5:今を泳ぐ
平日の小さなクラブにあるまじき喧騒であるが、ドア一枚隔てれば、なんてことのない夜の街が輝いていた。
夏を控え、けれども夜空に熱を奪われている肌寒い繁華街に、テラコッタ・レディこと大村・桃子は酔いの火照りを心地よく逃がしていく。
久方ぶりの酒の席は非常に楽しいものであったし、店の中はまだまだ盛り上がっているのだが、残念だが本所市組は帰る時間となってしまった。
「残念ねぇ。もう少しお話したかったのに」
店外まで見送りに出てくれたオーナーであるリンも、名残惜し気に微笑んでくれる。
「明日も、朝ご飯作らないといけないからねぇ」
平日であるから、日が変わればそれぞれの日常が待っている。ササキはサラリーマンだし、MEGUは学校がある。自分は主婦としての責務が控えている。だって旦那には、悪の秘密結社の筆頭幹部だなんて伝えていないから。
だから、楽しい非日常の時間は間もなく終わってしまうし、
「じゃあ、ササキのこと、よろしくお願いします。当日、私は来られないので」
必要な情報をやり取りできるのも、残りわずかだ。
「いやあ、頼んでおいてあれだけど、舵取りを任されると胃に来るわねぇ……あの『凶行』の責任を被るんでしょ?」
「ウチの頭領には頭が下がりますよ」
自分は『実質』代表なだけで関係ない。関係ないのだ。
「計画を進める分には優等生ですから、トラブルさえなければ楽な部下ですよ」
「それなら期待したいところだけど、ちょっとねぇ」
「あら? なにか懸念でも?」
声をひそめて戸口の気配をうかがう彼女に、尋常じゃないものを察し、耳を寄せれば、
「マウントキングが何やら企んでいるみたいなの」
なにやらトラブルの気配が、夏の夜の酔いに混ぜ込まれるのだった。
※
秘密結社『マウントキング』は、頭領を含めて幹部が個人主義を重んじる組織であった。
気が向けば悪行に赴き、興が殺がれれば何日も活動を停止する、奔放さを個性としている。
代表の『絶海のリバイアサン』が莫大な資産で以て趣味を謳歌している団体であるために、他同業者のようにクライアントの顔を覗うことなく、気まぐれが許されているのだ。
であるから、毎年に行われる地ビールフェスへの人員供出には非積極的で、今回のように決起会に顔を出すのも珍しい。
「そんな彼らが、今年に限って四人も幹部を出すって言うのよ。配下戦闘員も増し増しで」
確かに不気味である。
ただでさえ動静が不明瞭な組織が、いつにない大動員を示すことに。
「取り越し苦労ならいいんだけど、何かあった時に手が足りないじゃ不味いでしょう?」
「確かに……だけど彼、そういう時こそ『イキイキ』しますよ?」
「胃は痛くても『解決』できるなら、安いものじゃない?」
その辺りは価値観の相違だろうなあ、と本所の筆頭幹部は嘆息してしまう。
が『本所市の歩く倫理コード』を指名したのは実務能力ばかりではない、と指名者は付け加えて、
「クローバーちゃんだと、現場を収める力が足りないのよ。あの子を補えて、そのうえで尖った性格を収められる人となると」
「なんだかんだ『問題』に踏み込んだササキが適任と?」
リンは明確には答えず、曖昧に微笑み視線を投げる。
視線の先は店が契約する駐車場で、
「あの子も懐いているみたいだし」
自分の車に鍵を向けるササキと、その後ろを追いかけるストライク・クローバーの姿が、頼りない街灯に照らされていた。
※
「俺の隣に停まっている車、すごいね。クラシックカーってやつでしょ」
店の目の前にある契約駐車場へ車を取りに来たササキは、入店の際にはなかった、古めかしいデザインながら光沢の強い高級外車に感心してしまう。
リバーサイドエッジの契約駐車場であるから関係者の所有になるのだが、では一体と興味を示せば、
「コルベットか。外面全振りの『マウントキング』のだな。確か『騒乱のベルゼブブ』の愛車だ」
「へぇ。だいぶ稼いでいるんだね。維持費も半端じゃないだろうに」
「あそこはボンボンの趣味みたいなもんだしな、金回りも良いんだろ」
ドレス姿の足を上げるストライク・クローバーが、悪態混じりにタイヤを蹴りつけた。
ボディに矛を向けない理性に微笑ましく思いながら、自分の車に向かうと、
「よく協力する気になれるな、魔法使いが」
荒いながら感嘆めいた高い声が背にかけられる。
振り返れば、やはり前屈みのまま少女のような容姿を振りまくこれからの味方が、所在なさげに腕を組んでいる。
見送りに出てくれた気遣いに嬉しく思いながら、
「衣装はまだなのかい? 本所で採寸を採ったんだろ? 文さんから聞いたよ」
「まだだよ。出来たら連絡がくる」
「すごく可愛いって聞いた。トゥインクル・スピカの作戦衣装をモデルにしたんだって? 珍しく、静ヶ原さんが照れていた」
「……駅前にウチが使っている仕立屋があるんだけどな、そこのショーケースにずっと飾られているんだよ。もちろんイミテーションなんだけどな、いいなあ、ってずっと見てたんだ」
「へえ。その仕立屋さんに頼まなかったのかい?」
「頼んださ。だけど店主はな、イミテーション作るくらいだから『深味』なファンでよ、『膨らませる』のは教義に反するとか……思い出しても腹立つな」
「はっはっは」
「笑い事じゃねぇよ」
「そうかい? それじゃあ、出来たら見せてくれないか? お店に来るよ」
「んだよ、気なんか遣わなくていんだぞ」
そんなつもりはないのだけども、照れ隠しなのもわかるから、それ以上は言葉を重ねずに笑う。
「いろんなことを体験すること、出来るようになることは楽しいことだろ」
「ま、なあ」
「君の質問への答えでもある」
「あ?」
「悪の秘密結社の幹部も、楽しんでいるんだよ、俺は」
まさか、嫌味めいた言葉に答えが返ると思っていなかったようで、少女はぽかんと。
常の獰猛さからは意外な、可愛らしい顔を微笑ましく思いながら、
「人はね、今現在の自分に見合った最大値を目指すべきだと思うんだ」
諭すように、
「底にいる、と思うなら抜けるために努力を惜しんじゃいけないだろ? 底なんか抜けて、抜け続けて、欲しいものに手を伸ばすべきだ」
そして、
「掴める、掴めないは結果だ。だけど、手を伸ばしているうちは楽しいだろう?」
なぜなら、
「手を伸ばして、体を起こして、背を立てているうちは『底』から体が浮き上がっているんだから」
乱暴ながら持論を、戦地でまみえた『あの日』に伝えたかった言葉を作っていく。
※
かつてフレグランス・クローバーだった可憐な魔法少女は、自らの望みと組織の配慮とが噛み合わなかったために、恨みを抱えてしまった。
悲劇なのは、彼女自身が逆恨みとわかって抜け出せずに、傷つけ傷ついていたこと。
狭まった視野では差し伸べられた手が見えなくて、ただただ『底』に沈み込んだままで。
だから、乱暴ながらも周りの泥を掻き分け、日を差し込ませるべきだと考えたのだ。
その最中で『白黒のカッコいい車』に乗せられてしまったので、全部を伝えることはできなかったのが心残りだった。けれども、相棒の案内で本所市に赴き衣装のために採寸したと聞いて、良かったと息をついたのだった。
ストライク・クローバーこと『四峰・小海』は、自身の『楽しい』に手を伸ばせるようになったのだ、と。
「掴めたらそれに越したことはない。掴めなくたって、伸ばした指に何かが引っかかるかもしれない、手を誰かが掴んでくれるかもしれないだろ?」
「そうすりゃ、底からは出てしまえる、ってか……確かに、サイネリア・ファニーが掴んでくれたわけだ」
若造の、言葉足らずな説教である。都合の良いところだけ汲み取って貰えれば御の字であり、
「……ありがとな」
感謝の言葉が返るならこの上ないので、頬はほころんでしまう。
腕を組んだ少女は、そうであるならばと、真摯な眼差しで更なる教授を求めて、
「だったらアンタは『童貞』を楽しんでいるってことか?」
冷たいガラスのナイフを、心の臓に突き立ててくるのだった。
ちょっと鍵を握る手が震えて取り落とすが、なんだか肌寒いな、と初夏の星がきれいな夜空のせいにしたりしながら。
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