれ』

 

 初めはイヤだと拒否していた。それもけっこう必死に。ケンジは地元の名士である、豪農の息子だ。その和風の旧家の畳の上に、ケンジは酔い潰れて仰向けに寝転んだ。右腕で目を覆いながら再び懇請した。消え入りそうな声だった。

 

 『頼むよ・・・・・・。お願いだよ・・・・・・』

 

 酔っているから繰り返すのか、繰り返すほど真剣なのか、コタツの天板に酔って突っ伏している僕には判然としなかった。ずっと拒否し続けてきたが泥酔の果ての自分の気持ちが、本当に拒否したいのかも分らなくなった。ケンジの懇願も僕の拒否もいつしか惰性になった。

 

 『分かったよ、行く行く』

 

 と適当に返事をしてしまった。そのまま二人とも落ちたのだが、ケンジの口の端が笑っていた気がする。

 

 


 風邪をひいたか、と思いながら待ち合わせの場所に向かった。右手にイトシア、交通会館が並ぶ一画だ。交通会館の前の低い並木には緑のLED、交通会館の外壁には青色のLEDが飾られ、視界が二色であふれている。行き交う人々の多くは駅に吸い込まれる帰宅する人々だが、川の中州に取り残されたように、待ち合わせといったような風情の人々が点在する。恰幅の良い男性と五十絡みの女性二人が話している。その三人の邪魔をしないように、しかも流れを妨げないようにタイミングを見計らって歩く。流れに乗る人々は皆スマホをいじっていてあぶない。

 

 待ち合わせ場所は吉野家の隣の宝くじ売り場だった。シホとナカムラは僕を見て目を丸くした。「あれケンちゃんは」。ナカムラの腰に絡まるようにして立っていたシホが尋いた。なんかムカついて、ムシしてやった。「来れないの」とナカムラが尋いてきたので「うん、急にバイトのシフトが入っちゃってさ」と答えると、「そうか」と納得した。

 

 じゃ、行こうか、とナカムラはシホの肩に手を回すとシホは腰に手を回した。僕は二人の後ろからすごすごとついて行った。こういうときにいつも思う。別に二人に妬いているわけではないが、どうしてもう一人女の子を連れてこないのか、と。

 

 二人はマリオンに向かって歩く。目的地に対して遠回りだが、なぜ遠回りするのか分らない。マリオンの下は凱旋門のようにくりぬかれていて、駅からそこへ続く道がまっすぐ伸びる。その道をゆき交う人々が交錯する。たぶん昔からあるだろう果物屋、それにマツモトキヨシ、パチンコ屋と続いている。果物屋の店主は黒いニット帽をかぶり、黒いコート、ズボンを履いていた。品物はオーソドックスだが、値段はやはり少々高い。商品を眺めながら歩くと、パチンコ屋の前に信じられないくらいの美女がサンタのコスチュームを着て立っていた。前の二人はまるで興味を示していない。

 

 マリオンの手前、まっすぐ続く道と交差する一車線の狭い道の横断歩道で、信号を無視しようとして、二人は思いきりタクシーのクラクションを浴びる。この横断歩道は意外と車の往来があり、無視すると危ない。二人の田舎者は、タクシーに向かって悪態をついた。信号が青に変わり、我々はマリオンの又の下を抜けようと歩き始めた。頭上には三十周年記念のクリスマスイルミネーションが飾られている。雪の結晶をイメージした電飾と、緑と赤のリボン飾りが浮いている。通路に視線を戻す。帰宅途中のサラリーマンや、映画を見るために人待ち顔でスマホをのぞき込んだ女性が又の下の円柱にもたれている。


 そこへ異様な身なりの男が通りかかった。

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