第2話

 拝啓 すっかりと風が冷たくなり、温もり恋しい季節が近づいて参りましたがいかがお過ごしでしょうか。君は風邪なんてあまり引かないからそこは心配ではないけれど、寒さは厳しくなるばかりです。きちんと暖かい格好で眠っている事を祈るばかりです。

 冬になると、君と街に出かけにいった事を思い出すよ。荷物持ちをしろだなんて最低な言い訳をして屋敷から連れ出した私に、君は笑って付いてきてきてくれたのが嬉しくて、あの日私は始終浮かれていた。君には気づかれてしまっていただろうか。

 あの時買った帯留め、まだ使ってくれているだろうか。食いしん坊な君だから、おまけで買ってあげたビスケットの方が記憶に残っていそうだね。もしかして、缶はまだ残してあるのかな。絵柄がかわいいとても喜んでいたから、小物入れにでもしているのだろうか。私自身で、それを確認したい。君に会って、帯留めも缶も残っていますと笑顔で聞きたい。

 君に会いたくて気が狂いそうな私だけれど、これは私に対する罰だ。

君が解雇になったのは、君に非は何もない。母に君を娶りたいと言った私を許さないでくれ。

 嗚呼、願わくば、君がこの手紙を未だ読めませんように。君に文字を教えるくらい親密な異性など、現れませんように。

私のどこにも吐き出せないくだらない未練を、君が吸い上げてしまいませんように。

 敬具


「……ビスケット!」

 小里は届いた手紙のカタカナの部分を読んで、楽しそうに声を上げた。そう、覚えている。冬の寒い日に買ってもらった帯留めと、それからビスケット。缶の絵柄が可愛くて、その缶は彰斗からの手紙をしまう大事なもの入れになっている。きっとその時のビスケットのことを言っているのだと、小里ははしゃいだ声を上げた。嬉しい。きっと憶えていてくれたんだ。と思えば思うほど彰斗の顔を見たくなる。お元気にしているだろうか。寒くなってきたし、風邪を引いてはいないかと心配だが、あの屋敷には沢山の使用人がいて、健康管理もしっかりしている。彰斗自身も自己管理が上手な人だ。きっと大丈夫だろう。

小里は読めない文章も、すっと指でなぞった。あのお忙しい彰斗様が、私の為に時間を使って手紙を書いてくれたのだと思うと、たとえこの手紙の内容がよくないものだとしても嬉しい。


「読めるように、なりたいなぁ……」


ぽつりと呟いた。学校に行くことは出来ない。仕事をしながら独学で学ぶしかない。しかし全ての文字を読めるようになるのは難しくても、少しならば読めるようになれないだろうかと小里は思案する。カタカナが使われている辺りの一文だけでも読めれば、それだけで小里は幸せだ。


「どうしたらいいんだろう。まずは本を買って……」


そう部屋で呟いていたら、小里の部屋をノックする音が聞こえた。春子だ。


「そろそろ昨日の花壇の続き、やりましょう」

「はーい」

「また、手紙が来たの?田形様から?」

「うん。……あ、そうだ!」


 そこで小里は思い出す。春子は女学校に行っていたと言っていたではないか。


「ねぇ春子さん。時間がある時だけでいいの。私に字を教えてくれないかなぁ」

「字? あ、もしかして読みたくなったのね」


 春子は小里の手元を見た。彼女の手にはいつもの封筒がある。大体二ヶ月に一度くらいの頻度で来るその手紙の内容は、春子でさえ気になって気になって仕方がないものなのだ。名門田形の家の若きご当主。まだ彼が若様だった頃、春子のいた女学校でも時折彼の名前が挙がっていた。一体どこのお嬢様が彼に嫁ぐのだろうと、噂話の的だった。そんな人から一介のメイドに手紙が届くなんて、もし女学校の元級友たちに言ったらどれだけはしゃぎ倒すことだろう。


「うん。時間が掛かっても自分で読めるようになりたいと思って。あの、本当に手が空いた時でいいんだけれど」

「いいわよ。私も内容気になるし、教えるからにはちゃんと読めるようになってよね」

「ありがとう春子さん! 」


 にっこりと笑う小里の笑顔は素朴でかわいらしいとは思うけれど、やはり田形家の当主の隣に並ぶにしては何もかもが足りない。そんな子になぜ手紙が届くのか、春子は知りたくて知りたくて仕方がなかった。何度も読んであげると申し出たのは、春子自身も内容が知りたかったからである。


「じゃあほら、早く手紙しまって。もう休憩が終わるわ」


「そうね。ありがとう」


 花壇に行きましょう!l と小里は自身の部屋に春子を残して去って行ってしまった。相変わらず、少しだけ抜けている。と少し笑って春子は小里の部屋を出ようとした時、


「……」


ビスケットの缶が、春子の目に入った。かわいらしい柄の、いつも小里が彰斗からの手紙をしまっている、あの缶だ。

春子は小里が部屋に戻ってこないことを、まず扉を薄く開けて確認した。影はおろか、足音すら聞こえない。


「…………」


そっと、春子は缶に近づいた。音を立てないよう、慎重に缶を開ける。

中には先ほど小里が持っていた手紙が封筒入って納められていた。一番上にある手紙を静かに封筒から抜き、便せんの一枚を静かに静かに開く。


「……なに、どういうことよ。これ…」


 春子は、なぜ小里が田形の家から解雇になったかを知ってしまった。なぜ結婚適齢期の田形家当主、田形彰斗が誰とも結婚をしないのかを知ってしまった。こんな小さな屋敷の、部屋の片隅で。


きっとまた、彼から小里には読めない恋文が届くのだろう。小里が読めるようになりませんようにと、自身の恋の成就は諦めたくせに、未だ彼女への執着が拭いきれない若き当主がこうして未練を綴った恋文が、何も知らない彼女へ、届くのだろう。

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目隠しの恋文 多和島かの @cannb1031

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