7:貴き糧

 いつもであれば、人足など皆無になり、夜明けまでの寂しさに静まる通り。

 本所支部前。街灯の乏しい明かりの下へ常にない人数が居並ぶ。誰も、夜の空を見上げる瞳を逸らすこともせずに。

「ジェントル・ササキ、対象に着地! 車体も無事です!」

 館内からの報告に、誰もが肩を落として、事の成功に安堵をつく。

 青髪の巨漢が、トラ柄ファーを纏う青年に口端を持ち上げてみせる。

「良かったんです? 電磁誘導に高水圧の射出……ほぼほぼ廃車ですよ?」

「……言ったはず……愛着はあれど……人の命に比べれば、天秤にかけるまでもない……」

 推定『八桁後半円』の救命胴衣を供出したリバイアサンは、眉すら動かさず泰然と頷く。そうして、状況が落ち着いたのであればとでも言うように、やはり空を見上げる龍号へ向き直り、

「……申し訳ない、テイルケイプ頭領……こちらの管理不行き届きだった……」

 深々と頭を下げる。

 老人は、驚きの顔で謝罪を受け取ることになった。自分こそ謝らなければいけない、そんな案件であるのだから。

「こちらの責任だよ、絶海のリバイアサン。事情は分かっているんだろう? 私の、本所支部の長として、それこそ管理不行き届きだった」

 事の発端は、堂賀林・銀による組織を守るための忌み手であり、看過しえなかった己の咎がないとは口が裂けても、である。

 顔を上げた大海の怪物を冠する彼は、小さく首を振って、

「……そちらの『愚か者』には……美学と、信念があった……こちらの『愚か者』は己の栄達と虚栄心しか……恥ずかしいばかりだ……」

 元凶の動機に思うところがあるようで、庇いだてる。

 であれば、と龍号も頷き、

「なに、向上意欲と前向きさは買うべきだ。こちらの手段を選ばない、という点では同類だしなあ」

「頭領、それってササキさんのことです?」

 横合いから、己の右腕が揶揄するように笑いかけて来た。

 私服姿の大村・桃子。テラコッタ・レディの真の姿である。

 彼女の視線を追えば、道路上でハザードランプを光らせ、荷台を傾けさせたダンプが。後部に巨大な金属筒が三本転がり、路面には水溜まり。

「車ごと現場に向かうなんて、まともな発想じゃないですよ」

 要領は、魔法使いが単独で行った飛翔行動と同じだ。

 MEGUによる水の生成と、グローリー・トパーズによる電磁加熱による、水蒸気爆発を利用した推進。

 加えて、発射角をつけるためにダンプと、車両自体にバックパックを取り付けることで補助としたのである。

 元々、ササキは自身の車両を使うつもりでいたのだが、それを制止したのが絶海のリバイアサンだった。

「……乗用車では空力抵抗で……下手をすると軌道が曲がる……」

「現場にスポーツカーがあるのは幸運でしたな、テラコッタ・レディ」

 自分たちを呼び立てたテイルケイプ筆頭幹部へ、手柄の大きさを伝えるように、ユキヒコが口笛を鳴らす。

「ユキヒコさんがマウントキングの聞き取りしていたのは知っていましたからね。リバーサイドエッジを通して連絡先を教えてもらっただけですよ」

「はは、じゃあ俺がストライク・クローバーに粉をかけていたのが功を奏したわけですか」

 ひっかき傷だらけになった甲斐がここで出たなあ、と芸能事務所の代表は笑う。

 龍号は、ジェントル・ササキを打ち上げるための準備を見守りながら、事のあらましを聞いてはあった。

 マウントキングは、先日の騒ぎの直後に、ベルゼブブと彼の持つバックパックの確保に成功していたのだそうだ。それを秘匿していたのは、公にした際にどこへダメージが行くか判然としなかったためで、隠滅の目的はなかった。

 正体と出処が不明のガジェットを処理するにあたり、慎重に、他の秘密結社にすら漏らすことなく潜航するがごとく、静かに事を進めていたのだった。

「それに加えて車までとは……」

「……言ったはずだ、テイルケイプ……命に代わるものではない……」

 それに、と腕を組んで理由を足し示す。

「……この身は『リバイアサン』……貴き者の贄となる……悪魔の名だ……」

 神話を引き合いに出され、囲む大人たちは口をつぐむ。

 窮地に駆けつけてくれた感謝と。

 我が身を省みることない献身への感嘆と。

 あと、

「あー……うん、さすがマウントキング頭領ですな!」

 ヤベー奴らの代表はやっぱりヤベーんだな、という再認識に。

 ついでに龍号に視線が集まるのは、え? つまり私も『ヤベー奴らの代表はやっぱり』ってこと? テラコッタ・レディちょっと、君はこっち側じゃない? ダメか。初見で『アンブッシュ鉄パイプ』されているもんなあ。

 組合員を死地に、そして死地から帰還させんがために送り込んだ男は、その戦地たる夜空を見上げる。

 主に『ほぼほぼ確定的な疑惑の目』から逃れるがために。


      ※


「助かった、ササキ!」

 ジェントル・ササキの高いコモンによって岩石の一部を砕けば、肩の回るようになったストライク・クローバーが全身を抜けだすのに、さほどの時間も必要なかった。

 吹く風は変わらず、けれど、地上から照らされる光が大きくなる中に立てば、彼らは再開する。

 生きて欲しいと願い、生きねばと望み。

 帰路を失った彼女らと、迎えに辿り着いた彼と。

 誰も無事とは言えない風体で。

「良かった……間に合ったね」

「礼は言うけど、ふざけんな。あの怪我で、あの高さから落っこちて、どうして平気な顔してこんなとこに戻ってきやがった」

「もちろん、君たちを救うためにだ」

 怒りはもっともだが、疲弊に青褪めた顔では迫力に欠ける。

 強い風にがさつく仮面越しに笑っていなせば、彼女の心配げな視線を追って、

「頑張ったね、相棒」

 満身創痍のサイネリア・ファニーをねぎらう。

 口で息を吸って、短く吐き、何か言いたそうに躊躇ってから、

「……よかったです……!」

 振り絞るように、涙の混じる声を零すのだった。


      ※


 生きていてくれて、良かった。

 助けに来てくれて、うれしい。

 胸が震えるから、言葉が上手く声にできなくて。

 けれど、溢れてしまうものだから、

「おっと」

 緊張の糸が切れたのか、膝から崩れてしまった。

 受け止めてくれるのは、力強く、暖かな、あなたの両の手。

 実感が、冷えていた心臓に沁み込むのがわかる。弱まった鼓動が、強まるのを確信できる。

 きっと、この人の『魔法の力』なのだ。ただただ心拍をあげる『ギフト』とは違う、ジェントル・ササキの『強さ』の欠片。

 礼を言いたくて、ちゃんと向かい合って目を見たくて、

「だいぶ弱っているじゃないか……」

 けれど、このひ弱な体は言う事を聞いてはくれない。

 どこにも四肢の一つにも力を込められず、ただ縋るように抱きつくまま。

「クローバー、マニュアル運転はできるか? 彼女を頼む」

「はあ? 免許はあるけど、スポーツカーって操作難しいんだろ?」

「エンジンを暖めるだけだ。最悪、回転数だけ稼げばいい」

 けれど、温もりに甘えられる時間は短くて、すぐに違う人の腕に預けられてしまう。

 名残惜しいけれども、

「てぇか、アンタが運転しろよ。一緒に帰るんだろ」

「いや」

 そう、

「俺は残る」

 彼は『為すべきを為す』ためにここへ来たのだから。

「残って『マレビト』を誘導しないと」


      ※


「なに言ってんだ、頭くるくるかよ!」

「俺が使ったバックパックに反応して、マレビトの軌道が市街地に向かっている。誰かが残って誘導をしないといけないんだ」

 そして、その責務は自分にあるのだと、あなたは言うのだろう。

「二人は先に戻るんだ。ハンドル脇にバックパックのコントローラーがあるから、急いで」

 町を守るためと、自らの命を得物にするのだろう。

「っくそ! なんで、二回も死にそうな奴を見捨てなきゃなんねぇんだ!」

 埋まるバックパックを、周りを四分割していって引きずり出せば、シロツメクサを名乗る彼女は紳士を冠する彼に、その獲物を押し付けやる。

「もう一回だ! もう一回、生きて還れよ!」

「もちろんだよ」

「くそ……ほら、サイネリア・ファニー! あんたも何か言ってやれ!」

 そうだ。伝えなければ。

 感謝と、恨み言と、心配と、期待と、信頼を。

 けれど、残る力を振り絞って、届けられる言葉はほんのわずかだ。

 だから、この上なく全てをこめられる、たった一言を探す。

 やがて、広く深い海原から掬いだした『それ』を口の端に乗せる。

 あなたに、微塵の間違いもなく伝えるために。


      ※


 本所支部の即席指令室は、小康状態にあった。

 距離の問題から無線は通じずとも、各種データからササキが対象に無事到達したことが確認されたためだ。

 あとは予定通りに帰還果たしてくれたなら、無事祝杯というところである。

 通信機前を占有している静ヶ原・澪利も、突然に始まった高難度作戦の終焉が見え始めたことで、一息をこぼす。

 ……三人の離脱後、マレビトを押し返す必要がありますが。

 けれど方法は『二度に渡る有人飛行』によって確立されており、ばらまかれるマレビトの砕けた破片による被害に目を瞑れば優しいものだ。翌朝の通勤車両には相当厳しいだろうだろうが。

 なので、推移を見守るだけ。

 他地域頭領との打ち合わせで首脳陣が席を外していることもあり、全体が安堵の中にある。

『……だ! もう一回……れよ!』

 そんな指令室に、ノイズの混じる必死の声が響き渡る。

 無線が届く高さまで、マレビトの高度が下がったということ。

 危機であるが、誰も表情を明るく。

 危険な現場の、生の情報が入ったのだから。後は成果を待つばかりである彼らにとっては朗報に違いない。

『……ろんだ……』

 どうやら言い合いをしているようですね、とクールに状況を分析。

 音は、徐々に明朗になっており、危うさと共に彼らの感情も明確に。

 どうやら激怒するストライク・クローバーを、ササキが宥めているようだ。

 何事か、と耳を澄ますと、

『……ネリア・ファニー! あ……言っ……やれ!』

 それまで、おそらく疲労と負傷から声を発せなかった少女に、発破がかけられた。

『……サキさん……』

 弱々しく、最後の一息を吐くようなサイネリア・ファニーの声へ、誰も自らの声を呑む。

 何か重々しい空気が漂うことに気付き、であるなら一つの音ですら逃しては後日に後悔しかねないと、皆が肌で感じとっている。

 少女の、声を作るために呑んだ息の音へ、重々しく耳を澄まし、静寂の中で誰しもが聞き遂げる。

 死を厭わず前を往く男へ、彼女が伝えるたった一言を。

 か弱く、吹き荒ぶ風に呑まれ、暴れるノイズに掻かれる、心底の言葉を。

 奇跡か否か、人の思いに応えるように風が弱まり、ノイズが消え、

『お布団敷いて、待っていますから』

 明瞭に、静まりかえった指令室に響くのだった。

 直後、ストライク・クローバーによるものと思われる『首トン』の生々しい肉を打つ音とともに。

 あと、

「おいおい、こいつは組合屋上に架刑台が必要じゃないか?」

「おいおい、それでいいなら、俺もちょっと『打ち出され』てくるわ」

「はい、証言が出揃ったところで青空裁判を開廷いたします!」

 欠席裁判の判決は『悪いのはサイネリア・ファニーだけどジェントル・ササキは死刑』ということで結審。処刑法は『静ヶ原・澪利が現在進行で量産している空き瓶をぶつける』という、古代イスラエルの法に準じた古式ゆかしいものと定められたのだった。

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