5:悪意を呑む、吞み込まざるを得ない

「頭が痛いわねえ」

 本所市が誇る悪の女幹部『テラコッタ・レディ』こと大村・桃子おおむら・ももこは、事務所のテレビに陰鬱な視線を投げかけていた。

 映るのは、正体不明の何者かたちを、千切っては投げ捨てていく魔法使いの雄々しい姿。

 駅前で開幕された突発的な戦闘状況は、フットワークの軽いテレビクルーたちによってお茶の間に届けられていく。

 数に押された劣勢を覆し、たがが外れたのかコンクリートの長物を振り回しては『敵』を排除していく『仇』の姿に、テイルケイプ筆頭幹部は、

「あれも『対テラコッタ・レディ用兵装』なのかしら……」

 こめかみの古傷が疼いてしまう。

 かつて彼のデビュー戦に巻き込まれた身としては、なぎ倒されるだけの電柱攻撃は手心が見え隠れしていて、あれ? じゃあ『鉄管によるアンブッシュからのバックアタック』って、命を狙っていたのかしら。

 詮索して返ってくる答えが『是・非』のどちらでも嫌な気持ちになりそうなので、マグカップのコーヒーの苦みに逃避を開始。

 折よく机に投げ出していた携帯電話が鳴り、

「頭領……まあ、そうなるわよねえ」

 げんなり具合を濃くして、それでも『本所市の悪のカリスマ』は職務を放棄などできなくて。


      ※


 戦闘は、暮れる日へ合わせるよう、終局に差し掛かっていた。

 一対三〇という戦力差を、ただの一人で押し返し、今や相対する彼らのうち正面に立てるのは五人ほど。

 他は、装備を損傷し、負傷を負い、後方で取り囲むばかり。

 勝てる、と慢心はしない。

 ササキはわかっているからだ。この勝利、自分一人で得たものではないのだから。

 ……相棒が、俺を助けてくれた!

 両小脇に抱えた『エレキトリカル☆マジカルステッキ☆ツヴァイ・ザ・サイネリア・ファニーVER』の、おかげなのだ。

 無論、いたずらに相棒の名を口走ったわけではない。

 立派な魔法少女になる、という彼女の望みを鑑みてだ。

 幾度の激戦を共に乗り越え、サイネリア・ファニーは大きな実績を得ている。関係者の誰しもが『立派』だと認めるほどに。中でも最大の功績が『ジェントル・ササキの相棒を務めていること』なんて口の端に昇るのは、自分事ながら面映ゆい。けど相棒にかけられる『正気でいられるね?』とか『どうやったら言うこと聞かせられるの?』とかの賛辞は、正直よくわからない。この業界特有の価値観なのだろう。

 とにかく、実績は十分。

 後は、対外的な名声、知名度だろう、と魔法使いは考えている。

 己の中でボーダーに達せられたなら、次は他人の記憶に残ることができれば。

 そういう『カタチ』はきっと、年齢による間もない引退を迫られた君を助けてくれると思うから。

 いずれ君を襲う、有形無形の人生という『困難』へ立ち向かうために。

 自らの足で走りきった自信に加えて、背を押してくれる思いの熱があれば。

 膝を屈さずに済むだろうから。

 だから、叫ぶ。

「これが『サイネリア・ファニー』の力だ!」

 君の名を。

 少しだけ腰を『屈し』ながら。


      ※


 唖然と見守る野次馬たちの視線に囲まれ、正体不明の敵たちは整然と撤退を開始。

 まるで、ジェントル・ササキの気迫に押されるかのようで、その光景は、

「私の名前が『要正気度判定』になっていませんか……⁉」

 少女の持ち直した膝を再び屈するに足る、無残かつ悲愴な光景であった。

 けれど現実は残酷で、

「待て! 『サイネリア・ファニー』の名に怖れを成したか!」

 追い打ちを加えてくるものだから。

 ちょっとだけ白目を剥いてしまい、組合長の気持ちがわかって少し大人になれた気がした。


      ※


「ササキさん、可能であれば捕縛を」

『ええ! 後始末をつけないと!』

 さすがだ、と澪利はクールに息をつく。

 戦闘は勝利を得た。

 けれども、散乱した現場の、混乱した人心の、落としどころを用意しなければならない。

 普段の秘密結社活動であれば、その役割は当該の秘密結社が担うところである。勝利宣言も敗北による撤退も、そこまでが作戦として組み込まれているのだ。

 が、今回の事案では、かなわない。

 相手が正体不明のまま、逃走を開始しているため。

「少なくと所属が把握できなければ、組合としても声明を出せません」

 加えて、禁手忌手とされる不必要なインフラへの攻撃という、生活へ直接被害が出ている以上『わかりません』では落ちが付かないだろう。

『ですけど、くそ! 存外に足が速い! まるで、こっちの死角を把握しているように、路地に逃げ込んでいく!』

 意外なことに、絶望的なことに、捕縛は難しいようだ。

 ならば、次善の策に縋るしかない。

 視線を背後の組合長に向ければ、携帯電話をしまって身を乗り出し、机付きのマイクに口を寄せた。

「私だ」

『組合長? すいません、指示もなく飛び出した挙句、この体たらくで……!』

「その件はあとだ。すぐにテラコッタ・レディが現場に駆け付ける」

『じゃあ、今回の損害はテイルケイプで被る、と?』

 悪の秘密結社テイルケイプの『頭領』でもある、組合長の大瀑叉・龍号の判断である。

『それではその後の対応に支障がありませんか?』

 ありていに、恣意的な停電の責任を受け持つということ。金銭の問題だけでなく『官製結社』と揶揄される、自治体の息がかかっている看板の信用にかかわる話だ。

「君が気を揉むべきは、テラコッタ・レディ到着までの時間を稼ぐこと、だよ?」

『……わかりました。お願いします』

 けれど、それは一所属員の気を遣うところではなく、上層部の手にある問題なのだ。

 なにより、

「時間を稼ぐと言っても、すでに敵は撤退を完了していますよ?」

 ジェントル・ササキに課せられた『仕事』は、簡単なものではない。

 非難めいた冷たい目を向ければ、しかし、無茶を振った代表は不敵に笑い返す。

 まるで『彼ならば問題ない』とでも言いたげに。


      ※


 明かりの少ない今宵の、さらに暗がり。

 逃げる敵を追って飛び込んだ路地裏で、ササキは息をつく。

 身元を隠すポリ袋を引きずり外し、蒸れた頬を夏の夜に冷えた外気に晒す。

 汗を落とし、ため息は重く。

 失敗したのだ。

 処理を他に任せなければいけないことに、胸が重くなる。

「佐々木さん!」

 特に、彼女のためを、なんて言いながらの失態だ。

 情けなくて、けれど、

「文さん、どうしたんだい、こんなところで」

 大人として、凛としなければならなくて。

「停電で、塾は休講で……それより、これからどうするんです?」

 彼女も、経験ならこちらの何倍もあるベテランだ。問題点は把握しているようで、たのもしい。

「間もなくテラコッタ・レディが到着する」

「え? けど、それじゃあ……」

 そう、遅いのだ。

 戦闘が終わった以上、すでにリザルトの必要なタイミングにある。問題点の多い破壊活動のために、特にだ。

 すでに遅いというのに、さらにここからテラコッタ・レディの到着を待つとなると、混乱のまま帰路につく人間も出るだろう。組合からの説明も遅くなるのなら、非難もまた大きくなるのは目に見える。

「だから、彼女の到着まで、俺が状況を支えないといけない」

「そんな……どうやるんです?」

 アイデアはない。

 そもそもが異例づくしで、正当な対応を模索するような状況だ。それを短時間で、単身で解決しろというのだ。

 頭が痛い話である。

 そうして、現実は残酷であり、

「あ。いいかしら、佐々木さん?」

 追い打ちをかけてくる。

 苦い顔の二人が目を向ければ、大通りを照らすヘッドライトを背に、携帯電話を撮影に向ける学生服の少女の姿。

「君は……」

「金木さん⁉」

 笑みを、獲物に爪を掛けたどら猫のような、粘度の高い笑みを浮かべて、

「まさか、ジェントル・ササキの正体が、こんなイケメンだったなんてね」

 急ぐ魔法使いに、難題を抱えて現れたのだった。

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