2:滞る戦火に彼は願う

 大型トレーラーの横転事故の発生によって、顎田市と本所市を繋ぐ主要道路は不通。

 解決の目が見えぬまま、いたずらに渋滞の列が長引いていく。

 その最中。

 顎田市街中心部から脱出せしめた橋梁の中ほどで、

「まいったな。迂回するにも……」

「脱出もままならないわね、これじゃあ」

 彰示と桐華は、完全な足止めを食っていた。

 水路の先に広がる日本海を染める西日は、間もなく水面へ身を投げ出すところ。日のピークは越したものの、アスファルトは貯えた熱を逃がせず、居並ぶ車たちに煽られてゆらゆらと風景を揺らしている。

 誰もが進展の見せない地獄に苛立ちを溜めこんでいる最中だ。

「いっそのこと、歩きで駅に向かった方が早いか?」

「私たちのコモンなら、確かにそうかもね。だけど……」

「? 何か、懸念でもあるのかい」

 次善策に、けれどエースは賛成見せながら待ったをかけた。

 矛盾のある言葉に、魔法使いが疑問を投げ返せば、戻るのは確かにと頷かせる推論。

「本所への侵攻と、主幹道路の封鎖。同時に起こるなんて、偶然なのかしら」

 確かに、だ。

 加えて、査問会というトリ籠まで誘導したのも、本所市侵攻をしている組織であれば。

 めまいを覚える。

「封鎖するなら、国道だけじゃない。電車も、なんなら空路もか」

「クジラが見つかった、ですっけ? どこからの情報で、誰が見たいと言ったと思う?」

「……スポンサーか」

 悪の秘密結社『サニーデイズ・アセンツ』の母体と目される『道下宮坂商事』は、目下顎田への資本投下を行っている。もちろん、各メディアにも影響力を持つほどだとしても、疑いなどしない。

 最大戦力を戦場から切り離す算段の、なんと複層であることか。

 我知らず、眉間に力がこもる。

 と、助手席の少女が、肘でこちらをつつく。

 なにか、と顔を上げれば、

「明るいえくぼから察するに、朗報じゃないかしら?」

 運転席側の窓をノックする、青髪の巨魁が汗滴る顔で覗き込んでいた。


      ※


 給電が失われ、最低限の照明のみで指令室は照らされる。

 つまり、モニターが放つ明かりと、機器類のパイロットランプばかりだ。

 背後の事務室は、緊急招集に駆けつけた職員たちが慌ただしく作業を進めている。電力を温存するために、紙の地図を広げ、懐中電灯を並べて。

 長である龍号は、しかし腕を組み、居並ぶモニターに厳しい視線を送るのみ。

 現場を走る魔法少女らへ状況の報告と指示を出していた澪利が、そんな横顔を盗み見ながら息を溢した。

「お気持ち察します」

「そうかい? 君と同じ気持ちになれるとは、私もまだまだ若いなあ」

「現場に出られない歯痒さ……特に、今回は一人でも戦力が欲しい状況ですからね」

 おどけて誤魔化そうと図ったが、元エースの眼力は引かず。

 参った、と嘆息に肯定を含めて、両手を小さく広げて見せる。

 彼女の言う通りである。

 今までも、幾度かほぞを噛む事態に追い込まれることはあった。

 しかし、今回ばかりは状況が違う。

 すでに街を、『守るべき』を侵されているのだから。

 あちこちでアスファルトがめくりあがり、送電線が断たれ、公共機関に押し寄せられ。

 許し難い光景であり、不甲斐ない現実を突きつけられている。

「ですが、立場が『適所』から離れることを許してくれません。ええ」

 だから、

「ここが私たちの『戦場』なんです」

 倍以上も年の離れた、少女と見紛うかつての魔法少女から叱咤されて、息を持ち直す。

 自分も、まだ心に『青さ』を持ち合わせていたか、とそればかりを満足として。

「戦局は厳しいな……ササキくんのほうはどうだい?」

「携帯電話会社の基地局も占拠されたようで、不通の状況。現在、顎田支部経由で通信機にアクセスを依頼しています」

「現在地も不明。とはいえ、顎田市から出る手立てもないだろう?」

「はい。現在、鉄道は倒木のため運休。各主要道路及び高速道路も、事故の為通行止め。チャーターヘリも打診したのですが、クジラ騒ぎで航路がパンクしていると」

 残るは、小路を迂回して遠回りを選ぶか、徒歩で道路外を踏破する必要がある。

 どちらにしろ、絶望的な時間を要求されることになる。

「二人の参戦は絶望的ですね」

「とはいえ、彼ら抜きで解決できるなど楽観もできんよ」

「それはそうですが、現実的に……組合長?」

 楽観ができないのならば、手を打たなければならない。

 電話番用のメモ帳へペンを走らせると、不思議顔のオペレータに微笑んで、席を立つ。

「古い伝手に頼ろう」

「古い伝手、ですか?」

「話したことはなかったかな? 桐華くんの祖父とは馴染みでね。自宅で正月を迎えたこともある仲さ。細君のお汁粉は別格だぞ?」

 その伝手でどんな手を、とやはり疑問は晴れぬよう。

 説明は後だ。

「おおい、誰か! すまんが、今から言う住所にこれを届けてくれないか!」

 今は、この『親書』を届けてもらうことこそが先決なのだから。


      ※


「水上オートバイ?」

 ユキヒコ・インディゴがもたらしたのは、紛れもなく朗報であった。

 時速八〇キロを誇る、海上を路面とするヴィークルは、正に最適解だ。

 渋滞を横目に二本の足で走ってきたであろう彼は、輝く汗を爽やかに滴らせながらにやりと口端をあげて見せる。

「あの『絶海のリバイアサン』に相談したら『彼の為なら』と二つ返事で貸してくれたよ」

「ふふ、ジェントル・ササキは本当にモテるわね」

 かつてに、さまざまなトラブルで敵対した秘密結社『マウントキング』の頭領だ。資産家であり厭世家の、気難しい人物である。そんな彼が、自分のような新人を気に入ってくれるなんてありがたい限りだ。

 後で何か礼をしなければ、と感謝をしながら、視線は今を見据える。

「それで、物はどこに?」

「橋向こうの防砂林を抜けた海岸まで持ってきてあるよ。なんなら、橋から飛び降りてしまえば……なんだ?」

 段取りに思考を傾けていた彰示は、ユキヒコの険しい声に顔を上げる。

 橋の向こう。本所方面には、変わらず渋滞が伸びている。

 ただし、その隙間を薄緑の装甲で埋め尽くしながら。

「サニーデイズ・アセンツの戦闘員か!」

「まじかよ。こっちにも戦力を回せるほど、人員を抱えているのか」

「大がつく企業が母体だからね。ほら、後ろを見て?」

 言われ、大人二人が振り返れば、顎田市街からも同じく渋滞が浸透されている。

 群体による挟撃であった。


      ※


 渋滞に陥り身動きできない群衆は、

「な、なんだお前ら!」

「渋滞はお前らのせいか⁉」

「おい! 体を車体に擦るなよ! え、修理費くれるの? あ、はい……」

 恐れ戦き、成すすべなく邪悪の一塊が行き過ぎるのを頭低く堪えるしかない。

 彼らの眼差しが見据えるのは、ただ一点。

 悪の秘密結社頭領と魔法使いと魔法少女の三人だけ。

「仕方ないね! 俺が足止めするから、君らは橋から飛び込め!」

 インプラントにより絶大な身体能力を獲得した、ユキヒコが笑い叫ぶ。

 拳と拳を打ち鳴らせば、まるで入道雲が招いた雷鳴の如く。

 だが、とマスクを被ったササキは歯を噛む。

「駄目だ、ユキヒコさん! 秘密結社同士の衝突は禍根を残します! 特に、今回の相手はメディアにも影響力を持っているでしょう!」

「確かに、表の仕事にも影響があるかもだけどさ。じゃあ、どうするっての!」

「俺がやります! だから、グローリー・トパーズ!」

 追撃を振り切るために戦力を割り振れば、戦場に送り届けられるのは只一人。

 そして『新人の魔法使い』と『エースと呼ばれる魔法少女』の、どちらが捨て駒になるかと言われたなら決まりきっている。

 なにも実力だけでない。

 三〇才が十四才を踏み台にするなど、どれほどの羞恥心を切り刻まなければならないか。

 だから、

「君が行くんだ。エースこそが、名乗りを上げて地元を守らなければいけない」

 小さな、夏の熱に火照る両肩に手を置いて、まっすぐに伝える。

 オレンジに乱反射する大きく強い瞳が、

「……わかったわ」

 だけど、と、

「あの子は……サイネリア・ファニーはどうするの?」

 生半可な返事では許さない、と光がこもる。

 確かに、相棒は魔法少女として力不足が否めない。特に、自分が持つ処女の鼓動を早めるギフト『処女殺し』無しではなおさら。

 そんな彼女が、今まさに死地に臨んでいるはずなのだ。

 だから。

「だから、君に一つ『お願い』したいんだ」

 我が儘を。

 巻き返しの一手を。

 目を見開いて、押し通していく。


      ※


 ほどなく、顎田市外縁に走る水路へ、小さな波がたち広がった。

 橋上では追いすがらんとする戦闘員の群れを、二人の男が押しとどめている。

 絶望視されていた最強戦力の帰還が、現実になったのだ。

 奇襲じみた法外の侵攻に、地元勢力は少しずつ態勢を取り戻していく。

 振れ切っていた天秤が、僅かであるが揺り返しを見せているのだった。

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