7:どうにしろ『あなた』のために
「ジェントル・ササキをいただく?」
変声されているが良く通る声で告げられたのは、湊・桐華の眉根を寄せるに十分な、深刻かつ不快な言葉だった。
騒乱の渦中であり、であるが敷地管理人たちが避難したあとの独壇場。
避難で騒然となる外廊下を迂回して駆けつけた彼女は、奴らの舞台を廊下の角から覗き見ていた。
ひしゃげて半開きのままになったシャッターの隙間から、粉塵と熱波、そして敵の声明が溢れ出てくる。
「つまり、彼の正体を知っていてここに現れた、ということですね」
ひやりとするコンクリート壁に背を張り付けた桐華に、同行していた澪利が身を寄せて、同じく覗き込む。
危急である。
秘匿すべき『魔法使い』の身柄が、少なくとも勤務先は嗅ぎつけられているということ。
そして、一連の戦闘行為の矛先が『敬愛する彼』に向けられていたということ。
「これで、不明だった目的がある程度の輪郭を得ました」
彼を、作戦から排除するのでもなく。
状況に釘付けするわけでもなく。
「佐々木さんを手に入れることこそが目的だった、と」
とんだ大それたヘッドハンティングである。
どこに被害を出そうが、誰を犠牲にしようが、構いもせず強硬手段に出るだなんて。
「ふざけた……本当に、ふざけた話ね……!」
あぶく煮立った胸の内を、大きく吐き出す。
※
いけない、と澪利は目元に緊張を込める。
現役最強に数えられる少女が、全身の毛という毛を逆立たせているのだ
彼女のギフトが怒りに発露し、こらえ切れぬ静電気が皮膚表面を奔っていく。
「湊さん。今は堪えてください。状況が悪すぎます」
今にも飛び出しそうなエースの腕を掴み、堪忍を訴える。
確かに、敵のやりようは許容のできるものではない。
目立った戦果を挙げているとはいえ一個人を誘うのに、インフラを破壊し、一企業を攻撃するとは。
意図は理解できる。
ジェントル・ササキをこの地に留める理由を、消し去るつもりなのだ。
「現行の働き口にダメージを与え、住まう街を荒廃に誘う。それによって、彼を本所市に繋ぐしがらみを破壊するつもりなのでしょう」
「そうね。どんな条件を突きつけられようと、あの人が『この街』を離れるだなんて、想像できないわ。だから住処から、拠り所から潰そうってことでしょ」
理解をしている、だからこそ許せないのだと、少女はこちらの手を払う。
引退した身では、現役の膂力になど到底およびはしない。けれども、なお縋り、引き止めなければならない理由があるのだ。
「組合規約を……あなたを守るためのルールを破ることは、大人として許可ができません」
怒りに任せて飛び出すということは、多重に問題となる。
一つに、組合によって許諾した稼働ではない、ということ。
二つに、ここが私有敷地内である、ということ。
三つに、身元を隠すための作戦衣装ではない、ということ。
最後に、たった今明かされた敵対者の正体が、未だ組合には未登録であること。
端的に『私的な領域』にて、絶大な力を持つ個人が『独自の判断』で、身元の隠匿という『ルールを破』り、対処管轄が不明である存在に『暴力』を用いるのだ。
「いいですか。割と無茶をする『ジェントル・ササキ』ですら……いえ、大人である彼だからこそ順守している『暴力』を律する規約を破る。その意味を考えてください」
若くして全国区に上り詰めた彼女の精神活動水準は、大人に負けるものではない。だから、理を重ねれば分かってくれるはずだと、澪利は判ずる。
「先方は、ジェントル・ササキを名指しして攻撃をしており、本所組合の緊急対応は可能です。ですがあなた、湊・桐華は本来ここにいてはならない人間でしょう」
後日、上部組織に提出する報告書を作成するにあたって、整合性のない一文が紛れ込むことになるのだ。
賞と罰を比べて、後者が大きくなる。正しいことを為して『瑕疵』を作るなどという理不尽から歳幼い魔法少女を守るべく、澪利は腕を引き止めなければならない
細い喉が鳴り、言葉を詰まらせ、正論であることを認めてくる。
逆に、大半に整合性を持たせられる人間が、一人だけいる。
その身を狙われ、私有地に踏み込まれ。
その私有地に存在することに合理性を持ち。
その身元を隠す作戦衣装がフレキシブルな『当事者』であれば、
「緊急対応と正当防衛が適用することができます」
「ここはジェントル・ササキの戦場、ということかしら?」
目を光に強く濡らし、澪利は鋭く見つめ返してくる。
翻意を求め、感情がないと揶揄される瞳に、必死を込めて受け止めた。
二人の行き来を遮るよう、
「ジェントル・ササキ! 出てこないのなら、こちらから迎えにあがるわよ! 行きなさい、戦闘員の皆さん!」
本所市の牙城へ不躾に足を踏み入れた女が、目的を達せんがために動き出していた。
敵から動く、ということは『魔法使い』が自ら動けない、ということ。負傷は相当に大きいようだ。
であるが、今は彼を信じるしかないし、目の前に対処しなければならない。
少女の目が激昂に染まり、澪利の訴えから逸らされる。
「湊さん」
けれども、諦めることはできない。
最悪、他の組合規約は捨て置いても良い。
魔法少女という大人になれば脱ぎ捨てるベールだけでなく、少女個人に疵を残させるわけにはいかない。
グローリー・トパーズの正体が、湊・桐華だと特定されるわけにはいかないのだ。
組織が用意した防波堤が砕けた時に降りかかる『不作為な悪意』や『好意の形をした害意』などなどの汚れた高潮で、子供を傷つけることは許されないのだ。
だから、
「……わかったわ、静ヶ原さん」
了承の言葉に、安堵に胸を下ろせば、
「ええ。『グローリー・トパーズ』の戦場ではないわ」
けれど、弱まらない強い光に、背が舐められ寒気走る。
澪利は、その輝きを見たことがあるから。
まるで、同じ色だ。
事を決めた『彼』の、目貫穴の奥の光と。
※
「ジェントル・ササキ! 出てこないのなら、こちらから迎えにあがるわよ! 行きなさい、戦闘員の皆さん!」
いけない、と手足に力を入れる。
けれども、呼吸もままならず、筋繊維も緩んだまま。
崩れ落ちる体は、焦りに応えてはくれない。
「だ、ダメですよ、先輩! いくら頑丈だって言っても、立てないじゃないですか!」
「くそ……呼吸さえ整えられれば……!」
吸い込んだ酸素を頼りに、ガタが酷い全身を動かすことくらいはできる。
そして、今、自分に求められているのは、一刻も早く『戦場にて対峙』することなのだ。
なぜなら、こうしてまごついている間にも、状況が悪化しているはずだから。
そして最悪に至れば、もうもうと立ち昇る噴煙の向こうで、
「……⁉ 何者……なんて失礼なことは言えないわね」
大人の不甲斐なさを、彼女が埋め合わせんために立つだろう。
「ふふふ、どうしたのかしら『お姫様』? ここは子供が居て良い場所じゃなくてよ?」
そう、あの子は魔法少女だから。
誰よりも苛烈で、正しい道筋に踏み込むことを躊躇いはせず、
「ええ。湊・桐華、故あって参上よ」
己を『独善』として、後背に『咎』の及ばぬように『名乗る』だろう。
「え? え? 桐華って……さっき先輩を呼び出した、社長令嬢の……? それじゃあ、彼女ってもしかして……!」
江の救いを得たような安心の声に、けれど彰示は拳を握りしめ、うなだれる。
彼女に、子供に、その身を切らせてしまったことに。
守られてしまった不甲斐なさに。
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