7:誰も彼も『その日の為』に必死に生きていくのだ

 ジェントル・ササキによる決死の一手は、まず静かに、しかし確実に、野次馬たちの認識に染み込んでいった。

 取り囲む一人一人が、噛むように、呑むように、理解していく。咀嚼が終われば、口々に『品評』が漏れ出して、

「完全に顔、出てるじゃんかよ……」

「本所高校の学生服じゃんかよ……」

「てことは十年後も学生服かよ……」

 誰も彼も確信をする。

 胸に沸き立つ思いが、隣人と一ミリの差異もないことを。

 いずれ『来るべき時』が、いま正に訪れたのだと。


      ※


 ササキの計画は完璧のはずだった。

 初対面の幼い少女に助けてもらうという、羞恥心に栓をしなければならないことを除けば。

 人手と後継が不足している悪の秘密結社テイルケイプにとって、若い人材の確保は重畳以外に言葉は無い。

 かつ、無責任にも放置された『戦場』を取りまとめるに、居るだけで十分。加えて、初陣における活動としては『悪逆』と評せる破壊活動、という『箔』もセットだ。

 自らの痛む羞恥心以外には八方丸く収まる、鬼手だと判じている。

 なのに。

 だというのに。

「放せ! 放してくれ!」

 新幹部に『花を持たせる』べく『まじかる☆ステッキ』をぬらりと抜き放ったところで、野次馬たちが一斉に縋りついてきたのだった。

「だ、誰が放すものか! その鉄パイプで何をする気だ!」

「いずれ、こんな時がくるとは思っていたんだ! 完全な『事件』の巻き起きる時が!」

「期待の新星なんだ! 誰が見捨てなんかするもんか!」

 計算違いに、ジェントル・ササキは声を悲愴に、喉を枯らして訴える。

「ちくしょう! 組合規約さえなければ、こんなおっさんたちぐらい!」


      ※


 本所高校三年生、受験勉強よりも夜遊びが好きな一般的学生である金木・陽子は、

「……なにこれ」

 怒号に罵声、ライブ中継のヘリのローダー音、そして鉄パイプが空を切る音に。

 混乱の坩堝と化した目の前に。

 疑問の声を振り絞るしかできないでいた。

「俺は! 今すぐ! 街の平和を! 守りたいんだ!」

 地味子ちゃんから奪い取ったはずのハイスペック男子は、鉄パイプで以て『平和』を手に入れようとしている。

 方法はわからない。わかることができない。七割方は確信を持てるが、残り三割に賭けなければならない。だって心が持たない。

「これ以上いかせるか! 待ちに待った『生粋の本所市育ちの幹部』なんだ!」

「いつまでもテラコッタ姐さんに『努力』させておけるものか!」

「ボンテージを纏って十年だぞ⁉ 二児の母なんだぞ⁉」


      ※


 テラコッタ・レディは、路肩に愛車を止め、盛大にむせかえっていた。

 ラジオが垂れ流す『無慈悲』な現実に、喉を震わせざるをえなくて。


      ※


「その鉄パイプで『新星』に何をする気だ! 言え! 彼女の『こめかみ』に何をする気なんだ!」

 鉄パイプ、そしてこめかみ。

 七割方の確信が八割へ引き上げられた。

「ち、違う! 俺はただ『魔法使い』として『街の平和』を……!」

 未遂犯のうろたえようから九割に。

 つまり、だ。

 ついさっきに『告白』をし、不本意ながら『請け負った』相手は、

 ……平和のために、私のこめかみを、鉄パイプで狙っている?

 意味がわからなくて呆然とするしかない。

「彼女は、悪の秘密結社の幹部なんだ! 放せ!」

「くそ、さすが『三十路童貞』! 力がダンチだ!」

「長くはもたない! 早く逃げるんだ! テイルケイプの新幹部!」

 そもそも、その新幹部が確定事項として流布しているのはなぜなのか。

 自分以外の全てが、なんなら『空気』までもが当然という顔で、自分を置き去りにしてスプリントを開始している。

 陽子は、目を見開き、口は半開きで、暴風のような推移を見つめるしかできない。

「くそう! 組合規約が! 組合規約さえなければ!」

 なければ、どうなってしまうのか。押しとどめているおっさんたちの『こめかみ』を薙ぎ払うのだろか。加えて私には組合規約が適用されるのだろうか。命を守ることはできるのだろうか。

 切っ先を目視できない速度で振るわれる長物の風切りに、自分の『致命』を狙う音色に、慄然と聞き入り立ち尽くす。

 と、その下がった腕を、掴んで気付けをしてくれる温かい手があった。

「しっかりしてください!」

 大切な人を『奪われた』はずの、必死に眉根を染めた同級生の姿であった。


      ※


 ……だから、あれほどダメだって言ったのに!

 綾冶・文にとって現況は『具体的には想定しえないけれども、金木がこんな顔になるだろう』ことを予想出来るに、容易い事態であった。

 だから、聞く耳を持たない彼女自身を必死で止めたし、相棒の『良心』に望みを託しもした。しかし『予想通りの有様』である。だって佐々木さんは『良心』に従って『女子高生のこめかみを正々堂々ストライク』しようとしているのだから。

「早く! 早く逃げましょう! 今ならまだ間に合います!」

「え? あんた? え?」

 瞳孔が開いて、自分の身に起きている理不尽を呑み込めていない顔だ。なんて不憫な……私がもっと、ちゃんと止めることができていたら!

 力不足を嘆きつつ、おっさんたちがひしめく『地獄の煮え釜』から彼女を救うべく、引く手に力を込める。

 たどたどしい足で付いてくるのを認めると、安堵をついて路地裏に飛び込む。

「ちくしょう! 見失った! 俺はもう……!」

「今だ! 架台を用意しろ!」

「無抵抗のうちに縛って吊るせ!」

 大通りのおっさんVSおっさんたちの戦いは、おっさんたちに軍配が上がったようだ。

 相棒の力ない泣き言が風に乗って響いてくるが、今はそれどころではない。

 手を引かれていた陽子が、おずおずと、ばつの悪そうに、

「あ、その、助けてくれてありがとう……」

 小さな礼をするのだった。


      ※


 色々とあったけれども『命』を救われたのだ。

 だから、少女は憚りを越えて礼をしたのだ。

 勿論、向こうが受け取ってくれるとは思えないけれども『勝手に助けたんだ』なんて悪態は間違ってもつけない。だって、本気で『こめかみのオフセット衝突』を狙われていたのだから。

 だからか、文の表情も声も固くて、

「いいえ、まだです」

 事態が終えていないことを告げてくる。

「画像を……ササキさんの録画を消してください」


      ※


 当然と言えば当然か。

 陽子は、消沈の中で納得をする。

 命を救った代償に、奪い取ったモノを返すように求められているのだ。

 とはいえ、ハイスペック男子の『コントローラー』を手放すのは惜しい。

 渋るよう眉を寄せると、文は意外な言葉を懇願して、

「あなたのためなんです! 手遅れにならないうちに……っ⁉」

 遮るよう、怒号が幾重に響き伝わる。

「あっち! テイルケイプの新幹部はあっちだ! サインください!」

「戦闘衣装が本所高校の制服だぞ、おい! こう、なあ、おい……!」

「ジェントル・ササキの弱味を握っているって! 期待が持てるな!」

 口々に『全幅の期待』を叫び、勝利を讃えんがためこちらを草の根分けるように探しているようだ。

 寒気が、背に。

 このまま、よくわからない『悪の秘密結社』の幹部にされ、十年後に『女学生の恰好をしたアラサー』という未来図を描かされるのだろうか。ここは職業選択の自由が保障された日本ではないのだろうか。憲法は私を守ってくれないのだろうか。

「いけない! 急いで、ササキさんとの関係を完全に抹消してください! このままじゃなし崩しに……!」

 必死の、懇願。

 彼氏が奪われるかもしれない間際にも見せなかった、全身全霊の訴えだ。

 気圧され、言われるままに携帯電話を操作していく。

 なにが起きているのか、展開の速度と角度が急すぎてついていけない。

 けれども、消去のボタンを押したところで『おわった』と一息をつけば、

「報道は、基本ライブだけなので大きな影響はありません。組合長に頼んで、状況を説明してもらいますから。後は、知らない番号には出ないようにしてください。ササキさんがあの手この手で接触を試みる可能性が……」

 注意事項の羅列がぶつけられてきた。

 どうして、そこまで厳重に取り扱わなければならない『魔法使い』が、当然のように野に放たれているのだろうか。ここはサーカスなのだろうか。彼は猛獣なのだろうか。

 あと、そんな危険人物と当然のように並び立っている『あなた』は何者なのだろうか。飼育員なのだろうか。一番に恐ろしい人間ではなかろうか。

「あれ? 金木さん? どうして後ずさるんです? あれ、え? 金木さん?」

 陽子は心を決する。

 恋は正攻法に限る、と。

 邪道に頼ると、ヤベー奴らに包囲されてしまうのだから。

 将来の教訓を得て、夏の夜の夢は幕を閉じるのだった。


      ※


 広域の停電に交通渋滞、路上を塞ぐよう散らばるコンクリート柱の残骸たち。

 実行した一団は一人残らず姿を消し、追い詰めた魔法使いは市民の手で吊るし上げられ、吊るし上げの直接要因たる『新幹部』も闇のなか。

 混乱と暴力が吹き荒び、誰もが『どうすんだ、これ』の眼差しに。

 そんな現実に怯える人々を救うべく、魔法少女組合からの増援が姿を現し、向かい立つように『本所市のカリスマ』テラコッタ・レディも舞台に駆けあがった。

 茶番ではあるが、歴戦の悪の女幹部は状況をこの上なく『真に迫る虚構』へ、軟着陸させることに成功。

 見守る人々は口々に賞賛を送り、同時に心配を交わす。

 駆けつけたテラコッタ・レディの胸元が、黒く、滲むように汚れていたのだ。

 皆、誰一人足並みを違わずに、確信する。

 吐血、ではなかろうか、と。

 心労からくる、内臓のダメージではなかろうか、と。少々カフェイン臭がしたけれども、きっと直前に飲んだのだろう。

 だから、決意をする。

 かの『新幹部』を、一刻も早く一人前にしなければ、と。

 後日、誤報である旨が公式発表されるまで、市民の誰もが『死兵』の面持ちで日々を送り続けることになり、結果として各業界で大幅な数値指数向上が達成されたのは、また別の話である。


  第二章 了

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