8:命の綱を頼りに

 少女二人を乗せた『吠え猛る箱舟』を見送れば、魔法使いはすぐさまに行動を始めなければいけなかった。

 地表が、夜に眠る本所の街が、刻々と近づいているから。

「こちらジェントル・ササキ! 現場に残ってマレビトを誘導する! 聞こえていたら応答してくれ!」

 無線は一時回復したが、今また不安定にノイズを吐き出している。

 おそらく、地上は現状を把握できていない。高高度では機能していた衛星を利用した各種センサーも、地上が近づくにつれて不要な情報が増えるため、不全となるはずなのだ。

 だから、孤立無援。

 ストライク・クローバーから手渡されたバックパックを抱き直し、先端に歩み寄る。

 治療を済まして命は繋いでいるけれども、失血と疲労までは誤魔化せない。

 重い足を引きずって、落ちる腕をどうにか維持する。

「マウントキング頭領には礼を言わないとな」

 車両の使用を提案したのは、二人を慮ってだけでなく、自身の手足ではマレビトまで辿りつけないと判断したためでもある。

 一般的な自動車では、空力抵抗が激しく制御が難しいというリスクも織り込んで。

 だから、高速度を発揮するためだけに生まれた『鋼鉄のサラブレッド』を借り受けられたのは降って湧いた僥倖であった。

 彼を手配してくれたテラコッタ・レディも、バックパックを届けてくれたユキヒコ・ウェンディゴも、暗闇を誘導してくれた静ヶ原・澪利も、背を押してくれたグローリー・トパーズやMEGUも、組合長も。

 誰もが力を出して、難事を乗り越えようとしている。

 特段何も持ちえない凡庸な自分は、であれば体を張ろう、危機の眼前を担おう、それが役割であり責務であろう。

 嬉しく思う。

 綺羅星のような、本来なら見上げるだけで手の届かない人たちと、肩を並べることができることに。

 彼らに、最前線を任されることに。

 口の端を持ち上げて、一歩を踏みしめる。

 そこが先端。

 すでに五メートルほどまで体をすぼめたマレビトは、力なく大地を目指していた。


      ※


 先に使った、打撃による進路変更は不可能だ。

 それほどの力はササキの腕に残っておらず、またマレビトの体も耐え切れずに砕けてしまうだろう。

 そうなると、自分の体と共に破片が市街地に降り注ぐことになる。

 最悪の場合は取らざるを得ない手段であるが、今はまだ早い。

 だから、選び取るのは一つだけだ。そう確かめて、バックパックのベルトを握り直す。

『……キさん。きこえますか、ササキさん』

 無線が、ノイズ混じりに聞き慣れた声を届けてくれた。

「聞こえます、静ヶ原さん。ということは、もうかなり高度が下がっていますね」

『安定通信できるほどですから。すでに地上から目視ができていますし……無事でなによりです』

 無表情に安堵を零すオペレータへ、思わず笑ってしまう。たった一人、という緊張の糸が緩んだせいもある。

 ほころんだ口元を、締めも隠しもせず、作戦を進めていく。

「二人はどうですか」

『現在、河川敷に向けて降下中です。ストライク・クローバーの報告で、サイネリア・ファニーは疲労と心労から気絶しているが命に別状はない、と。疲労と心労を、三度繰り返したのでよほど重要なのでしょう』

 気持ちはわかる。

 お布団敷いてとか、健常な状態で出たならちょっと恐怖しかない。

 一緒に色々と体験してきた仲であるが、今なおこちらの心胆を寒からしめて新鮮な気持ちをお届けしてくる、マンネリを許さない素晴らしい相棒だ。

『彼女たちを迎えるために、主だったメンツは現在留守です』

「なるほど。では、静ヶ原さんは?」

『……こうなるのでは、と予感がありました』

 当初の予定では、ササキも車両に乗り込んで帰還していたはずだった。だから、通信機が安定しきっていない現在、ササキがマレビト上に残っていることを誰も知りえないでいた。

『ですが、市街地に舵を切り直したマレビトをどうするだろうか、と。どう転んでも町に被害が出る状況に、あなたはどのように手を打つだろうか、と』

 さすが、伝説と呼ばれた魔法少女だ、と感心する。

 判断と次善を過不足なく備える、知恵の深さと視野の広さが伺える。だから、こうして助けられている。

『いいですか、ササキさん。現在グローリー・トパーズとMEGUさんは、ギフトを使いすぎて身動きできません。他、男女問わず所属員、及びテイルケイプ幹部に連絡を取っていますが、マレビトの墜落に間に合う算段はありません』

「なるほど」

 言いたいことはわかった。

 求めていることも、わかった。

 つまり、

『現時点で、ササキさんの救出は絶望的です。自らの手で、バックパックを使って脱出する以外には』

 マレビトの残る僅かな体を砕く算段はある、だから些細な被害には目を瞑って脱出をしろと訴えている。

 自分が現場に残るであろうと予見した彼女は、撤収を再度促すために、通信機に噛り付いていたのだ。

 感情を表に出さない彼女の声が、強く揺れている。

 それほどの激情を、この身のために震わせているのだ。

 嬉しいことだ。

「だけど、俺は『町の平和を守る』魔法使いなんです」

 理念を条件に、スカウトを受け入れたのだから。

 違えたくはない。為す術をこの腕に抱いたままで、諦めたくはない。

 無線に声は返らない。聡い人だ、この答えもまた予見済みだったのだろう。そのうえで制止をするために待ち構えていたのは、優しさか、一縷の望みか。

 どちらでも、彼女の心根を毀損するものではない。

 問答は終わりだ。

 地上の明かりも、だいぶ近づいてきている。

「こいつを、海へ誘導します」

『……ですが、どのように』

「バックパックに反応するのは確認済みです」

 街へ戻ってきたのが証拠だ。

 ではどうして、そうまで貪欲に『波動』を求めるかと言えば、

「コミュニケーションでもあるでしょうが、生命を維持するためでもあるんでしょう。バックパックを体内に取り込もうとしていましたし」

 加えて、掘り起こした今、明らかに降下が速まっている。

 だから、方法は一択。

 ベルト部を掴んで、肩を開いて筋骨を引き絞れば、

「こうするしかないんです!」

『! ササキさん、なにを……!』

 己と彼の『命綱』を、投げやる。

 沿岸へ向けて、夜を裂く銀の矢をごとく。

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