3:進み、抗い
それは、まさに地獄のごとくであったと、後に人々は口にする。
であるがそんな破壊の叫喚を遠くに、浜辺は穏やかな波の音が囁き歌う。
宵に滑り落ちようとしている、物音もない本所海岸。
海開きを今や遅しと待ち構えていた平和な砂浜は、しかし剣呑に、三つの揚陸艇が乗りつけ口を開け放っている始末だった。
戦場の入り口にあって、であるが身に纏う装いは静寂である。
サニーデイズ・アセンツが攻略用拠点として設営したのは、四つ足のテント一つきりであるため。
用途別の機材も、巨大な発電機も、それら繋ぐ煩雑なコード類も、運用を担うオペレータも。
何一つとして不用である。
ただ一人。
指揮官である、ミス・アイテールさえその場にいれば事が足りるのだから。
※
簡易な脳外科手術による、端末との直接接続から成す『複数体の完全共感』という技術の存在が大きい。
道下宮坂商事の下部機関の独自開発成果であり、その実地試験をこなすために作られたのが悪の秘密結社『サニーデイズ・アセンツ』である。
将来的にはいわゆるPMCとしての運用も視野に入れていると聞くが、現段階の責任者たるミス・アイテールには関係のない話だ。とにかく実績と実地評価を、という曖昧な指示の中で、忠誠心と開発責任の矜持を示すだけである。
ちょっと『婚活』を混ぜ込んでいるのは役得でいいではないか。モチベーションが上がれば、全軍に伝播して、高揚すら共有できるのだから。
だから、装備の性質と個人のモチベーションで以て、単騎で指令室を担えているのだ。
「やっぱり『あの人』とグローリー・トパーズの切り離しが大きかったわね」
作戦は、遅滞なく進行している。
ところどころ、頑強な抵抗を示す地区があるものの、概ね各部隊がそれぞれの目的を順調に果たしていた。
第一部隊は国道沿いを派手に侵攻し、本所市内の戦力を誘引。
第二部隊は狭路である旧国道を進み、官公庁を中心に強襲。
第三部隊は第二部隊より分岐し、各変電所への攻撃を実施。
本所大橋での激突は一進一退となり、戦力の集中に成功している。
官公庁は第二庁舎の占拠を終了。そこを起点に、消防署、警察署、本庁への攻撃に分担し侵攻を進めている。
市内に四カ所ある変電所のうち、現在まで一つの破壊を確認してある。残るうち二つは病院施設への給電を担っているため、もとより破壊対象に入れておらず、実質折り返したところだ。
順調である。
懸念は、顎田市においてジェントル・ササキとグローリー・トパーズの拘束を任せた一団が、後者を取り逃したという連絡が入ったこと。
であるが。
「川に飛びこんで、どうにか本所までたどり着いて、その時にはもうどうしようもないくらい、タスクを進めておけばいいだけよ?」
些事であると笑えるほど、思惑のままに事態を進めているのであった。
※
本所中央警察署は、まさに地獄の渦中であった。
「岡さん! 生活安全課の私らが、こんなパンパン『撃って』いいんですか!」
「じゃあ何か? 額に穴が開くまで申請書類でも書いてろってか?」
縦列に並べたパトカーを即席のバリケードとして、突如現れた軍勢に抵抗しなければならなかった。
「機動隊と刑事課は本所大橋で、手薄な本陣が狙われたんだ。気合ぐらい入れろ」
叱咤された新指・志鶴は、鋭い目を強く歪めて手の中の自動拳銃を握り直す。
「岡さん! 志鶴ちゃんを刺激しちゃだめだ! 目を見ながらゆっくり下がって!」
「怒りで拳銃を握り潰されちゃ叶いませんぜ! 握力ゴリラなんだから!」
「それより、ドラミングなんか始めちまったら、俺らじゃもう……!」
怒りのあまり、ヤジを飛ばす同僚らに拳銃を投げつけてやる。
全員が笑いながら頭を低くし、落ちた拳銃はそのうちの一人が拾い上げる。
「おいこら。備品だぞ、ちゃんと扱え」
「くそ、覚えとけよ……!」
毒づきながら、余分を納めるケージの中から一丁を手にし直す。
署内から搔き集めた、主力のおこぼれである。
それでも、地方警察には過剰な戦力であるが、
「小銃が相手じゃあ分が悪いぜ」
岡の言う通り、相手は装甲を纏い、小銃で武装。
数は十人程度であり、三十人からなるこちらの抵抗に手をこまねく程度ではある。が、それは膠着を招くだけであり、打破の糸口はこれっぽっちも見えやしない。
皆が、人生で初めての銃撃戦に脳内物質を溢れさせながら、口々に善後策を練り上げていく。
「弾が切れるのが先か、向こうの増援が裏口を突破するのが先ですね、これじゃあ」
「いっそ揃って脱出して、どこかに合流するのはどうです?」
「賢い意見だな。けど、賢いだけでバカ野郎の言葉だ」
家を棄てて、帰ってくる奴らを見捨てて、どこへ行くというのか。
皆、見据える場所を一つとし、トリガーを引き続ける。
「……くそ。いっそ、飛び出してかく乱してきますか?」
新指・志鶴は、元は魔法少女『イーグル・バレット』であり、今なおその力を身に潜めている。
けれども、
「やめておけ。ジェントル・ササキもいないんだ」
事情を知っている上司より、暗に力不足と諭される。
わかっている。
自分の力が、どれほどに劣化しているかなんて。
あの頃のような『ドキドキ』も『キラキラ』も、過ぎていく日々のやすりのような『出来事』たちのせいで、胸の片隅で肩身を狭くしているのだから。
その力を、外から強制的に強化してくれる魔法使いが近くにいたなら、やりようもあるけれど。
でなければ、もしくは。
彼が、あの人がいてくれれば、まだしも。
嘆息し、
「あいつら、まじか……!」
「ミナト工業の時も使ったらしいしな!」
同僚の緊迫に顔を上げる。
目に入るのは、柵向こうで何かを肩に担ぐ戦闘員の姿。
同時、その担いだ筒が、尻から火を噴いた。
志鶴は目を疑う。
それは、車両の破壊を目論む『兵器』であったから。
よもや、照準が自分に合わさることなど、想像もしていない代物であったから。
だから叫ぶ。
「ロケットランチャー⁉」
驚愕と怖れと。
覚悟にと。
※
知識としては知っていった。全国で見れば、過去に犯罪に使用されたことがあり、新人研修の折に実物をも目にしていた。
であるが、正に真正面にて、威を以て迫る日がこようとは。
命中すれば、バリケードである車列は一瞬で瓦解。その陰に隠れる自分たちも無傷ではすむまい。万が一、十全な状態で切り抜けたとしても、今度は小銃を遮蔽なしに相手取ることになる。
つまり、着弾は許されない。
だから、志鶴は。
かつて、直情で失敗を積み重ねた魔法少女は、身を乗り出す。
この身で受け止めるべきだ。
塵の如くしか残っていない、在りし日の『キラキラ』を搔き集めて。
魔法の力で、この身で、皆を守るべきであると。
歯を剥き、噴き出す汗を舞わせ。
瞬きの後に残る、自らの身体のことなど意に介さず。
であるが、だ。
「イーグル・バレット。ここは私に任せて」
優しく、それでいて加齢でわずかに掠れる、温かい声が。
力強く、それでいてこちらを気遣う、大きな手の平が。
夏の宵に吹く涼風のように、志鶴の逸りを受け止めてくれるのだった。
※
直線で、車列を破壊せしめんと迫るロケット弾が。
突然に、その軌道を垂直へ変えた。
九〇度曲げられた進行方向により、ロケット推進は真下に吹くことに。
結果、煌びやかさに欠ける打ち上げ花火となり、その破片がバラまかれる。
志鶴は、頬を打つ欠片など意に介さない。
なぜなら、爆風に白ベストをたなびかせるのは、
「本荘市最強の魔法使いだ……!」
「生ける伝説が増援に来てくれたぞ!」
「勝てる! いや、勝ったな! 鳥桂に予約入れとけ!」
変わらない柔和な微笑みは、間違いなく、
「ウェル・ラース!」
憧れて、焦がれて、吹っ切れた相手。
あの日々の『キラキラ』と『ドキドキ』を詰め込んだ、大切な元相棒の後ろ姿なのだから。
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