目隠しの恋文

多和島かの

第1話

 拝啓、風がすっかり秋らしくなり月が美しい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

秋の月を見ると、つい君を思い出します。柔らかく穏やかな、けれど眩しいくらいの笑顔で私を出迎えてくれた、君の笑顔を。

 私は、今日も変わりなく君がよく掃除してくた書斎でこうして手紙を書いております。ただ、あの頃と違って机に花壇のスミレが一輪活けられていることはなくなりました。あれは君が掃除をしてくれた時だけしてくれていたのだという事に、君がいなくなってから気が付いたよ。我ながら、恥ずかしい限りだ。

君が教えてくれた。この屋敷で、あんなにも幸福が得られる場所が存在する事を。

けれど、それももう無くなってしまった。私が手放してしまったのだから、仕方がないのだけれど。出来るならずっと君を側に置いておきたかった。ふがいない私を許して欲しい。

 嗚呼、願わくば、君がこの手紙を未だ読めませんように。君に文字を教えるくらい親密な異性など、現れませんように。

私のどこにも吐き出せないくだらない未練を、君が吸い上げてしまいませんように。

 敬具



「……読めない」

 小里(こさと)は眉間にしわを寄せながら、今し方自分宛に届いた手紙に踊る文字を睨みつけるように見た。実家がとても貧しく、弟も妹も沢山いた小里ゆえ、幼い頃から奉公に出ていた彼女は文字を読む術を学ばず生きていたのだ。文字が読めなくてもメイドの仕事をすることは出来る。親戚の更に親戚のツテを辿って、小里はとある屋敷でメイドをしていた。しかしつい先日その屋敷を解雇されてしまい、新たな屋敷でメイドの仕事を始めたばかりであった。


「……スミレ?」


 かろうじてだが、カタカナは読むことができた。買い物の時書き付けを持って行く為に、前の屋敷の執事が教えてくれたのだ。

それから、屋敷に住んでいた主人達の名前は何となくではあるが読めるように教わった。届いた手紙を分ける仕事もしていたからである。

 なので、この手紙が主人の嫡男、今は若くしてあの屋敷の当主を勤める彰斗(あきと)が書いたものということも、小里には分かっていた。封筒の裏側に『田形(たぐち)彰斗』と書かれていたからである。

 しかし内容に関しては小里には難しい漢字ばかり使われていて読むことが出来ない。かろうじて一カ所だけカタカナでかかれていたスミレという単語は拾うことはできたが、それ以外は全く理解出来なかった。


しかし、そんな読めない手紙も小里の胸を温かくするには十分だった。スミレは以前、田形の家にいた頃彰斗の書斎を掃除した時こっそり小里が活けていたものだったのだ。きっとそれに気が付いてくれたに違いない。


「彰斗様、今になって気付いてくださって、その為だけにお手紙くれたのかしら?」


 小里は首を傾げながら、その手紙をそっと小さなビスケットの缶にしまいこんだ。田形家のメイドを解雇されて以来、彰斗から読めない手紙が来るのは初めてではなかった。既にビスケットの缶の中には数通手紙が入っている。 けれどどの手紙も読めないまま、数文字のカタカナだけを読むにしか至っていなかった。

というのも、どの手紙も赤いインクで始めにこう書かれていたのだ。

『ダレニモミセテハナラナイ』

 誰にも見せてはならない。そう書かれてしまっては、元主人といえど小里は従う以外の道を知らなかった。解雇されてしまったといえど、急病で亡くなった先代の代わりに若くして武門の名門である田形家を継いだ彰斗の命令は守らなければ、守りたいと思ったのである。

 小里は二枚の便せんを丁寧に封筒に入れ直してから、使用人用にあてがわれている部屋を出た。以前の屋敷よりも狭い部屋だけれど、小里にとっては十分な広さだった。そも、屋敷の大きさも働いている使用人の人数もまるで違うのだから、当たり前なのだろう。


 今日は庭の草むしりと花壇の手入れをするよう命じられている。小里が今働かせてもらっている屋敷は田形家の遠縁の、老婦人が一人で住んでいる屋敷だった。

十一の頃から五年も奉公をしていた田形家に突如解雇され酷く悲しい思いをしたが、きっと何か粗相をしたのだろうと自分の不出来を恥じた。新しい奉公先を用意してもらえたのは、きっと長年勤めたがゆえの温情なのだろうと思い直し、今の主人には今以上に誠心誠意勤めているつもりだ。でないと、実家に仕送りが出来なくなってしまう。


「小里、また手紙が届いたの?」


そう小里に声を掛けて来たのは、小里と同じメイドの春子だった。


「うん。相変わらず書いてあること、ほとんどわからないのだけど…」


あはは、自分の浅学を恥じるように小里が笑えば、春子はひょい、と小里に向かって手を出した。


「もしよかったら手紙、読んであげましょうか?私ついこの間まで一応女学校に通っていたし、きっと読めるわ」


 まぁ、通えたのは途中までなんだけどね。と自嘲する彼女には丁寧に礼を言ってから辞退した。なぜなら彰斗はこの手紙を誰にも見せてはいけないと言っている。彰斗が言うのだから、小里は守らなければならない。否、守りたい。

 小里の初恋は、紛れもなく彰斗だった。歳も三つしか変わらないのに小里とは違う生き物であるように才気煥発で、才色兼備な田形家の次期当主だった彼は、小里のような末端のメイドにも大層優しくしてくれた。カタカナを読む勉強も、執事以外にこっそりと彰斗が教えてくれたり、余ったお菓子を分けてくれたりした。買い物の荷物持ちを命じられたと思ったら帯留めを買ってくれたこともあった。そんな風にしてくれる異性は、もちろん小里の周りには彰斗しかいなくて、そんな優しい彰斗には年若いメイドの誰もが恋をしていたように思う。けれど皆それを表に出すことはなかったし、小里だってそんな素振りを出すことはなかった。身分不相応も甚だしいことくらい、学のない小里でもわかることだったからだ。


「そう?気が変わったら教えてね。あの田形家の若様がメイドのあなたに送ってくる手紙なんて、私ほんの少し興味あるもの」」


「見せないよ。そういうご命令なんです」


「わかったわかった」


くすぐったそうに笑った春子と一緒に庭の草むしりをやる内に、小里は手紙の事をほんの少し忘れられた。

初恋の人から、たとえ内容がわからなくても手紙がくるなんて。彰斗様は何がしたいのでしょう。と憤りたくなるような気持ちも仕事に没頭してるする事で庭の雑草と一緒に小里の心の中から引っこ抜く事ができた。


そう、もしかしたら叱責や悪態の手紙である可能性だってある。突如彰斗の母である大奥方より解雇を告げられた小里に対する非難が綴ってあるのだとしたら、悲しくて辛いだけだ。

 いいえ。と小里は首を振って悪い考えを頭から消し去った。彰斗様はスミレの事を書いてくださった。あれが私の用意したものだと気が付いてくださったに違いない。と、前向きに考える。ビスケットの缶の中身は、彰斗の温情だが入っているのだと、小里は信じて疑わなかったのである。

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