5:差し伸べられるその手の色は

 顎田市と本所市をつなぐ国道は、長い海岸沿いを走る広々とした幹線道である。

 田舎ゆえに夜も深まれば走る車も少なく、万が一に歩行者を見かければ怪異か否かを疑うような、暗がりばかりの閑散とした直線道路だ。

 そんな寂しい海のほとりを、今夜ばかりは『ケモノ』が叫び駆ける。

「さすがはフェラーリ! 気持ちがいいもんですな『絶海』の!」

「ああ……もっと踏んでもいい、ユキヒコ・インディゴ……」

「さすがに、超過八〇キロだと人並みに怖くもなります……よ!」

 緩いカーブを内臓にG負荷をかけながら立ち上がっていくと、顎田市の『二人』は息をついて、ストレートで加速をかけなおす。

 排気の叫び声が、高く高く。

 見ては流れる光景を掻き分けて、開けた夜空をユキヒコは顎で示す。

「見えてきましたよ! アレだ! あの空の!」

「……インプラントのあなたと違って……こちらは裸眼でね……」

「そいつは失敬! いや、連絡通り、空飛ぶ『マレビト』ですよ!」

「……虚報、ではなかったか……この子を出して、正解だったな……」

 絶海のリバイアサンが助手席から、死を漂わせるほどの高速度を、何事もないかの如く暗い海の底のような眼差しで眺めやる。

 法定速度など構いはしないとテールランプの尾を引かせながら、四輪駆動のサラブレッドが夜を叩き起こさんと駆け抜けていく。

「助かりましたよ! 予定を、だいぶ巻けそうだ! しかし、俺に預けて良いんです? とんでもない高級品でしょう⁉」

「……愛着はあるが……道具は使われてこそ美しい……それに……」

 若い美貌を憂慮に塗って、吐息をつけば、

「……この身は贖罪の途にあり……罪科の怒りに震えてもいる……」

「安全運転の自信がないと?」

「……道交を律する明滅すら……目に入らないほどにな……」

 そいつはいけませんな、と笑い、同行人の震える指先を確かめる。

 珍しい、とおかしくも思う。若くして世を疎んだ金持ち坊やで、その財力と厭世感から大半を些事と投げやる若者が、今ばかりは言葉の通り怒りをたぎらせているものだから。

 はて、どう決着がつくものやら。

 何はともあれ『時間切れ』となる前に、駆けつけねばどうにもなるまい。

 四〇〇〇CCの甲高い鼻息が荒ぶっては大気を引き裂き、救いの手となるべき巨悪二人を『諸悪』の元へ滑り込ませようと、いななき続けるのだった。


      ※


「支部のため、っていうのは本心なんですよ。そこは疑われたくないですね」

 厳しい、人道にもとる『拷問』に疲れ切った背をパイプ椅子へ預けた堂賀林・銀は、くわえた煙草を揺らしてうそぶく。

 常の余裕は失われ、龍号は浮かぶ『気の毒』を押し殺して問いを重ねる。

「つまり、ササキくんに『マレビト殺し』の実績を持たせるためだった、と?」

 発端は『企業がバックパックのモニターを探している』というところからであった。

 独自の情報筋から新技術と『マレビト』との関係をおぼろげながら把握していた彼は、過去の伝手を使って、企業に県組合へ打診するように誘導。

 その後、預かった三機のうち一台を隠匿し、ソーミによる『分解と解析』を行ったのであった。

 現物を見ることで『波動で意思疎通する』特性を持つ『来訪者の構成物の一つ』であると確信、計画に実現性がでたことから実行に移す。

 つまり、大規模な『空間歪曲』を連発させ『岩石の往く空』の住人を招き入れたのだ。

「だから、前兆がなったのですね? コーヒーです」

「ああ、ありがとう静ヶ原さん。喉が掠れてきた頃合いでしたよ」

 喉を湿らせた副支部長は、問いに肯定を返す。

 本来、彼らが来訪する直前に観測される出処不明の波形は、彼ら自身が行く先を探るために発しているもので、こちらから誘導したなら不要になる、という研究文書があるのだそうだ。

「そうして招き入れた敵対者を『ウチ』が……いや、ササキくんが撃退するわけだ」

 銀が明かした筋書きは、火付けと消火を一緒くたにこなすようなもので、その目的となるのが、

「ええ。大きな勲章がぶら下がれば、他所の、特に中央からの横槍はけん制できるだろうと思いまして。一般に公開できる実績ではありませんがね」

 一人の魔法使いを、この本所市の外しえない戦力であると、内外に知らしめること。

 彼の、組合への献身は本物であるのだ、と龍号は嘆息をついてしまう。

 優秀な人材であり、優秀というのは道筋を明確に見据え短路を探り出す能力に長けているということだ。

 だから、最短を進んでしまったのだろう。

「すまないが、堂賀林くん。処分は免れない」

「ええ、もちろんです。でなければ、隠れて事を進めはしませんよ」

「だが、まあ、それは落ち着いてからだ」

 いまは、なによりも優先すべき事項が差し迫っているのだから。

「君が隠匿した『残りのバックパック』は、マウントキング……騒乱のベルゼブブに供出して、未返却のまま、なんだね?」

「ええ。目的は果たしましたし、隠すべき関係で、何度も接触するのは危険と思いまして」

 ジェントル・ササキが求めた『危急の一手』の所在である。

 二つあった『手』は、一方がササキの命を救って大破となり、もう一方はマレビトに取り込まれてしまっている。

 残る第三の手を、と魔法使いは望んだが、

「マウントキングに連絡しましたが、事務所は不在。代表個人もベルゼブブの連絡先も不明で、顎田支部を中心にコンタクトのルートを探っている状況です」

 腰を下ろした元魔法少女の言う通り、手詰まりとなっていた。事務所の手隙の者が、片っ端から心当たりに電話をしているところである。

「すいませんが、私もお手伝いできません。リスクヘッジで、直接会っていたもので」

「ですので、調査はこちら。ササキさんたち……グローリー・トパーズとMEGUさんは、顎田市に向かって出発するところです」

 連絡が取れるにしろ『物』は顎田市にあるはずだから。

 次善策を、溺れてなお葦を掴み取ろうと、足掻くように。

 喧騒の中で、澪利が抑揚なく、クリップボードに挟み込まれた資料をめくり、

「現在、対象は変わらず緩やかな降下を継続しています。地表への到達は、おおよそ三時間後……ですが」

「取り残された二人の体力が、それまで持つかどうか、か」

 どちらも、落ちこぼれと揶揄された過去を持つ魔法少女だ。その内在する魔法の力は平均より劣り、サイネリア・ファニーはなお顕著である、と警告を瞳に込める。

 時間は、限りがある。

 そして、その刻限は想像以上に残りわずかだ。

 龍号自身も、顎田支部を中心に連絡を投げて、返答待ちにある。

 もはや、祈るばかり。

 一刻も早く、打開の吉報がもたらされることを。

 一刻も早く、代替の妙案が湧きあがることを。

 一刻も早く、彼女たち、若くまだ未来の大きな少女たちの命が繋がれているうちに。

 無力に焦れて、けれど信じることを諦めなどできず、思考を回し、一手を模索する。

「ダメです! 顎田支部もわからないと! 継続依頼はしてありますが……!」

「顎田市各秘密結社も、マウントキング代表の電話番号までは知らないとのこと!」

「以前にマウントキングへ業務委託した企業にもあたっていますが、どこも終業のため芳しくありません! ちくしょう!」

 けれど、時計が分を秒を刻むたび、誰の目からも可能性が削られ、光が弱まってしまって。

 投げやった望みを託す釣り竿は、どれも響くコール音の後に空振りを伝えてくる。

 だから、鳴り始めたその一報もまた、絶望を伝えるものと誰もが暗く確信をしていて、

「こちら、特殊自警活動互助組合本所支部……え?」

 であるが、受話器に出た澪利が、小さな驚きを漏らした

 部下の珍しい声に龍号が、一時の状況を忘れて顔をあげる。

 少女のような組合員は、即座に電話をスピーカに切り替えると、

『……こちら絶海のリバイアサン……』

 誰もが、目を剥く。求めていたマウントキング代表が、向こうから現れるという急展開に。


      ※


『貴殿らに……』

『絶海の! 俺が話しますから!』

 そして、三点リーダーを駆使して威厳を発揮しようとする彼を遮り、ローゼンアイランド代表が割り込んで、

『……いや、ユキヒコ・インディゴ……こちらには責務が……』

『人には向き不向きがあるんですよ! ここは俺の得意分野ですから! それで、本所支部ってのはどこです! 駅近くまで来たんだが、この高級車、ナビを積んでいないもんで!』

 どうしてか、こちらを目指しているという。

「代表の大瀑叉だ。どういうことだね、ユキヒコくん」

『おお、テイルケイプ頭領! ご無沙汰しています! なに、おたくのテラコッタ・レディに頼まれましてね! すっ飛ばしてきました!』

 危急にあかせて失念していた名前を聞かされ、ふむ、と一息。

『デリバリーですよ! まさしく『蜘蛛の糸』の!』

『……うちの愚か者を締め上げる予定……それを早めてな……返却に伺った次第だ……』

 突然に表れた婉曲な救いの明りが、沈む職員らへ沁み込むには僅かな秒ほどの時間が必要で、

「ササキくんに連絡だ! 組合に戻るように!」

 龍号の号令に、誰もの胸に理解が正しく根を張り、

「彼が戻る前に準備を終わらせるぞ! 急ぐんだ!」

 目指すべき上天が見えたのだから、揚々と伸びることを止めることなどできはしなくて。

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